文学

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甦れ、ハルキ社長

私はかつて、角川春樹社長に畏敬の念を持っていました。 硬い出版社だった角川書店を、映画とエンターテイメント小説で巨大商業書店へと転換させ、俳人としても飛ぶ鳥落とす勢い。 横溝正史のシリーズ物や、薬師丸裕子・原田知世・渡辺典子ら、いわゆる角川三姉妹を大々的に売り出したり。 そうかと思うとヒトラーの信奉者を公言し、世界最強の人間を自称し、さらにはおのれを芭蕉を越えた俳人と呼んで恥じない図々しさ。 そういう芸術家っぽいぶっ飛んだ所と、映画や本でヒットを飛ばす商人としての能力が共存している点がおもしろいと思うのです。 向日葵や 信長の首 切り落とす  「信長の首」より 黒き蝶 ゴッホの耳を 殺ぎにくる  「カエサルの地」より 流されて たましひ鳥と なり帰る  「流され王」より いずれもかつて私が熱狂した角川春樹社長の句です。 男らしい言い切り系の、力強くも幻想的な句風を特徴とします。  しかし1993年に麻薬取締法違反で逮捕され、数年間の実刑をくらってから、社長にはかつての、おのれ一人を恃むような、力強さが失せてしまったように思います。 出所後も、「男たちの大和」を大ヒットさせたり、新たにハ...
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みじか夜

今日から6月。 すっかり日が長くなり、帰宅時でも明るくて、なんとなく良い気分です。 サマータイム制を導入しようという声が上がるのも、さもありなむと言ったところです。 しかしサマータイム、ある日突然時計を一時間早くするわけですから、体がそれについていかず、体調を崩す人が多いと聞きます。 今までどおりゆるーくやっていけば良いでしょう。 日が長いということは、当然ですが夜が短くなるということ。 短い夜というのは、なかなか風情のあるものです。 夜為事(よしごと)の あとの机に置きて酌ぐ ウヰスキイの杯(こぷ)に 蚊を入るるなかれ 大酒飲みだった若山牧水の歌です。 夜の仕事の後といっても、外はうっすら明るいんでしょうね。 日本酒のイメージが強い牧水ですが、洋酒も嗜んだようです。 何となくユーモアを感じる歌ですね。 みじか夜の いつしか更けて 此処ひとつ あけたる窓に 風の寄るなり これも牧水の歌です。 私は前の歌に続いて読もうと思います。 ウィスキーをしたたか飲んで横になり、深夜に目を覚ますと開けた窓から入ってくる風が心地良い、といったところでしょうか。 ウィスキーで火照った肌には涼風がよけいに...
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梅雨

関東地方は今日梅雨入りだそうですね。 例年に比べてずいぶん早い梅雨入りです。 梅雨というのは多分、季節の豊かなわが国において、最も嫌われている時季でしょうね。 じめじめしているし、外出も億劫だし、春の花や夏のホトトギス、秋の月だのといった、その季節を象徴する名物が冴えないんですよねぇ。 紫陽花と雨ですからねぇ。 近代以降はともかく、古典の部類に入る和歌に、紫陽花や梅雨を読んだ歌が極端に少ないというのも、日本人の梅雨嫌いの表れでしょうか。 もっとも梅雨嫌いは日本人に限ったことではなく、ロシア人の奥さんをもらった友人がいるのですが、その奥さん、梅雨を、絶望的な季節と呼んで帰国し、10月まで戻らないそうです。 数少ない梅雨の歌の中から、比較的有名なものを。 「千五百番歌合」から。 夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり   藤原俊成  夏であっても心が尽き果てるようなあはれを感じさせるものだ、あじさいの花についた露に澄んだ月の光が宿っているのを見ていたら、といったほどの意でしょうか。 あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る  藤原定家  日が暮れ...
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葵祭

今日は葵祭ですね。 祇園祭が庶民のお祭りであるのに対して、葵祭は公家や皇族の祭り。 それだけに華やかさもひとしおです。 公家や皇族はこの日を待ちかねたことでしょう。 ちはやぶる かものやしろの 葵草 かざすけふにも なりにけるかな 藤原俊成 祭りの朝を迎えた高揚した気分が伝わってきますね。 牛車のゆるゆるとした歩みがまた風流ですねぇ。この都 にほへる花と さかえけむ 代に逢へるごとき 葵祭かも  木下利玄 大正期に活躍した木下利玄、葵祭を見てかつての都のにぎわいをしのんだのですかねぇ。  本来賀茂神社の斎王は皇族の若い娘から選らばていたそうです。 今は葵祭関係者の中から選ばれ、よって斎王代と呼んでいるそうです。 この祭りのヒロインですね。 この時期は梅雨に近く、大気の状態も不安定。 祭りの最中に大雨に襲われたこともあったようです。 草の雨 祭りの車 過ぎてのち  与謝蕪村 都を終の棲家と定めた蕪村らしい、テルテル坊主のようなかわいらしい句ですね。 なんだか京都に行きたくなりました。 でも京都って、どこも混むんですよねぇ。 外国人観光客も多いし。 ひっそりした京都を味わうには、真冬を待つ...
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団鬼六、逝く

団鬼六が亡くなったそうですね。 享年79歳。 好きなことをして、面白おかしい人生だったのではないでしょうか。 団鬼六といえばSM官能小説「花と蛇」。 日活ロマンポルノの看板でもあり、これを代表作と見る向きが多いようです。 しかし団鬼六のSM小説は、サド侯爵の「悪徳の栄え」のような残酷描写はほとんどなく、どちらかといえば精神性の高い作品に仕上がっています。 もともと純文学志向だったそうですから、それも故なしとしません。 私はSM官能小説よりも、「異形の宴」や「美少年」など、官能のスパイスを効かせた文学作品にこそ、彼の真骨頂があるように思います。 教員をやっていた頃、奥さんを若い男に寝取られ、奥さんから「本当のセックスの喜びをその若い男に教えられた」と言い放たれるヘタレぶりは、だからこそ官能小説の第一人者足りえたのではないでしょうか。 実践する能力が低く、妄想を膨らませる能力に長けていたのでしょうね。 一般に官能小説家として成功する人は、女性経験が少ない人が多いと言われます。 女性経験が豊富だと、セックスなんてこんなもの、という感覚に陥り、願望を含んだ妄想を膨らませることが難しくなるんでし...
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