文学

スポンサーリンク
文学

おはなし

このブログをご愛読くださる方にとっては言わずもがなの知れたことですが、私は怖いお話が大好きです。 そして現代ほど、怖い映画や小説が多数作られる時代はなく、真に喜ばしいかぎりです。 古来、文学や芝居では、お話を大きく2つのジャンルに分けていました。 悲劇と喜劇、能と狂言、和歌と狂歌、俳句と川柳。 これらはいずれも、シリアスなものか笑えるものか、によって類型化されています。 しかし笑いを求める人々は気が短くなったのか、あるいはストーリーを追うという面倒な作業が嫌われるためか、喜劇は衰退し、代わって一発ギャグとかスタジオ芸などの、短くてナンセンスなものが幅を利かせるようになったと感じます。 私は今となってはシリアスなものと笑えるものという類型は形骸化したように感じます。 むしろ今作られている作品群を類型化するならば、恋のお話か怖いお話に分けるほうが実状に合っていると思われます。 当然私は恋のお話には退屈し、怖いお話に胸高鳴らせる者です。 しかしさすがに怖いお話もパターンは出尽くした感があり、ただ残酷でショッキングなだけではない、怖くて格調高くて美しい作品にはなかなか出会えないものです。 で、...
文学

ドナルド・キーン博士、日本帰化

米国の日本文学者、ドナルド・キーン博士が日本に帰化し、永住する、と発表しました。 88歳になって、なぜ?という気もしますが、本人はその気満々で、先般コロンビア大学で最終講義を済ませたとのことです。 能について論じたようです。 博士は、日本の国文学者が狭い専門から出ていかないのに対し、記紀万葉から現代文学まで、幅広く論じることができる碩学です。 日本文学の道を志すきっかけになったのは、古本屋で「源氏物語」の英訳本が、分厚いわりに安かったために購入し、これに感銘を受けてまずは日本語を学ぶところから始めたとか。 戦中は米軍の通訳官として働き、戦後は日本留学をして国文学への造詣を深め、それでも米国人であることを辞めず、コロンビア大学で教鞭をとってきました。 三島由紀夫、安部公房、石川淳らと親交が深く、大江健三郎とは不仲だったと聞きました。 ドナルド・キーン博士がこのタイミングで日本帰化を決意したのは、はっきり言いませんが、震災の影響があるのではないでしょうか。 世界中から放射能に汚染された国と見られている今、あえて高名な自分が日本人になり、情報発信すれば、諸外国の誤解を解き、被災した方々への慰...
文学

一千一秒物語

昨夜は、魔道を歩んだ偉大な先人、稲垣足穂の「一千一秒物語」を読み返しました。 キイ・ワードは、月・流星・シガレット・ヒコーキ。 わが国の近代文学の中で、その硬質さ、ドライさ、奇妙さは際立っています。 何かに悩む主人公は出てこず、恋愛沙汰も起きず、人も死にません。 坂道でポケットから自分を落としてしまう話など、ファンタスティックな掌編の連続です。 読者はタルホ・ラビリントスに迷い込まざるをえません。 私は久しぶりにその迷宮に迷い込み、楽しみました。  彼は生まれるのが早すぎたんじゃないでしょうか。 大正から昭和初期に世に出た彼は、人間を口から肛門にいたる筒とみなして、独自のエロス論を組み立てました。 それが「A感覚とV感覚」です。 そのエロス論もまた、彼にかかると硬くてドライな、輝く石のような光を放つのです。 こういう人はもう出てこないような気がします。 近代から現代まで、日本文学は長いこと貧乏自慢と若さ自慢、それに羞恥心を忘れたかのような露骨な性描写に明け暮れています。 日本文学本来の伝統を取り戻し、洒脱で軽妙な、しかし奥が深い小説がもっと増えてくれると嬉しいと思っています。一千一秒物...
文学

せっかくの土曜日の朝、雨が降っていますね。 気温はけっこう高いようですが、雨が降るとどこへも行く気が起きません。 花は散り その色となく ながむれば むなしき空に はるさめぞ降る 「新古今和歌集」に見られる式子内親王の和歌です。 桜の花は散ってしまい、その気色を眺めていると、空から春雨が降ってきて、さらに虚しい気分になってしまいました、というほどの意かと思います。 桜はもうとっくに散った今朝の雨の気分にぴったりです。 今日のような日は、古今の書物をひも解いて、古人を友としてひと時の慰めを得るのが良いようです。 それとも、大好きな怖い映画でも借りてきましょうか。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

屋上の狂人

今、精神障害者は、グループホームや心理カウンセラーなどの力を借りて、障害を抱えたまま、社会に適応して自立した生活を送ることが求められています。 古くは座敷牢に一生閉じ込められていたことを思えば、隔世の感があります。 しかし私は、自立することが、そのまま精神障害者にとって幸せなのか、疑問に思うことがあります。 菊池寛の小説に、「屋上の狂人」という作品があります。 むやみと高いところに登りたがり、高いところから空を眺めてさえいれば幸せなのです。 ある時父親が、息子に憑いている者を払ってほしい、と巫女を連れてきます 巫女は狐が憑いていると見抜き、木の枝にぶら下げて煙で燻せば狐が出ていく、と言います。 母親は「そんなむごいことはできない」と言い、弟は「医者が治せないものは世界中の神様を連れてきたって治せない」と言います。 母親は情から、弟は合理的精神から、巫女のやり方を批判します。 さらに弟は、「兄さんがこの病気で苦しんどるのなら、どなな事をしても癒して上げないかんけど、屋根へさえ上げといたら朝から晩まで喜びつづけに喜んどるんやもの」、「兄さんのように毎日喜んで居られる人が日本中に一人でもあり...
スポンサーリンク