文学

スポンサーリンク
文学

白梅

なぜだか分かりませんが、今朝は正午近くまで眠ってしまいました。 私はどちらかというと朝型人間なのですが、珍しいこともあるものです。 昨夜の酒量はいつもどおりで、深酒したわけでは無いのですが。  12時近くに起きて、最近近所に出来たラーメン屋にお昼を食べに出かけました。 私はこってりした油ぎとぎとのラーメンは苦手であっさりした塩ラーメンを好むのですが、この店、私の好みにドンピシャで、あっさり醤油とあっさり塩しか置いていません。 嬉しい開店です。 昼食後、腹ごなしに近所を小一時間散歩しました。 途中、見事な白梅が咲いていました。 もう春なんですかねぇ。 しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり  敬愛する俳人、与謝蕪村の辞世です。 白梅と春の訪れを寿いでいるわけですが、私はうがった解釈をしていて、白梅ばかりの夜=あの世を暗示しているように思えてなりません。 辞世ですし。蕪村句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)与謝 蕪村KADOKAWA 私は初春を寿ぐような気持ちの余裕は無く、迫りくる年度末の殺人的忙しさに震え慄いています。 32年働いても年度末の忙しさには慣れることが出来ません。  神経...
文学

年の瀬

今日から6日間の年末年始の休暇に入りました。 初日の今日はまずは大掃除。 とは言ってもリフォーム直後で、しかもリフォームに併せてお掃除本舗に換気扇、エアコン、サッシの掃除を依頼し、すでに済ませていたので、どうということはありません。 念入りに掃除機をかけ、テレビ台や箪笥などの台になっている部分を拭き、風呂、キッチン、洗面所等の水回りを磨いたくらいです。 9時に始めて11時前には終わりました。 広くもない4LDKのマンションに大人二人で住んでいるので、そんなに汚れることもありません。  お昼は近所に最近出来たあっさり塩とあっさり醤油だけのラーメン屋で塩ラーメンを食しました。 私も同居人もラーメンはあっさり系が好みなので、嬉しいかぎりです。 有名な家系とか二郎系とかのこってりラーメンは一度も食べたことがありません。 その後しばし昼寝。 14時頃に起きて、そごう千葉店に出かけました。 私の実家に持っていくお年賀の赤白のワイン、自宅用の栗焼酎を購入。 普段は米焼酎を飲んでいますが、栗焼酎はブランデーのような甘い香りと芳醇な味わいが楽しめる逸品で、私の好みです。 さらに正月用のお花を買いました。...
文学

秋の酒

なんだか急に寒くなってきました。 秋がほとんど無いまま冬が訪れようとしています。 この季節、燗酒や焼酎のお湯割りが旨いため、つい飲みすぎてしまうこともあります。 しかしかつてのような無茶な飲み方をしなくなったというか出来なくなったため、二日酔いになるほど呑むことはありません。 白玉の 歯にしみとおる 秋の世の 酒は静かに 呑むべかりけり このブログで秋になると一度は紹介している敬愛する歌人、若山牧水の短歌です。若山牧水歌集 (岩波文庫)一彦, 伊藤岩波書店 コロナになってからほぼ宴会は無くなり、宴会が好きという人はあまりおらず、ましてや職場の宴会など苦痛でしかありません。 仕事だと思って嫌々出席するというのが多くの人の本音なのではないかと思います。  本当に呑みたい酒は独りで、あるいは気の合う数人で呑むものと決まっています。 今宵も同居人と二人だけの酒を楽しみたいと思います。
文学

失われた時

3連休あけの月曜日。 気分が良かろうはずがありません。 辛い一日を無事乗り越えました。 それはさておき。 阪神タイガースが38年ぶりに日本一に輝いたそうですね。 38年前と言えば私は16歳。 ずいぶん長いこと日本シリーズ制覇から遠のいてたのですね。 私が16歳の時、阪神ファンは道頓堀に飛び込んだり、自転車やカーネルサンダースを道頓堀に放り投げたり、やりたい放題でした。 正直、テレビで見るそれらの光景は不快でした。 16歳といえば、精神の漂流が始まった頃でした。 日々の憂鬱な感情は常態化し、時折来る激しい高揚感に戸惑っていました。 考えてみればその頃から躁鬱気質だったのかもしれません。 表面上は楽し気に過ごしているように繕っていましたが、実際は真逆でした。 青春の憂鬱と言うんでしょうか。 一匹狼と言うほどではありませんでしたが、私は群れることが嫌いで、中学、高校、大学と、部活動やサークル活動は一切しませんでした。 親しい友人は少しいましたが、基本的に一人を好みました。 そのため私は結婚を決めるその瞬間まで、生涯独身でいようと思っていました。 しかし縁というのは不思議なもので、なんとなく付...
文学

今日は中秋の名月。 あいにく千葉市の空は曇り模様。 お月見というわけにはいかないようです。 春は憂いの季節であり、秋は物思いの季節。 人にとって過ごしやすい季節にメランコリーに沈むのはなぜでしょうね。 暑くも寒くもない季節は、心に余裕が生まれて、無駄に感傷的になるのかもしれません。 秋と言えば古い話で、1985年、私が高校一年生の秋に阪神が日本一になり、バカ騒ぎする関西の方々をテレビで見て、この狂乱は季節が生んだのではなかろうかと感慨深く感じたことを思い出します。 機会をとらえて憂いを吹き飛ばそうとでもするかのように。 月と言えば言わずと知れた大江千里の百人一首の短歌、月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねどが思い浮かびます。 「古今和歌集」に見られます。新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)高田 祐彦KADOKAWA また、「海潮音」に見られるヴェルレーヌの詩に、「落葉」があります。 秋の日のヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。 鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。  げにわれは うらぶれて ここか...
スポンサーリンク