薬を飲んで昼過ぎまで眠ったら、大分楽になりました。
朝飯はインスタントの味噌汁を飲んだだけですが、お昼は普通に卵かけご飯を食すことができました。
すると不思議なもので、力が涌いてくるようでした。
小学生の頃、炭水化物は熱や力の元になるもの、と教わりましたが、本当ですねぇ。
さっき熱を測ったら、37度1分まで下がっていました。
もう大丈夫でしょう。
しかし、よっぽど因果な質に生まれついてしまったものと見えて、体の調子が良くなると、なんとなく陰鬱な気分になってきました。
そうです、二日も突然の休暇を取ったことに対する罪悪感です。
長期の病気休暇期間中、私を最も苦しめたのはじつはこの罪悪感です。
あぁ、罪悪感。
誰だって風邪くらいひくことはあり、電話一本で突然休み、後日休暇の申請をするというのは良くあることです。
それは分かっているのですが、私の場合、病歴があるせいか、周りも、私自身も、私が突然休むことにナーバスになっているように感じます。
それこそ気の迷いかもしれません。
多分、気の迷いでしょう。
しかし理屈で分かっていても、心というものはおのれの意志で悪化させたり好転させたり出来るものでは有りません。
それを、精神論で、気合が足りないとかなんとか責める風潮は、大分無くなって来たとはいえ、根強く残っているような気がします。
精神障害がひどくて一日20時間以上横になっていた頃、優しい人々は飲みに誘ってくれたり、スポーツに誘ってくれたりしました。
酒を飲んだり体を動かしたりすれば気が晴れるだろうというのは、精神が概ね健康な場合に限ります。
精神が病んでいる時は、薬を飲んで休息を取り、内奥から、酒が飲みたいだとか、体を動かしてみようかとか、意欲が湧いてくるのを待つしかありません。
リワーク・プログラムで一緒だった友人は、部屋を暗くして布団にもぐりこんでいたところ、父親が薬を全て捨て、放った言葉が、「よし、こういう時は風俗に行こう」というものだったと、微苦笑を浮かべつつ語ってくれました。
近頃は各種メディアでうつ病や双極性障害、新型うつ病や統合失調症が多く取り上げられ、昔ほど偏見にさらされることは無くなったとは言うものの、世間での認識は未だその程度なのですねぇ。
他山の石としなければ。
でも優しい人々の気遣いはとてもありがたいものではありました。
自分が世界中から見捨てられたような気分でいるところを、声かけしてくれるのですから。
それに私だって、自らが発症するまでは、病気休暇に入った同僚を見て、スポーツでもすれば自然と良くなるんじゃないかと、漠然と思っていました。
よく、女心と秋の空、と言いますが、私にとっては、病気の心と秋の空、と言ったほうがしっくりくるような気がします。
病癒えて職場復帰を果たしてもうすぐ丸5年。
精神障害が治癒するというのは、発症前の状態に戻るのではなく、だましだましでも、服薬を続けながらでも、日常生活を維持できるようになるだけで、何も幸福感に満たされるわけはなく、相変わらず棘の道をそろりそろりと歩き続けることのようです。