文学

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白露

今日は二十四節気の白露。 大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。 『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明しています。 確かにここ数日、朝夕はめっきり涼しくなりました。 季節がめぐれば必ず陽気も変ります。 その当たり前のことが、なんだか不思議に感じられます。 松の葉の 葉毎に結ぶ 白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く   正岡子規の和歌です。 まだ松の葉に白露がこぼれる季節には早いですが、白露ができてはこぼれ落ち、を繰り返すその風情はなんだか凛とした寒気を感じさせて背筋を正したくなります。 白露を はじきとばせる 小指かな 川端茅舎の俳句です。 こちらはなんだかいたずらな感じがしてほのぼのしますねぇ。 川端茅舎と言う人、1941年に肺の病気でわずか43歳で亡くなっています。 今の私と同年齢です。 俳句を詠み、日本画を描いて生涯をすごしました。 そしてとっととこの世からおさらば。 なんだか羨ましいような気がします。 季節はまだ残暑が続くようですが、精神の上では、もはや夏は終わったものと考えて、来るべき秋を楽しみたいですねぇ。子規歌集 (岩波文庫)土屋 文明...
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9月

9月の仕事が今日から始まりました。 私の職場は9月から少しずつ忙しくなり、1~3月はお祭り状態になります。 ひたひたと忙しい日々が近付いている予感がします。 早速今日も、8月中ののんびりムードが嘘のように、ぴりぴりとした空気が職場を覆っていました。 昨年度も同じ部署で年度末を乗り切っていますので、多分大丈夫だろうとは思いますが、精神障害発症以来、私はあまり自分を信用していません。 ちょっとしたことがきっかけで、深い憂鬱に沈み、何も手がつけられなくなる状態を経験していますから。 しかしだからと言って、びびっていては仕事になりません。 明日のことは考えず、今日の仕事をきちんと今日終わらせることだけを考えてこれからを乗り切っていきたいと思っています。 その日暮らしの積み重ねでしか、人は生きられません。 明日良いことがあるかもしれない、来年良いことがあるかもしれないと考えることは、一時の慰めにはなりますが、良いか悪いか分からない未来のことを考えても仕方ありません。 昨日はもう終わったこと、明日はどうなるかわからない未来のこと。 確かなのは、今日を誠実にこなすことだけでしょう。 その日暮らしを積...
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寿命

おととい、私は満43歳になりました。 私は亡くなった文学者の年齢に自分が達すると、深い感慨を覚えるという癖があります。 二十歳を迎えたときには、「肉体の悪魔」などで著名なフランスの作家、ラディゲが亡くなった年齢に達したのだと思い、おのれの二十歳の不甲斐なさを嘆きました。 24歳になった時には、樋口一葉が亡くなった年だと気付き、彼女の若い才能に嫉妬したりもしました。 26歳の時には石川啄木の死を、35歳の時には芥川龍之介の自殺を想い、感慨にふけりました。 そして43歳。 私がわが国文学史上最も敬愛する歌人である若山牧水が亡くなった年齢に達したのだと思うと、感慨もひとしおです。 彼は朝二合、昼二合、晩六合の酒を欠かさないという、有り得ないような大酒のみで、おそらくアルコール依存症であったと思われます。 それだけの酒を飲みながら、頻繁に旅に出かけ、短歌雑誌を創刊し、紀行文を物し、多くの秀歌を残しました。 死の床にあって、食い物は一切受け付けないくせに、酒だけは欠かさず、医師ももはや飲酒を止めなかったと伝えられます。 私も酒は嫌いなほうではないので、反面教師として見習わなければなりません。 つ...
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なでしこ

今日は24節季の一つ、処暑だそうで。 陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也、と暦便覧では説明しています。 要するに夏の暑さは峠を越えて、涼しくなる頃ということですが、なかなか実際にはそうもいかず、今日も猛暑が続いています。 向日葵に替わって、撫子の花が咲き始める頃でもあります。 撫子というと、その可憐な姿から、日本女性を象徴する花。 近頃では、なでしこJAPANですっかり有名になりました。 高浜虚子に、 撫子や 堤ともなく 草の原 という句があります。 西行法師は、 かき分けて 折れば露こそ こぼれけれ 淺茅にまじる 撫子の花 と詠んでいます。 いずれにしろ、暑さが残るなかにも秋の気配が感じられる詠調ですね。 か弱いながらも凛々しさを帯びた日本女性の理想を撫子にみたのもなんとなく理解できます。 でも実際のところ、そういう女性にお目にかかったことはありませんねぇ。 理想は理想、現実とは異なっているということでしょうか。 本・書籍 ブログランキングへ にほんブログ村
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暑い

昨日も今日も馬鹿馬鹿しいくらい暑いですね。 これでは外に出られません。 若いうちはともかく、40を過ぎれば知らぬ間に体力が落ちているでしょうから、熱中症になってしまう危険性が多いにあります。 そこでやむなく、エアコンの効いた室内にこもっていることになります。 外に出ないかぎり、避暑地にいるのと同じことですから。 かつてエアコンが普及していなかった頃、過酷なわが国の夏を人々はどうすごしたのでしょうね。 風鈴を吊るそうが、打ち水をしようが、怪談話を聞こうが、暑いことには変わりありませんし。 わが国だけでなく、遠く欧州でも夏は過酷だったでしょう。 イタリアの作曲家、ヴィバルディの協奏曲集「四季」でも、協奏曲第二番「夏」の曲調は暗く、重苦しげです。 ことごとく 団扇破れし 熱さ哉  いらいらと 暑しや雨の むらかわき 炎天や 蟻這い上がる 人の足 いずれも正岡子規の夏の句です。 いかにも暑そうですねぇ。 結局のところ、明治の日本人はひたすらに暑さに耐える他なかったようです。 平均寿命が短い道理ですねぇ。 自然の気候に耐えられないやつは死ね、ということでしょう。 人は多く、夏の終わりと冬の終わり...
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