文学

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人魚

もうすっかり秋ですねぇ。 この前の土曜日には、稲毛の浜を散策しました。 秋の海。 なかなか風情があります。 秋の暮 大魚の骨を 海が引く 西東三鬼の句です。西東三鬼全句集三橋 敏雄沖積舎 秋の海で、大きな魚の骨が海を引いていく、ということかと思います。 稲毛の浜は内海ですので、たいした波とてありませんが、まるで私自身が海に引きずり込まれるような錯覚に陥る句です。 もしかしたら、私は何もかも投げ出して海に引きずり込まれ、大海を自由に泳ぐ、男ながらの人魚になりたいのかもしれません。
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ノーベル文学賞作家の少女小説

昨夜、川端康成先生の少女小説、「親友」を読みました。 なにしろ子供向きに書かれた小説ですから、たいへん読みやすいものでした。 それでいて、川端康成先生らしい、文学的香気にあふれた佳作だったと思います。親友 (小学館文庫)川端 康成小学館 川端康成先生の、いわゆる純文学作品は、今も文庫本などで容易に手に入りますが、結構書かれていたという少女小説は、あまり見当たりません。 そういう意味では、貴重な復刻です。 私はかつて、戦前の少女たちに人気を博したという雑誌、「少女の友」復刻版で「乙女の港」という少女小説を読んで、感銘を受けたことがあります。完本 乙女の港 (少女の友コレクション)中原 淳一実業之日本社 これは、戦前の女学生たちの間で流行したという、S(sisterの略)という、少女同士の疑似恋愛を描いたものです。 昨夜読んだ「親友」は、もう少し幼い、中学1年生の少女たちの物語で、時代もややくだって、戦後、昭和25年頃を舞台にしています。 中学の同級生で、顔も背丈もそっくり、誕生日まで一緒だった2人の少女と、家族や先生との間の短い物語です。 夏休み、鵠沼の海岸近くの親戚の家で2人で滞在して...
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銀婚式

昨夜は篠田節子の「銀婚式」という小説を読みました。 文庫本で380ページほどですが、一気に読みました。 タイトルからいって、夫婦の25年間の物語を想像すると、肩透かしをくいます。銀婚式 (新潮文庫)篠田 節子新潮社 これは、地味な男の、普通の物語だといえるでしょう。 一流大学を出て、証券会社に勤め、ニューヨーク支社で働く高澤。 しかし、妻は米国生活に慣れず、気鬱に沈み、幼い息子を連れて帰国してしまいます。 やがて、離婚。 ほどなくして、証券会社が倒産。 その後中堅の古い保険会社に再就職しますが、古臭い社風にあわず、リストラされてしまいます。 つてを頼って仙台のおバカ私立大学で経済学を教える教員になります。 ここで、おそろしく勉強の出来ない学生たちの指導に悪戦苦闘したり、事務職の若い女との恋愛沙汰があったりします。 また、大学受験を控えた息子の相談に乗ったり、別れた妻が親の介護に疲れているのを助けたり。 大学に合格した息子がデキ婚したり。 何気ないようで、じつは結構たくさんの問題が発生する、普通の人生が、淡々と綴られていきます。 圧倒的多数の人々は、普通の人生を生きているわけで、そこに、...
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「月光」あるいは悪と赦し

昨日、ひどく後味の悪い小説を読みました。 「月光」という作品です。月光 (中公文庫)誉田 哲也中央公論新社 R18学園ミステリーという触れ込み。 R18というとおり、性描写、残酷描写がけっこうひどいです。 受け付けない人は、これだけでダメでしょうね。 しかし、私には、非常に印象の残る作品でした。 後味が悪いだけではない、力のある作品で、その力が、今日の私を落ち込ませて、仕事も手につきませんでした。 ある作品に接して、その後何日も落ち込むことがたまにあります。 それは小説でも、映画でも。 過去に一番ひどかったのは、高校三年生の時に見た、ベトナム戦争を描いた「プラトーン」。 それを見た翌日、学校で、「どうしたの?」と心配されるほど落ち込みました。 その時は翌日もう一回見るという荒療治に出たのを覚えています。プラトーン トム・ベレンジャー,ウィレム・デフォー,チャーリー・シーン,ケビン・ディロン,フォレスト・ウィテカー20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 「月光」は、美しい女子高生の死をめぐる物語です。 同級生男子にバイクではねられて事故死してしまった女子高生。 その妹が...
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アクセス

