今日は立秋なんですねぇ。
気温も天気も夏真っ盛りの様子ですが。
ここはやっぱり、石原慎太郎が主張しているように、二十四節季を新暦に合わせて季節感と合うようにしたほうがよろしいでしょうねぇ。
そうでないと、わが国が大切にしてきた季節感というものが、崩壊しかねません。
現に、今日が秋だと思う人などいないでしょう。
海水浴場は繁盛し、避暑地も繁盛、各地で花火大会が行われ、子供や若者は夏を満喫し、おじさんはひたすらぐったりしています。
そんなおじさんも、若い頃は夏と言えば遊んでまわりましたねぇ。
悪友と海水浴に出かけてナンパにいそしんだり、おねぃさんと花火に出かけたり、大酒を喰らって酔いつぶれたり。
ただし、山に出かけた記憶はあまりありません。
私は何より登ることと待つことが大嫌いですから。
でも40も過ぎれば、自然、そんなことが面倒くさくなるもので、近頃は夏休みと言えば温泉のある避暑地に出かけてのんびりするか、9月に夏休みを取って京都などに出かけるか、いたっておとなしいものです。
これを精神の怠惰とは呼びますまい。
年相応の落ち着きと呼びましょう。
年相応の落ち着きを得た今、私が考えるのは、人生後半のプランでしょうか。
今年45歳になりますので、常識的に考えて半分は過ぎているものと思います。
もちろん、100歳とかまで生きる可能性も無いわけではありませんが。
人生の後半というのは、よく言われるように、週刊誌の後ろのほうみたいなもので、広告ばかりで見るべき記事がなくなります。
出世欲に燃え、実際に出世コースに乗っている人は、後半こそ勝負でしょうが、私のように精神障害を発症し、出世など有りうるはずもなく、また、私自身、昔から出世に興味は無く、なるべく楽して生きていきたいと思っていましたから、よけい後半、何をもって生きるのかが難しくなりますね。
まず一番に考えなければならないのは、再雇用を希望するかどうか。
60歳で定年を迎えた場合、65歳まで年金をもらえません。
そのため、現在、再雇用を希望すれば、職場は必ず65歳まで希望者を雇わなければならないことになっています。
私としては、今の気持ちは再雇用は希望せず、一年くらいぶらぶらして、生きるためにシルバー人材センターに登録して、パート・タイムで日銭を稼ぎたいと思っています。
しかし、60歳を迎えたとき、心境がどう変化しているかわかりません。
慣れた職場が良いと思う可能性は大いにあります。
そしてプライベートでは、数ある構想のなかで、2つだけ、作品化したいと思っているものがあるので、それが出版に結び付かないまでも、書き上げたいと思っています。
それが成れば、あとは文学や芸術、芝居などに接しながら余生を送れれば一番かなと思います。
なにはともあれ、金をどうするかが解決しなければ、話は始まりませんけれども。