文学

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昨夜

昨夜、NHKのディレクタ―が我が家を来訪し、1時間強、話しました。 NHK側は私が熱心に種田山頭火の句を読んでいたのがうつ病による病気休暇中だったということに喰いつき、どんな句によって救われ、また、元気づけられたのか、とか、うつ病回復後、新たに好むようになった句は何か、とかを聞かれました。 また、うつ病発症の詳しいいきさつも聞かれました。 どうも聞いていると、種田山頭火の芸術性について深く掘り下げる番組ではなく、東日本大震災をはじめ、精神的に弱りながら、山頭火の句によって元気を取り戻した人々に取材し、山頭火の句が持つ癒しの力に迫ろうという主旨のようです。 そのため、病気休暇中、近所の図書館で「山頭火全句集」に出会った時のことを再現するような場面や、今は元気に働いている場面を撮りたいとのことでした。 職場での撮影は問題があるので、出勤風景くらいにしてくれ、と頼みました。  そのほかに、10分くらい、山頭火について自由に語る場面を撮りたいとか。 なんとなく変な方向に進んでいるような気がしますが、私の経験がうつ病患者をはじめ多くの精神症状に苦しんでいる人の利益になってくれれば、これ以上の喜び...
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豪雨

昼休み。 外はひどい雨です。 今日は東日本全域が豪雨に見舞われるとか。 東日本大震災に襲われた方には、一年半の時を超えた涙雨となっていることでしょう。 あららかに わがたましひを 打つごとき この夜の雨を 聴けばなほ降る 若山牧水の和歌です。 私は今日の雨に魂を打たれてなどいません。 しかしうつ病が激しい時、雨は大敵でした。 雨が降ると布団から起き上がれなくなってしまうのです。 今はそういうこともなくなりました。 ただ鬱陶しいだけです。  病癒えて、ずいぶん楽に、生き易くなりました。 水不足が叫ばれる昨今、この雨が恵みの雨となることを祈ります。若山牧水歌集 (岩波文庫)伊藤 一彦岩波書店にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ
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NHK

NHKの記者から、このブログを読んで、漂白の自由律俳人、種田山頭火への思いについて取材したい旨のメールを受けたことは以前書きました。 山頭火に関して何度か記者とメールのやり取りをしました。 そうしたところ、直接インタビューしてそれを撮影、放送したいことと、できれば日常生活も撮影、放送したい、との依頼がありました。 なんとも奇妙なことになりました。 私のブログには多い日で500IP・3,000PVくらいの訪問があります。 少ないときで200IP・1,000PVくらいでしょうか。 その中にはマスコミで働く人も当然いるでしょう。 しかしまさか私に取材したいとか、放送したいとか言ってくる人がいるとは思ってもみませんでした。 むしろ何かの雑誌に随筆でも書いてくれ、という依頼を期待していました。 それがテレビ番組。 それも天下のNHK。 驚いちゃいますねぇ。 私は精神障害発症以来、基本的に守りの生活を送ってきたように思います。 精神をゆさぶるようなことからは、できるだけ遠ざかって生きてきました。 しかしここらで、この滅多にない機会を、うまく利用してみようかと思っています。 平々凡々たるサラリーマン...
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漂白と遁世

昨日山頭火の評伝を読んだせいか、サラリーマンを続ける私の生活に深い疑問を抱くにいたりました。 サラリーマンを続ければ、嫌なことは多かれど、月々お給料を貰えて、安泰な生活を送ることができます。 だからこそ、多くの人々は就職活動をしてサラリーマンになるのでしょう。 しかしそれは、食うために時間を切り売りする行為です。 時は金なり、と申します。 まさに時を金に変える錬金術が、サラリーマンの生き方といえるでしょう。 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。 古人も多く旅に死せるあり。 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立る霞の空に白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。 有名な松尾芭蕉「おくのほそ道」の冒頭です。 やむにやまれぬ漂白放浪への思いが認められています。 これを読んで旅心を起こさぬ日本人がいるでしょうか。 一方与謝蕪村は若い頃芭蕉に憧れて津軽にまで旅をしていますが...
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濁れる水の流れつつ澄む

9月12日に「なんで?」という記事で、このブログを読んだNHKの記者から、俳句についての取材を申し込まれた、と書きました。 詳しくは、種田山頭火についての取材でした。 あれ、山頭火の記事なんか書いたっけ、と、ブログ内検索をかけてみたら、ずいぶん前に4つほど書いていました。 良く見つけたものですねぇ。 当時私は「山頭火全句集」という書物を手に入れて、行乞の俳人にかぶれていました。 西行、良寛、芭蕉などに連なる、漂白の魂を持った俳人だと憧れてもいました。 で、句についてはかなり語る自信がありますが、俳句というのはどんな人物だったのか、どんな生涯を送ったのかを知らないと深く理解できないところがあります。 その句をいつどんな所で、どんな心持ちで詠んだかを知ることは、俳句理解のうえで極めて重要です。 そこで、来週の取材に備えて「種田山頭火 うしろ姿のしぐれてゆくか」という430ページに及ぶ大部の評伝を今日一気に読みました。  初めて知ることがたくさんありました。 少年の頃、母親が井戸に身を投げて自殺したこと。 青年期の弟が自殺したこと。 曹洞宗で出家得度して僧形で行乞の旅を続け、句作に励んだこと...
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