今日も猛烈に暑かったですね。
こんな日は冷房の効いた室内で過ごすに限ります。
冷房の効いた部屋で、DVDを鑑賞しました。
「ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―」です。
安楽死とそれにまつわる思想を描いて、エンターテイメントながら重たい作品でした。
安楽死の必要性を主張するドクター・デスと、単なる猟奇殺人だと断じる刑事の闘いを描いた物語です。
わが国では安楽死は認められていませんが、欧州などでは、厳格な制限のもと、容認されている国があります。
なかでもスイスは外国人の安楽死を認めており、現にわが国からわざわざスイスに渡り、安楽死を実現させた人もいるそうです。
精神的、肉体的に耐えがたい痛み、苦しさを感じ、早く死なせてくれという病人が実在することは、じつは誰もが知っていること。
現にこの映画でも、ドクター・デスは患者や家族からの依頼を受けて、安楽死を実行します。
そして患者も家族も、心からドクター・デスに感謝するのです。
ドクター・デスは、安らかに眠りについた患者の死に顔ほど美しいものはない、と断言します。
このことをもって、刑事はドクター・デスを猟奇殺人者と断定します。
死に顔が美しいこと、その死に顔が見たいという動機が、快楽殺人のそれだというわけです。
しかし私は、少し違う感想を持ちました。
古くは森鴎外の「高瀬舟」。
時代は下って手塚治虫の「ブラック・ジャック」に登場するドクター・キリコ。
安楽死をめぐる物語は、昔から存在します。
それは安楽死ということが、難しい問題だからでしょう。
この映画では、ドクター・デスは明らかな悪役として描かれます。
そこに、違和感を覚えます。
映画『ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―』本予告 2020年11月13日(金)公開
本人と家族が心から望んでいる場合、安楽死は最後の、そして究極の医療行為といっても過言ではないと思います。
痛かろうが苦しかろうが、とにかく生かしておけばよい、というわが国の医療は、死を待つばかりの末期患者にとって、過酷なものだと思います。
安楽死が許されない犯罪だとしたら、せめてモルヒネでもなんでも使って、意識が朦朧としてもよいから、痛みを緩和するということが必要ですし、それはわずかながら行われています。
この映画では、ドクター・デスは狂気染みた人物として描かれていますが、もう少し常識人として描けば、この映画は異様な迫力を持っただろうに、そこが物足りなく感じます。
スイスのように安楽死が合法であれば、ドクター・デスはただの医者です。
安楽死が犯罪だから、殺人者となるわけです。
それは高瀬舟でも、ドクター・キリコでも同じこと。
率直に言って、私は安楽死が法的に認められることを望んでいます。
実父は入院して数日で亡くなり、さしたる苦痛はなかったと思いますが、義父は入院して数か月、譫妄状態に陥り、暴れるからと拘束され、外せ外せと最後まで喚き散らしながら亡くなりました。
現代医学をもってすれば、患者に痛みを与えず、安らかに死なせることは可能です。
そのようなことが許される社会になってほしいものだと実感させられた映画でした。