文学

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わがために くる秋にしも あらなくに

なんだか急に秋めいてきましたね。 日差しは強いですが、空気が乾燥してひんやりし、なんだか避暑地に来たような気分です。 体が楽ですねぇ。 待ち望んだ季節の到来なのに、どこか気分が晴れません。   わがために くる秋にしも あらなくに 虫のねきけば まづぞかなしき  古今和歌集に所収の詠み人しらずの和歌です。 自分のために秋が来るわけでもないのに、虫の声を聞くと、真っ先に悲しくなる、というほどの意かと思います。 読書の秋、食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋と、秋は様々な活動に適した過ごしやすい季節です。 にも関わらず、秋の気配を感じただけで、なんとなく、悲しくなるというのは不思議ですね。 メランコリーの秋、というものが、確かに在るようです。  おほかたの 秋くるからに 我身こそ かなしきものと 思ひしりぬれ  ひととおり秋が来るとすぐ、わが身をば、哀しい者と思い知った、というほどの意で、女性の目線で詠まれた和歌と思われます。 なんとなく、男女のことが原因のように感じられて、純粋な悲しみとは違うようです。 こちらも古今和歌集の詠み人知らずです。  秋の夜の あくるもしらず なくむしは わがごと...
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審美

安岡章太郎の小説に、「舌出し天使」というのがあります。 これを読んだのは中学生の頃のことで、もう内容もおぼろなのですが、恥ずかしながら服部達という33歳で自殺した文芸評論家をモデルにした作品だということは、大学を出るまで知りませんでした。 「舌出し天使」は戦地から帰った青年の女難めいた悲喜劇をやや自虐っぽいユーモアのスパイスを効かせた作品で、中学生の私には面白く感じられました。 もっとも、これが安岡章太郎の失敗作として評論家に迎えられているらしいのですが。 先日、服部達の「われらにとって美は存在するか」といういかめしいタイトルの遺稿集を読む機会に恵まれました。 服部達という人、その当時文芸評論家の間で流行していたマルクス主義的アプローチや、思い入れたっぷりの作家べったりな批評を拒絶し、純粋に審美的な方法を目指したとされています。 その当時は知りませんが、そんなことは私が物心ついた頃から当たり前でしたけどねぇ。 文学作品というのは作者と読者の共同作業によって出来上がる神秘体験であると意味付け、サルトルの次のような文章を引用しています。 生産者の側から見るならば、美を支えるものは想像力の働...
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台風

今日は大雨のはずだったのに、千葉市は薄曇りです。 なんだか拍子抜け。 私は7年ほど前に精神病を発病し、個人的にはずいぶん色々なことがあり、今思えば私のたましいは嵐の中にあったように思います。 しかしここ一年半ばかりは、すっかり落ち着きを取り戻し、凪いだ状態です。 高浜虚子に、 人生の 台風圏に 今入りし という句がありますが、今の私は台風圏から脱したところのような気分でいます。 そして現実の台風も、今日、私をマンションの中に閉じ込めるはずだったところ、一向に雨も風も私を襲う気配がありません。 私のたましいは、現実の台風をすら、はねつけてしまったのでしょうか。 もう、人生の台風圏に再突入するのは願い下げです。 凪いだ状態のまま、静かに、人生を泳いで生きたいものです。俳句はかく解しかく味う (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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太陽と月に背いて

私はかねてより、西洋の詩が苦手です。 翻訳すると、日本語として、こ慣れていない感じがして、どうにも恥ずかしいのです。 そういう意味では、上田敏訳の「海潮音」などは、七五調に整えられ、例外的に好む数少ない詩集です。 不思議なのは、日本人によって日本語で書かれた自由詩も、もう一つ気に入らないことです。 まして俵万智が始めた現代語での和歌など、虫酸が走ります。 やっぱり日本の詩歌は、定型の文語文がしっくりくるようです。 日本語は世界で最も詩歌に適した言語だとされますが、それも伝統に則った型にはめてこそ。 自由に作れるということは、それだけ無駄な文句が増えるというものです。 以前、といってももう16年も前ですが、フランスのデカダンス詩人、ランボーとヴェルレーヌとの葛藤を描いた映画を観たことがあります。 「太陽と月に背いて」です。 天才少年詩人、ランボーを、レオナルド・ディカプリオが演じて、その美少年ぶりはなかなかのものでしたが、映画そのものは、ゲイのポルノのように下品なものでした。ランボーです。 映画のなかで、ランボーやヴェルレーヌが自作の詩をうっとりと詠みあげるシーンが何度かありました。 私...
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黒子

予報では今日から土曜日まで雨ということでしたが、千葉は今日は曇りですね。 湿気が異常に高いのが、台風の接近を予感させます。 ピークは土曜日だとか。 マンションに籠って過ごすことになりそうです。 しかしまた、それもよし。 変に秋晴れだったりすると、何か外出しなければいけないかのようなプレッシャーに襲われます。 台風を理由に、堂々と家でだらだらしているのは、それはそれで気持ちの良いものです。 台風の 過ぎて黒子の 一つ増え 田辺レイ 面白い句ですね。 台風の間に、ストレスでほくろが増えちゃったんでしょうか。 しかし、たかがほくろ。 そこに生活の小さな悲しみを見るのは、大げさに過ぎるでしょうか。 田辺レイは昭和10年生まれと言いますから、現在76歳でしょうか。 「鱧の皮」という句集を偶然手にして、なかなか面白く感じました。  他に、  秋暑し シルバーシートに 細く坐し  雑炊の 喋り過ぎたる 舌を焼きといった句が目につきます。 いずれも生活上のそこはかとない悲しみを感じます。 古今和歌集仮名序によれば、人の心を種にして、万の言の葉より生まれける、のが和歌。 俳句も同じでしょう。 種が人の心...
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