文学

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二百十日

早いもので、明日は二百十日。 台風が多いとされる季節です。 昔の人が言うことは当たり、今、大型の台風が日本列島に向けて接近中。 土曜日には、最接近するとか。 今は気密性の高いマンションに住んでいますから、台風が来たところでなんともありませんが、子どもの頃住んでいた家は違いました。 台風がくると、まず木製の雨戸を閉めます。 雨戸を閉めれば大丈夫かというとそうでもなく、雨戸、ガラス戸が風で大きな音を立てます。 ところどころ雨漏りがするので、その下にバケツを置きます。 そんなことの一つ一つが、幼い私を、お祭りのようなわくわくする気持ちにさせました。 その実家も、私が中学1年生の時に立て替えて、台風にまつわる昭和らしい思い出は、途切れてしまいます。昭和57年、昭和が終わる7年前の出来事です。 夏目漱石に「二百十日」という小説がありますね。 阿蘇登山の間抜けな顛末を語りながら、主人公の金持ち批判、庶民に頭の革命を起こす、といった血気盛んな感じと、相棒の、のんびり観光を楽しもうという態度が対照的で、落語の「長短」を聞くような滑稽味があります。 夏目漱石が神経症的な作品を連発する前の、乾いた文体が魅...
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侏儒

昨夜ニュースで民主党代表選挙の様子を見ていて、民主党の国会議員が400人ちかくもいて、その中から一人だけ選ばれるというのは、どういう気持ちがするのだろうと、不思議な感慨を覚えました。 民主党から立候補して落選した人、野党議員、浪人しながら国政を目指す人、そういうたくさんの人の頂点に立つのだから、たいへんなことです。 まして国会議員なんて、いずれ劣らぬ狸ぞろい。 権謀術数や謀(はかりごと)など、お手の物でしょう。 そこで、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の一節を思い出しました。 宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火(りんか)に過ぎない。況(いわん)や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。芥川龍之介です。  続いて、詩人は真理を謳い上げたとかで、次のような正岡子規の和歌を引用しています。 真砂なす 数なき星の その...
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涼しい

今日は馬鹿に涼しいですねぇ。 曇って気温が低く、湿度もあまり高くありません。 半そででは寒いほどです。 今年は震災に伴う原発事故の影響で節電ということが厳しく課されましたが、なんとなく乗り切ってしまいそうです。 もう、ぎらぎらの夏は終わったんでしょうねぇ。 残暑もきつくはなさそうです。 去年の猛暑が嘘のようです。 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは かたへすずしき 風やふくらむ 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌で、古今和歌集に見られるものです。 大意は、夏と秋が空の路を行き交っている、片方からは涼しい風が吹いてくるだろうか?、というほどかと思います。 季節の変わり目、夏と秋がせめぎ合っている感じがよく出ていますね。 夏ごろも たつ夕風の すずしさに ひとへに秋の 心地こそすれ 橘敦隆の歌です。 解説の必要はないでしょう。 秋が近付いた晩夏の夕風を優雅に詠んでいます。 ここでちょっと変わったのを。 わが夏を あこがれのみが 駈け去れり 麦藁帽子 被りて眠る少年の わが夏逝けり あこがれし ゆえに怖れし 海を見ぬまに 上記2首は寺山修二青春歌集に見られる歌です。 少年期をメランコリッ...
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新入生に読ませたい

数年前でしたか、東京大学教員に、学部問わず、新入生に読ませたい本は何か、というアンケートをとったことがありました。 一位をとったのが、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でした。 この結果をどう考えればいいんでしょうね。  俗物の地主と、三人の息子をめぐる物語。 長男は放埓な退役軍人、二男はニヒルな無神論者、三男は純真で真面目な修道僧。 彼らが異性の問題、信仰の問題、社会制度の問題、ついには親殺しの問題にまで手を広げた、小説に詰め込める要素をすべて詰め込んだ総合小説ともいうべき大作です。 骨太な大作ではありますが、私には毒気が強すぎたようで、読後しばし落ち込みました。 作り物めいた虚構の美を歌う幻想文学や浪漫文学に慣れ親しんだ私には、あまりに鋭利な刃だったのです。 東大の先生が学部関係なくこれを読めということは、過酷な、身も蓋もない現実を見据えて、力強く生きよということなのでしょうか。 それはあんまり学生を買い被ってはいませんかねぇ。  いやなものからは目を背けたいのが人の性。 それをことさらに取りだして並べなくたって、生きているだけで分かってきましょう。 私が東大の先生なら、迷う...
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パパ・ダイキリ

この前の記事で、今日は愛酒の日だと書きました。 そこで外国の文学者で酒好きというと、中国の李白、米国のバロウズ、ヘミングウェイ、フランスのヴェルレーヌなどが浮かびます。 欧米の文学者は誰でも大抵酒飲みのイメージがありますね。 四六時中飲んでいる李白の詩を一つ。 春日 酔いより起きて志しを言う 世に処(お)ること 大夢の若し 胡為(なんす)れぞ 其の生を労するや 所以に終日酔い 頽然として前楹に臥す 覚めて来たって庭前を眄(なが)むれば 一鳥 花間に鳴く 借問す 此れ何れの時ぞ 春風 流鶯に語る 之に感じて歎息せんと欲す 酒に対して還(ま)た自ら傾く 浩歌して明月を待ち 曲 尽きて已に情を忘る この世は胡蝶の夢の如きもの、人生なにをあくせくと過ごす必要があろうかと、またまた酒に酔いつぶれていた李白が、酔いから醒めてふと庭先をなにげなく眺めやると、花の間で小鳥が一羽さえずっています。 李白が、「いまはいつ頃だろうか」とつぶやいたとき、枝々を飛びまわる鶯の鳴き声が春風にのって聞こえてきました。 李白の耳にはその鳴き声が「春だ、春だ、命に満ちた春の日だ」と聞こえ、彼は、生命の春を大いに満喫しよ...
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