屈託

仕事

 今週も金曜日の終業時刻を過ぎました。
 今週は水曜日の午後体調不良で休暇を取ったせいか、短く感じました。
 水曜日が半ドンになると、随分気分的に楽なのですが。

 毎日どこかへ通い、一定時間拘束される生活は3歳で幼稚園に入園して以来、40年に及びます。
 非正規雇用がこれだけ社会問題になっている昨今、病歴のある私を雇用し続けてもらっていることはまことにありがたいことです。

 私が組織の役に立っていると思ったことは一度もなく、どちらかというと正当な報酬であるはずの給料ですら、生活保護のような気分がしています。

 それだけ無駄な事業を行っているということだろうと思います。
 こんな田舎の三流研究機関は、廃止したほうが国家のためでしょう。
 そういう意味では、この機関に勤める全ての人々が、国家から高い生活保護を受けているようなものだと思います。

 それでもまあ、そこから禄を食んでいるわけですから、多少は組織の役に立ちたいと思います。
 しかし日々の雑事にかまけて、目の前のくだらぬよしなしごとを片付けているうちに時間は過ぎてしまうというわけです。
 そして家にすっ飛んで帰って焼酎で気分を紛らわせる、私の人生は酔生夢死であるかのごとくです。

 多分あと18年もそういう風に過ぎてしまうのでしょうね。
 なんだか壮大な時間の無駄遣いというか、人生を損しているような気分がします。

 ではどうしたらそういう屈託から逃れられるのかというと、収入がなければまともな生活ができない以上、逃れる術はないように思います。

 ずいぶん怖ろしいことです。

 屈託を抱えたまま、矛盾を抱えたまま、とにかく月給がほしくて壮大な時間の無駄遣いをするというのは。

 そして世の多くの働く人々は、そのような屈託に、どう折り合いをつけているのでしょうね。
 20年以上も働いていますが、この屈託は新人の頃と変わらない、もしくは悪化しています。

 宝くじでも当れば、ただちに退職して若隠居を楽しむのですが、なかなか当たってくれません。

 今週末は天候にもめぐまれないようですが、せいぜい、週末を楽しむより他ありません。

 やれやれ。 

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