文学

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「エーゲ海に捧ぐ」と「僕って何」

古い話で恐縮ですが、文芸春秋が売上100万部を超えたのは、「エーゲ海に捧ぐ」と「僕って何」が芥川賞を同時受賞したときと、「昭和天皇独白録」を掲載したとき、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が掲載されたとき、金原ひとみの『蛇にピアス』と綿矢りさの『蹴りたい背中』が掲載された時の、わずか4回だそうです。 「エーゲ海に捧ぐ」と「僕って何」の組み合わせ、絶妙であったとみえます。 前者はきんきらきんに光り輝く、神話的な性愛の世界を描く耽美的なもの。 後者は学生運動に身を投じてなれないヘルメットに角材で武装して、街頭活動をやってみるものの、すぐに逃げ出して、僕って何者なんだ、と自問自答するという地味でありがちな湿っぽい青春文学。 両者は正反対のようでいて、意外にも共通点を持っているように思います。 「僕って何」の作者、三田誠広は、高校時代、学生小説コンクールでグランプリをとっています。 それがまた、くらぁい小説なのですよ。 「Mの世界」というのですが、おそらく著者自らのイニシァルからとったと思われるMなるやつがぐじぐじぐじぐじ思い悩んで、最後は自殺を図るという、わが国近代文学のつまらないエキスば...
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秋雨

雨、ですね。 けっこうしっかり降っています。 秋の長雨にならなければ良いのですが。 秋の田の 穂の上を照らす稲妻の 光の間にも 我や忘るる  よみ人しらず 稲妻が光る一瞬にもあなたを忘れない、という「古今和歌集」に見られる和歌です。 秋雨を読んだ歌は非常に少なく、「古今和歌集」「新古今和歌集」をざっと見返しても、数えるほどしかありませんでした。 一方、秋風を詠んだ歌は数多くありました。 古の人々は、秋雨にあまり趣を感じなかったものと見えます。 近代歌人はどうかというと、若山牧水には次の一首が見えるばかりです。 秋雨の 葛城(かつらぎ)越えて白雲の ただよふもとの 紀の国を見る やはり歌よみという人種は、秋雨にあまりそそられないようです。 まあ、考えてみれば当たり前で、秋は夕暮れ時や月夜が真髄。 どちらも晴れいなければ話になりません。 そういう私にしてからが、せっかくの休暇、この雨で損した気分です。新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)高田 祐彦角川学芸出版新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学...
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日本浪漫派の命日

今日は日本浪漫派の重鎮、保田與重郎の忌日です。 保田與重郎といえば、戦前戦中を通じて太平洋戦争を賛美する論陣を張り、一躍時の人となりましたが、戦後、そのために公職追放となり、1960年代に入るまで不遇の時代を過ごします。 しかし彼の本質は、日本の古典を基調にし、仏教の諦念のスパイスを効かせた、純日本的な美的感覚を身に付けた評論家であって、いわゆる軍国主義とか共産主義とか、政治的な主義主張とは関係のない人です。 靖国神社を始めとする国家神道を、日本古来の神道とは全く異なるものとしてうけつけず、軍が特攻を始めるにいたって、日本軍との蜜月は終わります。 大東亜共栄圏のために使われた国家神道は、彼が考えるもっと自然な祭政一致とあまりに異なり、結局彼は祖国が大きな戦を始めてしまった以上、勝利を信じて国家に協力することだけが、日本の美を守る道であると考えたようです。 戦後、いわゆる戦後民主主義者の平和主義とは一線を画す、「絶対平和論」を書いています。 それはわが国を始めとする東洋文明の豊饒な精神性が熟成するとき、そのときこそ絶対平和が生まれるという、社会党左派以上にイカレタ思想でした。 しかし、諦...
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不感

近頃偽装結婚というと、外国人が日本国籍をとるために行うものというイメージが強くなりましたね。 しかし以前は、同性愛者であることを隠すために男性同性愛者と女性同性愛者が行うという印象が強かったように思います。 江国香織の小説に、「きらきらひかる」という作品があります。 アルコール依存症の女と同性愛者の男がお見合いをし、なぜか意気投合して互いの秘密を知った上で奇妙な夫婦生活を始めるというものです。 これに夫の恋人である男が加わり、三人の生活はますます奇妙の度合いを深めていくのですが、作者独特の感性が、この難しい題材を瑞々しく描いて秀逸です。  後に映画化もされ、夫を豊川悦司が、妻を薬師丸ひろ子が、夫の恋人を筒井道隆が演じて、どこか乾いた印象を与えました。 同性愛者同士の男女が結婚する場合、互いにメリットがあると思いますが、この小説では女はアルコール依存症というだけで異性愛者であり、同性愛の男と結婚することは、ほとんど無意味なことであるように思えます。 しかし、子どもが欲しくないとか、そもそも性交渉に拒否感があると言う場合には、その限りではないでしょう。 三島由紀夫に「沈める滝」という小説が...
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枯淡

今日は新古今和歌集の撰者、藤原定家の命日だそうです。 床の霜 枕の氷 消えわびぬ 結びも置かぬ 人の契りに   藤原定家 霜も氷も同じことですが、床と枕とで表現を変えているのは、いかにも新古今和歌集らしい高度な技法ですね。 下の句で急に女の厭らしさが出ているのが残念です。 藤原定家です。 この時期、藤原定家といえば、次の和歌にとどめを刺すでしょう。 見わたせば  花も紅葉も  なかりけり  浦の苫屋の  秋の夕暮れ なんとも寂しげな和歌ですね、こういう枯淡の境地に達するには、どれだけの和歌を詠み、修行しなければならないのでしょうか。 もちろん私でいえば、研究教育機関での事務職が、修行にあたるわけですが、これがなかなか枯淡の境地からは程遠いのですよ。 事務員にも教員にもいやなやつはいっぱいいるし、何かと逃げ腰の管理職はいるし。 結局人にもまれるのが、私の修行なんでしょうかねぇ。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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