事故

仕事

 同居人が勤務時間中、近隣の機関に行かなければならないことになり、タクシーチケットを貰ってタクシーに乗り込んだそうです。
 ところが、交差点でタクシーが右折しようとして、左折する車と衝突。
 同居人から携帯に電話が入ったのが、ちょうどお昼頃。
 タクシー会社が別のタクシーを呼んでくれるというので、それで用務先に向かおうかと思う、とのこと。

 馬鹿なことを言ってはいけません。

 どこも痛いところがなくても、2~3日後に首などが痛み出すことはよくあること。
 もし今日検査のためだけでも病院に行かなければ、交通事故についてはえげつない手に出るタクシー会社は、きっと事故との因果関係が立証できないとか言って、診療費の支払いを拒否するのは目に見えています。

 すぐに病院に行くように、それもできればその手の事故に慣れている救急施設のある病院に行くよう指示し、私も午後から年休を取って病院に向かいました。
 百戦錬磨のタクシー会社を相手に、世間知に欠ける同居人では心許ないと思ったからです。

 で、行ってみると、タクシー会社は私が想像していたのとは全く違った手を打っていました。
 事故の相手は初老のご婦人。
 ご婦人を言いくるめて、10-0ではないにせよ、7-3くらいでご婦人の過失が高いとして、ご婦人が加入する自動車保険を使って同居人の治療費を出させるようにすでに保険会社と話をつけていたのです。
 事故の詳細は知りませんが、いかにも早手回しです。

 タクシー会社、恐るべし。

 そういうわけで、私の出番はなく、今日の診療費はもちろん、今後痛みなどが出て通院した場合も、ご婦人が加入する保険会社から払われる、とのことでした。
 レントゲン検査の結果は異常なし。
 痛みも無いということで、職場が病院から近いこともあり、15時頃、同居人は職場に戻り、私の職場はその病院から1時間かかるので、そのまま帰宅しました。

 同居人はおのれが交通事故の加害者になった時も、私の父が亡くなった時も、金をもらうことだけが目的の仕事を優先しようとして、おかしげな行動を取りました。

 その時、私は諭しました。

 世の中には金を稼ぐ手段でしかない仕事なんぞおっぽりだして駆けつけなければならないことがある、と。

 かつて、高度成長の頃、モーレツサラリーマンと言われた社畜どもは、何よりも仕事を優先してその余のことを疎かにするという、大人としてあるまじき価値観を良しとしていたように聞き及びます。

 しかし、高度成長もバブルも消滅した現在、世の男どもは仕事にのめりこむことの愚かさを知り、真に重要なことを大切にするようになりました。

 しかるに正規雇用で働く女性の中には、男社会で生き抜くためか知りませんが、物事の優先順位を間違っている人を見かけます。
 つまり、生活の糧を得るためだけの、言わば卑しいことである仕事をことさらに重要視し、それにおのれのアイデンティティーを求めようするのです。

 かつて、多くのお父さんたちがそうでした。
 そのため、引退後、アル中になったり、ひどい人にいたっては暇すぎることが理由でうつ状態になったり。
 業務過多が原因でうつ病を経験した私からすると、暇過ぎてうつ状態に陥るとは、にわかには信じがたいことですねぇ。

 サラリーマンは辞令一枚で不本意な仕事や部署でも、命じられればこなさなければなりません。
 それが仕事をして給料をもらうということです。
 嫌なら辞めるしかありません。

 仕事なんて割り切って醒めた態度で臨まなければやっていられないのに、まるで仕事をおもちゃのように扱って趣味的に働こうなどと、宮仕えの意味を根本的に理解していないと言わざるを得ません。

 男女問わず、私の職場にも仕事をおもちゃだと思っているとしか思えない愚か者が複数見受けられます。
 まったく愚かなことですが、私は何も言いません。
 そんなことを言うほど親切ではありませんから。
 ただ密かに冷笑しているだけです。

 引退を迎えた時、仕事以外にアイデンティティーを持てないようなことが無いよう、おのれ独りの矜持を保てるように現役のうちから心がける必要がありましょう。


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