昨夜、性懲りも無くまたDVD鑑賞をしました。
昨日は3本。
もはや中毒ですねぇ。
観たのは「YES/NO」というシチュエーション・スリラーですが、なんだかエンディングに向って愛の賛歌みたいになってしまい、白けました。
ある夫婦が強制的に過激なカップル・セラピーと思われる実験に参加させられ、互いにパートナーの様々な嫌な面を映像で見せられ、いくつもの質問にYESかNOで答えていく、というシンプルな作りになっていました。
私は同居人と自分との関係性に置き換えつつ鑑賞しましたが、どうも納得いきません。
実父も義父も嫉妬深い人で、私の嫉妬心が薄いのが、両人とも不思議に思っていたようです。
しかし考えてみれば、婚姻届という紙切れ1枚出すまでは、くっついたり離れたり、よろしくやっているのが普通です。
それを紙切れ1枚出したからといって、急に異性関係がお留守になるはずもありません。
同居人が別の男とこっそり遊びに行ったところで、私は驚きもしなければ憤慨することもありません。
あぁ、やっぱり人の子であったかと得心するだけです。
同居人も嫉妬心は薄いように見受けられます。
私が激躁状態に陥った時、やりたい放題やりましたが、それらが露見した時、病を憎んで人を憎まずとばかり、少しばかり悲しそうな顔をしただけで、私を責めようとはしませんでした。
立派な女性です。
人間というもの、たった1人の異性とだけ性的関係を結んで満足できるようには作られていないと思います。
A子ちゃんもB子ちゃんもC子ちゃんも好き、誰か1人なんて選べない、というのが正直なところではないでしょうか。
それは男も女もオカマもオナベも。
だからこそ、婚姻制度を作り、紙切れ1枚で簡単には別れられないような社会システムを作り上げたものと想像します。
近頃ちまたに溢れている中年の独身男女が決まって口にするのが、出会いが無い、というセリフ。
袖触れ合うも他生の縁と申します。
電車で隣り合わせ、袖が触れ合っただけでも過去世や来世での縁があるというわけで、出会いを縁と置き換えれば、縁無くして人は生きられないのですから、出会いが無いなんてことはあり得ないと思います。
それはきっと、びっくりするような、あり得ないくらい素晴らしい出会いが無いという意味であろうと推測します。
また、異性が苦手という人もいますね。
思春期の少年少女なら異性を前に、特に気になる異性を前にあがってしまうというのはよくあることで、むしろ人生の通過儀礼のようなものですが、30も40もなって異性が苦手では、まともに社会人として生きるのも難しいでしょう。
映画を観て、そんなことをつらつら考えました。
この映画では、ある夫婦がそれぞれ別室に監禁され、それぞれの不倫やギャンブルを暴いた映像を見せつつ、夫婦の関係性を続けるかどうかを問う間接的な質問に、YESかNOかで答えろ、という状況に追い込まれる姿が描かれます。
しかしあまりのハッピー・エンディングぶりに、私はあんぐりと口を開け、次いで皮肉な笑みを浮かべずにはいられませんでした。
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