カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞後第1作となる長編「クララとお日さま」を読みました。
500頁弱の作品ですが、3日もかかってしまいました。
この作品は、AIを題材にしています。
今時AIを題材にした小説など珍しくもなんともありませんが、この作品の独特な点は、AI自身が語り手になっているところです。
AF(アーティフィシャル・フレンド=人工親友)と呼ばれる、子供の友達であり世話役となるロボットを描いています。
クララという名のAFがある少女に買われ、少女が大学に入るまでの交流を描いています。
いや、交流という言い方は不完全でしょう。
少女は重い病気にかかり、命の危機に瀕するのですが、その時少女の母親はクララが少女の特徴を深く学習し、少女そのものとなってくれることを願うのです。
人工娘ですね。
しかし少女は、クララがAFの栄養源であるお日さまに必死に願うことにより、見事回復するのです。
この長い物語は、クララがお役御免となって捨てられ、ゴミ捨て場で過去を回想するシーンで終わります。
AFとして最高に幸せだった、と。
そしてこの物語で語られる世界は、カズオ・イシグロの名作「わたしを離さないで」に通じます。
臓器移植のドナーとなるためだけに人工的に生み出され、育てられた若者たちの物語。
ドナーとAFは、いわば社会の役に立つための犠牲という役割を背負っています。
さらには生身の人間も、処置を施された者はエリートとなり、そうでない者は社会の底辺を歩まなければありません。
究極のディストピア小説と言えるかもしれません。
しかし現実世界は、差別が横行し、どんな家に生まれるか、どんな教育を受けるかで大きく人生に差が出来るディストピアというのが本当でしょう。
だからこそ人はユートピアを求めるのです。
この作品はディストピア的な寓話でありながら、AFであるクララとその周りの人々との暖かい交流を描いて、不思議な感慨を催させます。
本当は残酷な物語なのに。
カズオ・イシグロ自身が日本で生まれ、5歳まで日本で育って後英国に渡り、英国人となった、いわば異端の小説家です。
異端者への残酷な仕打ちを優しく描くことができる理由の一つなのかもしれません。