文学

スポンサーリンク
文学

愛酒の日

今日、8月24日は私が偏愛する歌人、若山牧水の誕生日だそうで、大の酒好きだった歌人にちなんで、今日を愛酒の日と称しているそうです。 歌人の中でも若山牧水ほど多く酒の歌を詠んだ人も少ないでしょう。 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり この歌は、おそらく和歌史上、最も優れた酒の歌でしょう。 膳にならぶ 飯しも小鯛も 松たけも 可笑しきものか 酒なしにして 酒がない食事など食事じゃない、と言っているようなもので、酒好きの私には腹に落ちますねぇ。 酒があると肴はより旨くなり、肴が旨いと酒はより旨くなるのですよねぇ。 減量中の私には残酷な歌です。 人の世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ ここまでくると、なんだか意地汚い感じがしますねぇ。 酒に勝る楽しみは何もないというのですからねぇ。 彼は酒毒にあたって43歳で亡くなりますが、アルコール中毒で苦しんだという話は聞いたことがありません。 多分アル中になる前に肝臓がやられて死んじゃったんでしょうねぇ。 死んでも飲みたいとはまさにこのこと。 酒ほしさ まぎらはすとて 庭に出でつ 庭草をぬくこの 庭草を...
文学

処暑

今日は処暑ですね。 二十四節気では、暑さがゆるむ頃。 そうはいっても昨日までの涼しさが嘘のように、気温が上がっています。 今日は珍しく、昼休みのひととき、漢詩をひもといてみました。 学生時代、必修の漢文学概論というのが非常に厳しく、返り点なしの白文で読めるようにならないと単位がもらえないということで、かなり勉強したのですが、一年目は単位を落としてしまい、それがトラウマになったのか、その後漢文は敬して遠ざけてきました。「秋夜将に暁けんとし、籬門を出でて涼を迎ふ、感有り」 迢迢たる天漢 西南に落ち 喔喔たる隣鶏 一再鳴く 壮志 病んでより来(このかた) 消えて尽きんと欲す 門を出で首を掻いて 平生を愴(いた)む 原文だと読みにくいので、書き下し文に直しました。私なりに訳してみると、以下のような意かと思います。 はるか遠くの銀河は西南の空に落ちていき コッコッと隣の家の鶏が一声二声と鳴いている。 国を憂う、まだ壮年の私だが、病気をして以来、どうにも気力が出て来ない。 門を出て頭を掻きながら、人生を悲しむより他はない。 南宋(平安後期)頃の代表的な詩人、陸游の漢詩です。 たいそうな国士だったそ...
文学

鵜飼船

今はもうおばちゃんになっちゃったパフィーちゃん。 激売れしているときは、奥田民生から、「お前らは鵜飼いの鵜だ、飲まずに吐き出せ」と発破をかけられたとか。 鵜とは切ないものですね。 主人から搾取される、資本主義の悪魔を象徴しているような鳥です。 むば玉の 闇のうつつの 鵜飼舟 月のさかりや 夢もみるべき   藤原家隆 「壬二集」(玉吟集ともいう)に所収の和歌です。 闇夜を徹しておこなわれる鵜飼舟。 鵜飼を渡世とする者たちにとっては、闇こそがこの世の現実なのでしょう。 月の明るい晩には、やすらかに寝て夢を見ることもあるのでしょうか。 鵜飼いは春から晩夏にかけて行われ、この季節が終わればいよいよ秋。  そういえば、今日は馬鹿に涼しいですね。 涼しい雨がぱらついています。 職場のエアコンはかかっていませんが、それにすら気付かないほど快適です。 節電だなんだと騒いでいましたが、世は確実に秋に向かっているようです。百首歌の世界 不遇の中の詩心中尾 彰男さんこう社にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

ひまわり

今日も千葉は暑かったですねぇ。 お盆は過ぎてもまだまだ夏は続きます。 夏といえば、ひまわり。 ひまわりの毒々しい色、びっしり詰まった花弁、一面に咲き誇る姿、どれも私には暑さを倍加させる、気味の悪い特徴に思えます。 だから私は、ソフィア・ローレンの名画「ひまわり」のラストが気に入りません。 なんだか薄気味悪いではないですか。 向日葵の ゆさりともせぬ 重たさよ  北原白秋 暑そうですねぇ。 風も吹かないのですね。 しかしその重たさ、晩夏に違いありません。 重たいひまわりは、秋の訪れを誘うものでもあるようです。 髪に挿せば かくやくと射る 夏の日や 王者の花の こがねひぐるま  与謝野晶子 こちらは盛夏の趣ですね。 日周りとも書いたというこの夏の花。 その花を髪飾りにして、王者の花を誇ったのですね。 歌人自身も若く美しく輝き、王者の花は歌人を神々しく彩ったことでしょう。 夏の終わりはどこかさびしく、王者の花はもうその輝きを失いつつあります。  その寂しさを超えたなら、過ごしやすい秋の到来。 待ち遠しいですねぇ。白秋 青春詩歌集 (講談社文芸文庫)三木 卓講談社新選 与謝野晶子歌集 (講談社...
文学

細君譲渡

文学者のゴシップといえば、谷崎潤一郎が妻を佐藤春夫に譲った細君譲渡事件が有名ですね。 それが世に発表されたのは、今から81年前の今日、昭和5年8月19日のことでした。 某有名新聞に、谷崎夫妻及び佐藤春夫の3名連名で発表されたから、世間はびっくりぎょうてんです。 我等三人この度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、潤一郎娘鮎子は母と同居致すべく、素より双方交際の儀は従前通りに就き、右ご諒承の上、一層の御厚誼を賜りたく、いずれ相当仲人を立て、ご披露に及ぶべき候えども、取敢えず寸楮を以ってご通知申し上げ候。(抜粋) 谷崎潤一郎は千代と結婚するも、不埒にもすでに夫がいる千代の妹に懸想し、千代との仲は冷え冷えとします。 そこにやはり夫婦仲の悪かった佐藤春夫が割って入り、千代に同情し、やがて恋情を抱きます。 数年間の紆余曲折を経て、佐藤春夫も谷崎潤一郎も離婚、佐藤春夫は元谷崎夫人の千代と結婚。 谷崎潤一郎は晴れて独身を謳歌することになります。 よくあることと言ってしまえばそれまでですが、高名な作家同士のことで、当時のゴシップ紙は飛びついたことでしょう。 例えば、今、平野啓...
スポンサーリンク