文学

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なんだか酔いました。 舶来のウィスキーをロックで三杯。 その間、ほとんどつまみらしい物を食っていません。 酒がまずくなるからです。 このブログでさんざん体重が減ってきたことを嘆いていますが、要するに私が悪いのです。 栄養よりも酒を、酒よりも睡眠を優先したせいです。 疲労のままに晩飯を食わずに寝てしまったり、わずかのつまみと酒を口に入れただけで横になってしまったり。 でも無理に飯を食えば、横になっても眠ることができず、戻してしまうのです。 困った胃弱者です。 私は若山牧水や尾崎放哉など、破格の大酒飲みの詩歌を好んできました。 彼らは短型詩という限られた制限のある文芸を極めながら、まるでそのストレスを発散するかのごとく、大酒を喰らっています。 酒と文芸は恋人のごとく、親友のごとく、分かちがたく結びついています。 私はただ、ひと時の酔いが、愚かな私の人生に潤いを与えてくれれば、それで満足なのです。 おそらく私は、何事もなしえず、ただ酔生夢死の余生を送るのでしょうから。
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お話

秋晴れの良いお天気でしたが、今日は出かけることも無く、一日、静かに家で過ごしました。 もうじき木枯らしが吹き始め、そうしたらますます家に籠る休日が増えるんでしょうね。 いたし方ありません。 明日は土曜出勤の振替でお休み。 「パラノーマル・アクティビティ4」を観に行こうかと思っています。 このシリーズ、番外編の「TOKYO NIGHT」も含め、すべて劇場で観ています。 低予算で恐怖度満点のPOVです。 それにしても私のホラー映画好きも病膏肓に入るの部類と見えて、話題のホラー映画が劇場公開するといても立ってもいられず、見逃したりなんかしたらDVDが発売される前から予約してしまいます。 昔から怖いお話が好きでした。 私が6歳の頃、初めて広告の裏を使って書いたお話が「ドラキュラの歯は無い」というもの。 加齢により歯を失ったドラキュラがナイフやフォークで人を襲うという他愛の無いものですが、鋭い牙がつきもののドラキュラに歯が無かったらさぞかし難儀するだろうというその時の発想は、今と大して変わりません。 恐怖にブラック・ユーモアをからめるのが幼児の頃から好きだったものと見えます。 三つ子の魂百までと...
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文化

今日は文化の日ですね。 悲しいかな、私は職場で昨日に引き続き開催される漢籍文化の国際シンポジムのため、出勤です。 漢籍文化ということで、パネリストも講演者も客も中国人だらけ。 ちまたで言われているほど、彼らのマナーは悪くありません。 さすがは研究者やそれに準じる人たちと言うべきでしょう。 文化の日とは言いますが、元をただせば明治天皇の誕生日。 戦前までは明治節という祝日でした。 みどりの日を昭和の日に改めたように、文化の日も明治の日と改めたらどうかと思います。 長い鎖国の夢から醒めて、冷酷非情な帝国主義全盛の時代にわが国を帝国主義列強の地位にまで押し上げた先人の苦難の歴史に思いを致す日としたほうが、趣旨に沿うと思います。 文化の日では、何が何やらわかりません 降る雪や 明治は遠く なりにけり と、中村草田男が詠んだのは昭和6年のことだったとか。 明治が終わって21年後のことですね。 すると平成の御代も24年。 昭和は遠くなりにけり、といったところでしょうか。炎熱―中村草田男句集 (ふらんす堂文庫)横澤 放川ふらんす堂にほんブログ村 人気ブログランキングへ
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暴走老人

田中文部科学大臣、石原都知事の言動を、暴走老人と称しましたね。 言いえて妙と言うべきでしょう。 もっとも、そう言い放ったご当人も暴走おばさんではありますが。 みんなの党やら日本維新の会やらたちあがれ日本やら、どうやら民自に対抗できそうな勢力が揃ったと思ったのか、都知事の職を放り出してそれらの神輿に乗ろうという考えが見え見えです。 石原都知事と言う人、気骨があり、発信力があり、カリスマ性もあるようですが、少々頭に血が上りやすい質のようで、今度の行動も逆上気味です。 老人性の判断力の衰えを感じますねぇ。 17年前、国会でこの国の政治のありようを痛烈に批判して辞任した時も、その片棒を担いでいたのはお前だろうがと、ツッコミをいれたくなりました。 月日は流れ、都知事を13年も勤めて、やっぱり国政の場でなければ政治のありようを変革できないと気付いたとは、少々オツムが弱いのではないかと思います。 もともと都知事は芥川賞を受賞して小説家として世に出ました。 小説家というのは読んで字のごとく、小さな説を述べる人ではないんでしょうか。 それが国家国民を論じるだけならともかく、権力も欲しいとなると、穏やかで...
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海辺の光景

安岡章太郎の小説に、「海辺の光景」という佳品があります。 海の見える病室で、愛憎相半ばする母親の最後を看取る中年男の話です。 3月に父が亡くなってから、私はこの佳品のことをよく思い出します。 海辺と浅草寺の五重塔がよく見える父が亡くなった浅草寺病院の個室とでは、もちろん趣きが異なります しかしそこには、親を亡くすという根本的な類似があり、私にとって父を亡くした経験により、「海辺の光景」という小説は、切実な意味を持つものとなりました。 この小説の主人公は、どう見ても先が長くない母を見ながら、過去の思い出に浸ります。 それは決して良い思い出ばかりではありません。 私は父危篤の報を受け、浅草寺病院へ見舞いに行き、その数日後に、父ははかなくなってしまいました。 驚異的な生命力を持った男だと思い込んでいただけに、その呆気ない死は、私を呆然とさせずにはおきませんでした。 その後一ヶ月で、私は精神的ショックから食い物を受け付けなくなり、5キロ落ちました。 一ヶ月も過ぎると、生きている人間というのは都合よくできているものらしく、精神的ショックは感じなくなりました。 しかし、その後も体重はじわじわ落ち続...
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