昨日、ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞したという小説を読みました。 「アクセス」です。アクセス (新潮文庫)誉田 哲也新潮社 うーん、微妙。 インターネットが登場してから、この手の作品はやたらと増えましたが、なかなか上質のものは生まれません。 少年少女たちの冒険譚として読めば、恋あり、女同士の友情あり、援助交際にいそしむ美少女ありで、そこそこ楽しめますが、あくまで子供向きのような気がします。
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プラージュ

今日は職場が電気設備点検のため、臨時のお休み。 3連休になりましたが、体調が悪く、ほぼ引きこもりです。 で、小説を読みました。 「プラージュ」という作品です。プラージュ (幻冬舎文庫)誉田 哲也幻冬舎 一階が昼は定食屋、夜が飲み屋になる飲食店で、その名前がプラージュ。 二階は7部屋あるシェアハウスになっています。 このシェアハウス、ちょっと変わっています。 住民は全員前科者。 そして、部屋にドアはなく、カーテンがあるだけです。 ここでの様々な出来事を描いた、一種の人情喜劇のような印象ですが、ラストは衝撃的です。 前科者がなかなか社会に受け入れられずに苦しむ姿が、乾いた印象で語られます。 犯罪を犯した過去はかえられないとしても、罪を償い、再スタートをきろうとしている人々への差別は許されるのか、と鋭く問いかけます。 ちなみにプラージュとはフランス語で海辺のこと。 海と陸地の狭間に、犯罪者との社会との断絶を象徴させているようです。 本来重くなるテーマを、読みやすくて面白いエンターテイメントに仕上げた技量はたいしたものだと思います。
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千年

来週の火曜日、8月22日は私の誕生日。 48歳になります。 48年なんて、長い歴史から見ればわずかな期間です。 人間の歴史は宇宙の歴史からみれば一瞬ですが、それでも、現在を生きる私としては、とてつもなく長い年月の積み重ねに感じます。 そういえば、子供の頃は冷房は居間にしかなく、扇風機だけの自分の部屋で眠らなければならない真夏は過酷でした。 学生の頃、実家が農村の友人宅を尋ねたら、トイレは水洗になっておらず、築100年の茅葺の家で、まるで日本昔話のようだと驚いたことがあります。 台所は土間で、居間は板の間で囲炉裏がありました。 近年の技術の進歩はすさまじい勢いで、情報環境をはじめとして、30年前の暮らしと現在とでは、大きく異なっています。 今私がこうして当たり前のようにアップしているブログも、ほんの20年ほど前までは、ほとんど見当たりませんでした。 時代は移ろい行くようです。 そう思うと、千年も昔のことなど、想う術とてありません。  千年を 世界の人の あゆみける 路ほそぼそと 眼にうかび来る    窪田空穂の短歌です。 千年の歩みなんて、眼には浮かびませんが、壮大な歌だと思います。窪田...
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終戦

今日は終戦記念日。 例年であれば、狂気じみた暑さに襲われますが、今日はしとしと雨。 涙雨、でしょうか? 終戦のち 一年を過ぎ 世をおそる いきながらへて 死をもおそるる  齋藤茂吉斎藤茂吉歌集 (岩波文庫)山口 茂吉,佐藤 佐太郎,柴生田 稔岩波書店 たゝかひは 永久(トハ)に やみぬとたゝかひに 亡(ウ)せし子に告げ すべあらめやも  釈迢空釈迢空全歌集 (角川ソフィア文庫)岡野 弘彦KADOKAWA/角川学芸出版 72年目の終戦記念日を迎え、とくに思うところはありません。 戦時中、戦争協力をしたことで、戦後、反省の日々をおくった齋藤茂吉。 反省などしなくてよいのに。 祖国が総力戦に突入してしまったら、祖国の勝利を信じて出来うるかぎりの協力をするのがどこの国でも当たり前なのに。 それを許さないGHQ、そしてわが国の戦後の言論空間が怖ろしいです。 切ないですねぇ。 義理の息子を戦争で亡くした釈迢空。 義理の息子と言いながら、事実上は同性の恋人でしょう。 老いた歌人であり国文学者であった彼には辛いことでしたでしょう。 この趣の異なる二首を紹介して、終戦記念日の記事に代えたいと思います。に...
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盛夏

