文学 永久未完
宮沢賢治の童話は、子どもの頃誰でも一度は読んだことがあるのではないでしょうか。 私はあまり好みませんでしたが。 宮沢賢治は発表した後の作品でも、何度もしつこく加筆訂正を加え、後に全集を編む時、担当者は非常に苦労したそうです。 そのことから、彼は物語に終わりはない、という特異な見方をしていたのではないかと言われています。 発表された物語もすべて未完で、どういう変容を遂げるか誰にもわからないというのは、なんとも思わせぶりで、読者は困っちゃいますね。 よくひどい出来事が有った時、米国映画などで「それでも人生は続く」と諭されるシーンがありますね。 自分が死なないかぎり、両手両足を切断して達磨さんみたいになっても、人生は続くんですよねぇ。 寺島しのぶの「キャタピラー」なんて、まさしくそれでした。 しかし発表した物語というのは、言わば作者にとってはもう死んだものなのですよねぇ。 完成、といって出版社に送ったのなら、それはもう公のもの、作者が勝手にいじってよいはずがありません。 砂浜に自分が作った砂粒を落とす、というのが、物語を作るときの実感ですかねぇ。 多分宮沢賢治は、あまたの砂粒にまぎれ、どれが...