文学

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戦争の法

現在活躍中の小説家で、最も上質という言葉が似合うのは、佐藤亜紀だと思います。 最近は早稲田大学や明治大学の客員教授として創作の作法を教えているとか。 たいそうなご活躍です。 主にヨーロッパを舞台にした作品が多いですが、「戦争の法」は日本を舞台にしていて、しかもどこかブラック・ユーモアみたいなものが効いている異色の作品です。 平野啓一郎が「日蝕」をひっさげて颯爽とデヴューした時、佐藤亜紀は自身の作品「鏡の影」のパクリだと、小説家にとってはこれ以上ない侮辱を浴びせたことを懐かしく思い出します。 平野啓一郎は佐藤亜紀なる小説家の存在も知らないし、その作品を読んだこともないし、今後も読むことはない、と完全否定しました。 佐藤亜紀はこれに対し、盗作をしたかどうかはともかく、彼が嘘つきだということははっきりした、と言って応戦しました。 「鏡の影」も「日蝕」も新潮社から出版されていたところ、新潮社は「日蝕」の出版に合わせるように「鏡の影」を絶版にしてしまいました。 二人を比べて、平野啓一郎の将来性に賭けたということでしょうか。 しかし、現在の活躍を見る限り、新潮社の判断が正しかったとは言い難い状況で...
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師走

今日から師走ですね。 暦どおり、今日の関東地方は真冬の寒さ。 今シーズン一番の冷え込みだそうです。 私は今日、この冬初めてダウンのコートを着て、マフラーを巻いて出勤しました。 今年はウォーム・ビズということで暖房は控えめ。 先日ドンキ・ホーテで購入した膝かけが大活躍しています。 12月には春待月(はるまちづき)という洒落た別称もありますね。 でも実感としては、やっと冬に入ったところで、まだ春を待つという気分にはなりません。  私は30過ぎまで手足の先が氷のように冷たくなる冷え性でしたが、冬は嫌いではありませんでした。 凛とした冷たい空気が、しゃんとする感じがして好ましく思えたのです。 30代半ばくらいから、冷え性は肥満とともに良くなりましたが、逆に冬の寒さを辛く感じるようになりました。 不思議ですね。 冬菊の まとふはおのが ひかりのみ  水原秋桜子 名句ですねぇ。 冷たい冬の空気の中、確かな生命の輝きを感じさせる、力強い句です。 できることなら私も、冬菊のようにおのれの光のみを頼りに、後半生を生きたいものです。新装版 水原秋櫻子 自選自解句集水原 秋櫻子講談社水原秋桜子集 (朝日文庫...
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○○の娘

スターリンの一人娘、ラナさんが85歳で亡くなったそうですね。 16歳の時の初恋の相手は10年間も流罪に処せられたとか。 その後旧ソ連で三度結婚、いずれも離婚または死別しました。 三度目の夫の母国であるインドに夫の遺灰を返すため渡ったとき、旧ソ連のパスポートを燃やし、亡命を宣言、米国籍を取得しました。 時に冷戦真っただ中の1967年。 堂々と共産主義を批判し、スターリンやクレムリンの実情を描いた著書はベストセラーになりました。 米国では、ある者からは共産主義の悪魔、スターリンの娘と罵られ、またある者からは共産主義の悪魔から逃げ出した英雄と称えられ、どちらにしてもスターリンの娘という呪縛から逃れることはできませんでした。 晩年のラナさんです。 父、スターリンに抱かれるラナさんです。 ○○の娘というと思いだすのは、「更級日記」の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ですねぇ。 本名は伝わっていません。 日本では著名な女性でも○○の娘とか、××の母、としか伝わっていない人がけっこういるんですよねぇ。 スターリンの娘とは何の関係もありませんが。 「更級日記」というと、「源氏物語」に夢中に...
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旅のラゴス

私は筒井康隆が書いたものをほとんど読んでいますが、じつは最も気に入っているのは、「虚人たち」のような実験的な文学作品でも、「東海道戦争」のようなコメディ調のSFでも、「時をかける少女」のようなSFジュブナイルでもありません。 筒井康隆としては異色の作品、「旅のラゴス」を最もよしとします。 文明を失った代わりに、様々な超能力を身に付けた人々が住む世界で、ひたすら旅を続けるラゴス。 旅の途中、王になったかと思えば奴隷になったり。 親しい人ができても、彼はその人と別れて旅を続けます。 別れ際、いくらなじられようと、ラゴスは旅を続けざるを得ないのです。 旅を描いた日本文学のなかでは、渋澤龍彦の「高丘親王航海記」にならぶ名作です。 「高丘親王航海記」がどこか乾いた幻想文学だとすれば、「旅のラゴス」は感傷的な要素を含んだ哲学的な作品です。 なにゆに彼は旅を続けるのか。 その旅に目的はあるのか。 よくわからないまま、短編の連作という形で、少年だったラゴスが成長し、老いていきます。 ポイントは、ラゴスの旅ではなく、旅のラゴスであるという点。 人生を旅に喩えるのは古来よく行われてきたことですが、この作品...
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ガラス玉演戯

「ガラス玉演戯」とも「ガラス玉遊戯」とも訳されるドイツのノーベル文学賞受賞者、ヘルマン・ヘッセの畢生の大作。 ヘルマン・ヘッセというと、少年の成長や挫折を描く青春文学の作家、というイメージが強いですが、「荒野のおおかみ」あたりから、急激に文明批判や精神世界への言及を強めていきます。 その行きついた果てが、「ガラス玉演戯」でしょう。 未来、芸術と数学と瞑想を伴って行われる究極の芸術、ガラス玉演戯が生まれます。 主人公クネヒトはガラス玉演戯の名人となります。 クネヒトの意味はしもべ。 究極の芸術の名人が、しもべ。 それだけでも、なんだか意味ありげです。 クネヒトは、もはや内面の嵐に突き動かされて社会から脱落することはありません。 瞑想の力によって社会的な秩序と内面の自由を調和させることができるからです。 学問と芸術、論理と感性を同時に表現し、調和させ、統一することを可能にする世界語、それがガラス玉演戯であり、クネヒトはその最高位にまで上りつめるわけです。 しかしこのガラス玉演戯の神聖な世界に対立するものとしての俗世の存在が、主人公を更なる調和と統合に向かわせます。そして・・・。 結末は人に...
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