昨日、今日と、いよいよ暑くなってきました。 まさしく、盛夏。 もう20年も、日焼けすらしていない軟弱者の私にしてみれば、死を連想させるような過酷な季節です。 蝉は鳴き、命の盛りのような盛夏に、死が感じられるとは不思議なものです。 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 俳聖、松尾芭蕉の句です。 俳聖もまた、蝉の声に死を感じていたのでしょうか。 しかし、夏は短く、儚くもあります。 この狂い死にしそうな季節を、どうやってやり過ごそうかと思っているうちにも、盛夏は終わってしまうのでしょうね。にほんブログ村 人文ランキング
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死後の恋

心中というと、相愛の男女がその恋の至純であることを証し、さらには来世で結ばれることを願って一緒に自殺する、というのが一般的な概念かと思います。 その他には、生活苦などから家族で同時に自殺する一家心中。 さらには子供や、老いた親などを殺して、後に自殺する無理心中などがあります。 相愛の男女による心中を美化するような文学作品もありますが、一般には許されざる行為です。 死んで花実が咲くものか、と申します。 生きていればこそ、結ばれる時もくるでしょう。 目の前の愛欲に惑わされ、ヒロイックな自己陶酔に陥って、男女が一緒に死ぬなど、他人から見れば滑稽でしかありません。 しかし死に逝くその間際に、恋しい人への想いを形にする、となるとまた話は別でしょう。 大正から昭和にかけて活躍した、幻想的な作品を得意とした夢野久作の短編に「死後の恋」というものがあります。死後の恋: 夢野久作傑作選 (新潮文庫)夢野 久作新潮社 革命の嵐が吹き荒れるロシア。 ウラジオストックで、キチガイ紳士と呼ばれる元ロシア貴族を自称する男。 この男が駐留していた日本軍の将校に独り語りする、という形式で物語は進みます。 夢野久作独特...
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なぜか悲しき

今日は雨後曇りで、かなり涼しく、過ごしやすい一日でした。 今年は空梅雨でしたが、なんだか梅雨が戻ってきたような。 あぢさゐや なぜか悲しき この命 久保田万太郎の句です。 一般に儚さを感じるのは、桜と相場が決まっていますが。 かの俳人は紫陽花に儚さと悲しさを見たようです。 梅雨時に咲く珍しくも美しい花に、それを感じたんでしょうね。 あまり自分を語らなった三島由紀夫も、紫陽花を好むと言う旨のエッセイがあります。 文人に愛される花なんでしょうか。 私は命のはかなさを紫陽花に感じる心性は持ち合わせてはいませんが、言われてみれば、梅雨時の花というのは、桜のような華やかさと逆の、いわば陰の美しさみたいなものがあるように感じます。 その紫陽花ももう散りました。 やっぱり悲しいような気がします。久保田万太郎全句集久保田 万太郎中央公論新社にほんブログ村 人文ランキング
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豆の上で眠る

今日はのんびりと自宅で読書をして過ごしました。 読んだのは、湊かなえの「豆の上で眠る」です。 大学生の姉妹。 物語は、妹が大学生の現在の生活と小学生の頃の記憶を追憶する場面が同時並行的に描かれながら進みます。 小学校3年生の頃、姉は謎の失踪をとげ、2年後、ふいに戻ってくるのです。 しかし妹の目には、帰ってきた少女が姉だとは思えません。 姉の偽者としか。 いったいどういうことか、分からないまま物語は進み、唐突に、真実が語られます。 やや強引な感じがする筋立てです。 一気に読んでしまいましたが、ミステリーとしてはやや破綻しているように感じました。豆の上で眠る (新潮文庫)湊 かなえ新潮社
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短夜(みじかよ)

