今日は14時で早退し、フレンチ・ホラーを鑑賞しました。
「リヴィッド」です。
これはじつに残酷で、しかも美的な映画で、私はその青みがかった映像を、ひたすらうっとりと見つめました。
久しぶりの大当たりです。
かつて怪物や幽霊が活躍する怪奇文学は、耽美主義の系統に分類されていました。
それはホフマンなどのドイツ・ロマン派でも、「雨月物語」などの江戸文学でも。
それらのDNAを引き継ぐホラー映画も、もともとは美的であることが求められ、美と恐怖は本来的に相性が良いものです。
近年、ホラー映画は残酷描写が追求され、悪趣味なまでに醜悪な作品が受けるようになってしまいましたが、「リヴィッド」は原点に立ち返った、ゴシック・ロマンの王道を行く見事な作品に仕上がっています。
これほど美的なホラー映画は、老いた吸血鬼の悲しみを描いた「ノスフェラトゥ」以来ですねぇ。
物語は、森の中の豪邸で植物状態のまま眠り続ける老婆の家に、泥棒に入る若者3人組が、恐怖の一夜を過ごすという、わりと単純なものです。
老婆には一人娘がいたのですが、少女の頃亡くなり、バレエ教師であった母親は、娘を剥製にしたうえで機械仕掛けでバレエを踊る人形にしてしまいます。
そして老婆とその娘には、人の生き血をすすりたいという、根源的な欲求が隠されていたのです。
泥棒に入った若者たちは死んで人形となった娘、植物状態で動けないはずの老婆に襲われます。
ストーリーだけを見ると、残忍極まりないものですが、どうした加減か、映像はあまりにも美しく、さすがにフレンチ・ホラーとうならされました。
世の中には様々な学問があり、それぞれの分野で実証的研究を重ね、究極的にはこの世の真実や真理、普遍的価値などを求めています。
しかし、学問はあまりに細分化されてそれぞれの学者は蛸壺に入り込み、ほとんど自己満足としか言いようがない惨状を呈しています。
私には、学問が真実を追求することはもはや不可能であるように感じられます。
私は、この世の真実はじつは物語にしか無いのではないかと思っています。
人間の智慧では実証研究には限度があり、真実を直感的に感じ取った物語作者による物語だけに、それは示唆されるように感じます。
たとえば記紀にみられる日本神話。
さらにはギリシャ神話。
それほど体系だてられてはいないとはいえ、あらゆる民族が独自の神話を持っており、神話こそが物語の祖であり、そこには様々な人間の真実を突いたエピソードが盛り込まれています。
「リヴィッド」には、そうした素朴な物語の要素とともに、人を魅了する美と恐怖がないまぜになり、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
ぜひご覧いただきたい一作です。

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