日曜日は家事の日。
平日にはできない掃除や洗濯、食料品の買い出しなどで一日が終わってしまいます。
今日もそうでした。
家事というのは厄介なもので、どこまでやっても完全ということはありません。
専業主婦(夫)というのは時間がたっぷりあって羨ましく思いますが、家事の最大の欠陥は評価されないこと。
働く夫(妻)から見れば、食わせてやっているんだからやって当たり前、という態度を取られることが多いと思います。
わが家は正規雇用同士の夫婦のため、家事は平等に行わなければなりません。
でも平日は何もできません。
朝は7時半に家を出て、残業もあるので帰宅は20時ちかくになります。
帰ってきたらもうヘトヘトで、風呂に入る気も起きず、簡単にシャワーを浴びて、冷凍食品をつまみに一杯やったら、もう眠くなってしまいます。
平日の私は、生きているというより死んでいないと言ったほうが良いかもしれません。
私自身がそんな生活に耐えながら、よく世間のサラリーマンは平気な顔で生きていられるな、なんて同病相憐れむの感慨を毎日感じています。
サラリーマンは現代の水呑百姓。
例え高い給料をもらっていたとしても、時間を切り売りしてやっと生活が保たれるだけです。
わが家は共働きなので収入は多いほうだと思いますが、世間の最底辺を彷徨っているような気分がどうしても抜けません。
マンションのローンは繰り上げ返済を何度か行ったおかげでとっくに終わっており、買い物に行って値段を確認するということもなく好きな物を買って、クレジットカードの明細はほとんど見ずに捨ててしまいます。
世間はこれを贅沢と呼ぶのでしょう。
しかし、収入が安定していても、豊かな生活を送っているなんて、1ミリも思いません。
損な性分というか、怠け者というか、働いているというだけで、貧乏な気持ちが抜けません。
大地主にでもなって、土地のあがりだけで食っているような人を、豊かな生活を送っているのだと感じます。
その時々で最良と思われる選択を続けて今に至りますが、もしかしたら私は最悪の選択をし続けてきたのかもしれません。
そんな後悔と反省の日々を送って一生を終えるのでしょうね。
50代も半ばちかくになって、先が見えた私は、それでも働き続けなければなりません。