3月5日の午前1時19分、父が71歳で他界してから三日あまり、涙を流すことも嘆くこともありませんが、雲の中をさまよっているような、奇妙な感覚が続いています。
その間飯を食い、糞をたれ、仕事に行き、まともな日常を過ごしているのですが、この奇妙な感覚から抜け出すことができません。
それは親の庇護を失ったとか、精神的支柱を亡くしたとか、ありきたりな言葉で表現できるものではありません。
魂の奥の奥、すべてが混沌としている生物の核というべき何物かから、その一部が欠落したような、日本語では表現できない、何か不可思議な物が抜け落ちたとしか言い様のないものです。
一般的な父親と息子がどういう関係性を築いているのか私には分かりませんが、私と父との間には、悪友めいた不思議な感覚が確かに存在していました。
私は父の悪を知り、父は私という存在の邪悪を知っていました。
そして互いに、自分には無い相手の才をも、見抜いていました。
私は、父が実は悪を抱えながら、堂々と正義を振りかざし、しかもそれが様になる格好良さを羨ましいと思っていましたし、父は私が持つ皮肉屋めいた諧謔を愛でていたに違いありません。
悪と才とを知り抜いた父と息子というものの持つ秘密は、他の家族には誰にも知りえない、実に分かちがたいものだと、やっと気付きました。
この記事を心底理解できるのは、亡父以外にはありますまい。
しかし亡父が、中有の闇の中からこの記事を読んで、苦笑いしているに違いないと思っています。
この深い喪失のせいか、3日で2キロ痩せました。
風邪はひどくなるばかりです。
まるで中陰の闇を彷徨う父が、私の不孝を叱っているかのごとくです。