文学

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梅雨明け

今年は早くも梅雨があけて、暴力的なまでに強烈な陽射しが降り注いでいます。 昨日ははるばる日本橋の三井記念美術館まで足を運びましたが、今日は冷房を効かせたマンションから出ることができません。 まことに狂気じみた暑熱で、我が家に節電という言葉は存在しえません。 この必ず訪れる過酷な暑さを、古人はどう過ごしていたのでしょうね。 入道の 裸うとまし 竹婦人   内藤鳴雪 入道はもともと坊主になって修行する人のことですが、この句ではむさくるしい大男と思えばよいかと思います。 竹婦人とは竹で編んだ抱き枕で、涼をとるための物です。 大男の裸が鬱陶しい、と竹婦人が思うほどの、うだるような熱帯夜を、洒落た句で表現していますね。 なるほど古人は、こんな風に熱帯夜を過ごしたのでしょうね。 ゆるやかに 着てひととあふ 蛍の夜   桂信子 こちらはぐっと意味深な句ですね。 浴衣をゆるやかに着て蛍の夜にひとと会うというのです。 夏の夜のデートでしょうか。 暑いのがかえって肉感的な興趣を高めています。 こんな過ごし方なら、蒸し暑い夜も、心騒ぐものとなりましょう。   しかしすだれをかけても風鈴を鳴らしても打ち水をし...
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七夕

今日は七夕ですね。 織姫と彦星が一年に一度のデートを楽しむ日。 でも年によっては、けんか別れすることもあるんでしょうか。 そしたらまた一年会えずじまい。 けんかは避けたいところですね。  七夕といえば幼稚園なんぞで願い事を書いて笹にぶら下げました。 私はひねくれたガキだったので、願いがかないますように、と書きました。 そうすれば何でもかなうはずだと思ったのです。 ささがにの 蜘手にかけて 引く糸や  けふ七夕に かささぎの橋 西行法師の歌です。 蜘蛛を手にしていると糸を引いている、今日の七夕に橋をかけるというカササギの翼へまでも、といったほどの意かと思います。 幻想的で雄大な歌ですね。 与謝蕪村のユーモラスな句も味があります。 ところてん 逆しまに銀河 三千尺 ところてんを食うのは銀河を逆さまにすすっているようだ、という意でしょうか。 銀河は七夕頃の季語とされているようです。 同じ与謝蕪村の句で、もう少し切ない句を。 恋さまざま 願いの糸も 白きより テレビドラマやバラエティーを観れば、何かと言うと恋の話。 お若い方が色恋沙汰に興味があるのは当然ですが、様々の御苦労を重ねたであろう紳士...
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私は幼い頃から、動物よりも植物よりも無機質な鉱物に魅かれてきました。 そこには絶対の清潔さと、絶対の平安、死にも似た静かな暮らしがあるからです。 それに対して動物も植物も、捕食と光合成の違いはあるにせよ、何かを吸収して、老廃物を吐き出すという行為が必要であり、それはグロテスクな行為でもあり、不潔です。 ドイツ・ロマン派の作家にE.T.Aホフマンと言う人がいて、高校生の頃私はこの人の作品に熱狂しました。 代表作に、「砂男」という不気味な作品があります。 一方、わが国では、安部公房が「砂の女」という有名な作品を残しています。 こちらは実験的な小説で、問題意識がわりとはっきりした小説です。 「砂男」は眠らないでいると砂男が来て目玉をえぐる、という童話を信じた主人公が、大人になってもその恐怖から逃れられず、ついには破滅してしまう話で、目玉をえぐるというモチーフが繰り返し現れます。 私も幼い頃、幽霊や妖怪の存在を固く信じていたので、この小説の恐怖と狂気は、なつかしい世界です。 「砂の女」はどういうわけか砂の下の家に閉じ込められた男が、毎日毎日砂のかき出しをしながらその家の女と暮らす話で、いわゆる...
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昨日はずいぶん水の事故があったようですねぇ。 楽しい川遊びや海水浴が、一転、地獄絵図に変わってしまいます。 怖ろしいですねぇ。 私が幼い頃を過ごしたのは、江戸川のすぐ近くの町でした。 ちょうど「男はつらいよ」シリーズで寅さんが立ち寄る葛飾柴又の辺りから、江戸川沿いに車で南に20分ほど下った、江戸川区篠崎という辺りです。 江戸川は大河ですので、子どもだけで江戸川の河川敷に行くことは厳禁でした。 子どもたちもあまりの川の大きさに、そこで水遊びをしようなどとは考えもしませんでした。 水遊びはプールで、というのが常識でしたねぇ。 しかし安全なはずの学校のプールでさえ、時折溺死する子がいますね。 先生たちもプールは不安の種でしょう。 そうは言っても、子どもたちは夏の水辺を精いっぱい楽しんでいます。 石がけに 子ども七人 こしかけて ふぐを釣りおり 夕焼け小焼け 北原白秋の歌です。 ふぐっていうのが本当かよと突っ込みたくなりますが、そういう地方なんでしょうね。 のどかに釣りを楽しむ少年たちの姿がほのぼのと浮かびます。 草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり 同じく北原白秋の歌です...
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芙美子忌

今日は林芙美子の命日だそうですね。 林芙美子といえば、戦前の流行作家にして、森光子主演の舞台で有名な「放浪記」の作者。 流行作家らしく多作で、どんな注文にも応え、作家としての地位に執着し、有望な新人の目を摘むようなことまでしておのれの作家生命を長らえようとしたことが、川端康成らによって伝えられています。 べつに田舎生まれの田舎育ちを差別する気はありませんが、田舎者じみたあまりのバイタリティというか生命力には、正直げんなりします。 都会人的なはじらいというのは、田舎に生まれ育っても身に着く人はいるし、逆に都会で成長しても、厭らしいほどパワフルな人というのもいます。 田舎っぽいか都会的かというのは便宜的な言葉で、実際の生まれ育ちを表すものではありません。 その前提の上で、私は林芙美子と言う人は、田舎者作家の女王だと思っています。 なんでも突き詰めるのは大変なことで、この人の前にも後にも、私をこれほどいらつかせる小説家は珍しいように思います。 そういう意味では真に偉大な作家なのでしょう。放浪記 (新潮文庫)林 芙美子新潮社浮雲 (新潮文庫)林 芙美子新潮社 ↓の評価ボタンを押してランキングを...
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