梅雨明けはまだ宣言されていませんが、このところの陽気を見るかぎり、もう梅雨はあけているようです。 今年はあまり雨が降らなかったように感じます。 秋の夜長に対して、夏は短夜(みじかよ)と言われます。 夜長に比べて暑苦しいイメージがある季語ですが、夏には夏の風情があり、それを感じさせてくれます。 もっとも、現代ではエアコンが普及していますから、熱帯夜で寝苦しいということもないのではないでしょうか。 私ももう四半世紀ばかり、夏の夜は冷房を入れっぱなしで、寝苦しい夜はせいぜい大学生くらいまでの、昔の思い出に過ぎません。 みじか夜の 残りすくなく ふけゆけば かねてものうき あかつきのそら 「新古今和歌集」にみられる短歌です。 これは夏の夜に恋しい女性のもとに行き、その逢瀬を楽しみながらも、夜の短さを恨むというものです。新古今和歌集―ビギナーズ・クラシックス (角川ソフィア文庫 88 ビギナーズ・クラシックス)小林 大輔角川学芸出版 恋の歌と思えば、物憂さもどこかメランコリックな心地よさがあるのでしょうが、疲れた中年サラリーマンの私には、そんなロマンティックな味よりも、朝が来てしまい、また出勤し...
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母性

今日は出勤しても急ぎの仕事が無いことが分かっていたので、あらかじめ休暇を取っておきました。 今日も引き続き暑いので、自宅冷房を効かせ、読書をして過ごしました。 湊かなえの「母性」という小説を読みました。母性 (新潮文庫)湊 かなえ新潮社 母と娘をめぐる物語で、読みやすくて、グイグイと読めました。 女子高生の娘が飛び降り自殺を図るところから物語は始まります。 母と娘、それぞれの独白という形式で物語は進みますが、同じ物事でも母と娘の間で受け取り方が全く異なり、親子といえども他人じゃなぁ、という思いを強くしました。 自分以外の人間という意味では、親子であろうと夫婦であろうと親友であろうと、全て他人です。 親しき仲にも礼儀ありではないですが、親しい仲でも、人間関係の要諦は、赤の他人と接するのと同じことです。 相手を尊重すること、自分の考えや意見を押し付けず、意見の違いを認めること。 冷たいようですが、そうすれば親子喧嘩や夫婦喧嘩など起きないと思います。 子供の頃は別として、私は親子喧嘩も兄弟喧嘩も夫婦喧嘩もしたことがありません。 簡単なことです。 相手は他人だということを肝に銘じれば良いのです...
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怖いお話

私は幼い頃から、不思議な話や怖い話が大好きで、それは今も変わりません。 考えてみれば、文学の祖とも言うべき神話は、洋の東西を問わず、不思議な物語の連続です。 また、源氏物語にしても、お能の曲にしても、古典文学の場合、多くが、死霊や生霊、化け物が登場します。 物語の本質は、この世ならぬものへの憧れや予感にあると言ってもよいでしょう。 明治維新以降、わが国文学は西洋の影響もあってか、不可思議なお話よりもシリアスな物語が増え、特に私小説などと呼ばれる分野は、貧乏自慢や自己憐憫のようなもので、文学の正統性が失われた感があります。 現在はシリアスなものから不思議なものまで様々あり、何が文学の正統かなんて、考える意味もなくなりました。 良い時代なんだろうと思います。 お好みの物語を堪能すれば良いのですから。 私がどうしてこれほど不思議な話や怖い話を好むのか、よく分かりません。 しかし、不思議な話や怖い話にこそ、人間の本質である、欲望や願望、恐怖、祈りなど、が隠されているように思うのです。 優れた物語に接すると、本当に幸せな気持ちになります。 だから私は、本であれば小説ばかり読みますし、映画であれば...
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