文学

スポンサーリンク
文学

立冬

今日は立冬ですね。 心なしか冬の香が漂ってきたような。  私はスリムだった頃、夏以外はみな寒く感じました。 20キロ増えた今は、冬以外の季節は暑く感じます。 どちらが楽かといえば、今の方が楽ですねぇ。 寒いのは辛いですから。 体重が増えた効用です。  大切な もの皆抱へ 冬に入る 黛まどか 私はこの俳人の、反則すれすれの句が気に入っています。 現代俳句の新しい地平でしょう。 現代語で短歌をひねる俵万智とは似て非なるものです。 俵万智の短歌はおそらく時代とともに風化していくものと予想しますが、黛まどかの俳句は平成の俳句刷新として長く文学史に語り継がれるでしょう。  団栗の 拾はれたくて 転がれり 黛まどか こちらは厳密に言えば秋の句ですが、立冬の時期が気候で言うと秋真っ盛りですから、堅いことは抜きにしましょう。 むしろ今の時期、秋の季語で句を詠むのが季節の実感に合っていると言えるでしょう。 これから日ごとに寒くなっていくのが、なんだか楽しみのような気がします。 首都圏くらいだったら、夏より冬のほうがすごしやすいですからねぇ。 そういえば知り合いの某ニュー・ヨーカーが、「東京に冬はない、長...
文学

サラリーマンの悲劇

サラリーマンの悲哀を描いた小説はあまたあれど、これ以上ない、というほどのサラリーマンの悲劇を描いた文学作品といえば、カフカの「変身」に止めをさすでしょうねぇ。 ワーカ・ホリック気味の猛烈サラリーマン、グレゴール・ザムザが日頃の勤労から疲労し、寝坊してしまいます。 ドア越しに母親が声をかけて目を覚ましますが、何かが変です。 どうも背中が甲羅みたいになっています。 グレゴールは巨大な虫に変身してしまったと知れました。 しばらくは部屋に閉じこもって自分が虫になったことを隠していましたが、ばれないわけがありません。 グレゴールの給料だけで両親と妹との4人家族を養っていたのに、グレゴールが職を失い、それまで一家の大黒柱として尊敬されていた彼は、家族から毛嫌いされる存在になってしまったのです。 仕方なく、老いた父親はグレゴールが勤めていた銀行の下働きに出、妹は売り子になり、それでも足りずにグレゴールの部屋に家具をどんどん運び込み、空き部屋を作って下宿屋を始めます。 下宿人にグレゴールの存在がばれたら大変と、グレゴールは家具だらけになった自分の部屋にうずくまったまま、腐ったパンやチーズを与えられ、絶...
文学

舞姫

「舞姫」といえば、言わずと知れた森鴎外初期の名作であり、高雅な擬古文調で詠いあげられる悲恋の物語です。 私はこの作品を思い出すと、ある居心地の悪さを感じます。  私が通っていた高校では、二年間ですべてのカリキュラムを終え、三年生になると細かいコース別のクラス編成となり、しかも三年生は毎日午前中のみで下校。 午後は自主的に勉強せよ、という意味ですが、神宮外苑という好立地から、渋谷だ新宿だへふらふらと遊びに行く者も多かったですね。 私も含めて。 私が選んだ科目の組み合わせの結果入ったクラスは、女子が40人、男子が5人と、極端に偏っていました。 もちろん、物理や数学など理系コースに行くと、私のクラスとは真逆の現象が起きています。 学校全体の男女比は5:5でしたから、二年生までは男女同数、三年生になると男子ばっかりのクラス、女子ばっかりのクラス、ほぼ同数のクラスと、ばらばらになるのです。 で、その女子ばっかりのクラスで、現代国語の時間に、おじいちゃん先生が「舞姫」を選んだのです。 学習指導要領で定められたカリキュラムは終わっているので、先生は好き勝手にやりたい題材をもってきます。 「舞姫」とい...
文学

どくとるマンボウ

どくとるマンボウの愛称で有名な北杜夫が84歳で亡くなったそうですね。 医学博士であり小説家であり双極性障害(躁うつ病)患者でもあった、わが国文学界の言わば異端児でした。 北杜夫です。 躁が激しい時に株取引で破産も経験しているとか。 躁状態時に金遣いが荒くなることはよく知られています。 私も半年程度の激躁時、ずいぶん無駄遣いをしました。 マンボウ・マゼブ共和国として日本国家からの独立を勝手に宣言したりして、奇行で有名でもありました。 私は「楡家の人びと」のようなシリアスなものは好まず、「どくとるマンボウ航海記」などのどくとるマンボウものを好んで読んだ記憶があります。 それまでのわが国文学には珍しい、ドライなユーモアにあふれた作品でした。 でもなんと言っても私が彼に親近感を抱いているのは、彼もまた私と同様中年になってから双極性障害を患ったとのことで、同病相哀れむの類で彼の動静を注視していたからでした。 双極性障害というのは不思議な病気です。 当初私はうつ状態となり、うつ病と診断されましたが、その後、上司からのパワーハラスメントで弁護士を立てて抗議したことがきっかけで、寝なくても平気、やたら...
文学

霜降(そうこう)

そういえば昨日は霜降(そうこう)だったのですね。 二十四節季の18番目、そろそろ霜が降りるころ、です。 牛肉の肉質のことではありません。 でも昨日はなんだか蒸し暑かったし、今日もそう冷えるというほどではありません。 初霜にはまだ三週間ばかり早いように思います。 明治の俳壇で、高浜虚子は守旧派のレッテルを張られました。 それに対して彼は、自分が守旧派だというのは他人が言っているのではなく、俳句の伝統美を守るため、自ら守旧と言っているので、それはむしろ褒め言葉だ、とへそ曲がりなことを言っています。 その高浜虚子に、霜降を詠んであまりにストレートな句があります。 霜降れば 霜を楯とす 法(のり)の城 霜が降ったなら霜を、花が咲いたなら花を感得して仏法を学ぶよすがにしようという、説教くさい句です。 私はあまりこの句を好みませんが、霜降をここまで素直に詠んだ句も歌も知りません。 そういうわけで、この時季にふさわしかろうと思ったわけです。 さて、彼の兄貴分である正岡子規は、また守旧とは異なった味わいの、秋の句とも冬の句とも見える面白いものを詠んでいます。 菊の香や 月夜ながらに 冬に入る 菊と月は...
スポンサーリンク