2026-10-07

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思想・学問

「神そのもの」と「神の」と「神からの」

現在、私が勤める研究機関に、エジプト人の研究者が長期滞在しています。 専門は日本近代史ですが、イスラム教徒であり、当然、豚も酒も口にしません。 しかし、素面ながらほろ酔いのような、おしゃべりで陽気で気さくな人です。 私が国際交流の事務を担当していることから、この人には懇意にしてもらい、先般、昼食を奢ってもらいました。 そこでは、職場ではあまり見せないイスラム教徒としての話を聞くことが出来ました。 イスラム教徒の聖典「コーラン」の解釈についてです。 「コーラン」を神「からの」言葉と解釈するか、神「の」言葉とするか、あるいは経典そものを「神とみなす」かによって、イスラム教徒同士で諍いが生じる、というのです。 「神そのもの」と見なせば、絶対服従しかありません。 神「の」言葉とみなした場合、神の思いを忖度することができます。 さらに進んで神「からの」言葉と見なせば、神と人を媒介する者が存在しなければならず、誰が媒介するかによって、その教えは変わってくる、というのです。 一般的に日本人は「コーラン」はマホメットを通じた「神からの」言葉だと思っています。 私もそう思っていました。 しかし彼らの間で...
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