文学

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葵祭

今日は葵祭ですね。 祇園祭が庶民のお祭りであるのに対して、葵祭は公家や皇族の祭り。 それだけに華やかさもひとしおです。 公家や皇族はこの日を待ちかねたことでしょう。 ちはやぶる かものやしろの 葵草 かざすけふにも なりにけるかな 藤原俊成 祭りの朝を迎えた高揚した気分が伝わってきますね。 牛車のゆるゆるとした歩みがまた風流ですねぇ。この都 にほへる花と さかえけむ 代に逢へるごとき 葵祭かも  木下利玄 大正期に活躍した木下利玄、葵祭を見てかつての都のにぎわいをしのんだのですかねぇ。  本来賀茂神社の斎王は皇族の若い娘から選らばていたそうです。 今は葵祭関係者の中から選ばれ、よって斎王代と呼んでいるそうです。 この祭りのヒロインですね。 この時期は梅雨に近く、大気の状態も不安定。 祭りの最中に大雨に襲われたこともあったようです。 草の雨 祭りの車 過ぎてのち  与謝蕪村 都を終の棲家と定めた蕪村らしい、テルテル坊主のようなかわいらしい句ですね。 なんだか京都に行きたくなりました。 でも京都って、どこも混むんですよねぇ。 外国人観光客も多いし。 ひっそりした京都を味わうには、真冬を待つ...
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団鬼六、逝く

団鬼六が亡くなったそうですね。 享年79歳。 好きなことをして、面白おかしい人生だったのではないでしょうか。 団鬼六といえばSM官能小説「花と蛇」。 日活ロマンポルノの看板でもあり、これを代表作と見る向きが多いようです。 しかし団鬼六のSM小説は、サド侯爵の「悪徳の栄え」のような残酷描写はほとんどなく、どちらかといえば精神性の高い作品に仕上がっています。 もともと純文学志向だったそうですから、それも故なしとしません。 私はSM官能小説よりも、「異形の宴」や「美少年」など、官能のスパイスを効かせた文学作品にこそ、彼の真骨頂があるように思います。 教員をやっていた頃、奥さんを若い男に寝取られ、奥さんから「本当のセックスの喜びをその若い男に教えられた」と言い放たれるヘタレぶりは、だからこそ官能小説の第一人者足りえたのではないでしょうか。 実践する能力が低く、妄想を膨らませる能力に長けていたのでしょうね。 一般に官能小説家として成功する人は、女性経験が少ない人が多いと言われます。 女性経験が豊富だと、セックスなんてこんなもの、という感覚に陥り、願望を含んだ妄想を膨らませることが難しくなるんでし...
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おはなし

このブログをご愛読くださる方にとっては言わずもがなの知れたことですが、私は怖いお話が大好きです。 そして現代ほど、怖い映画や小説が多数作られる時代はなく、真に喜ばしいかぎりです。 古来、文学や芝居では、お話を大きく2つのジャンルに分けていました。 悲劇と喜劇、能と狂言、和歌と狂歌、俳句と川柳。 これらはいずれも、シリアスなものか笑えるものか、によって類型化されています。 しかし笑いを求める人々は気が短くなったのか、あるいはストーリーを追うという面倒な作業が嫌われるためか、喜劇は衰退し、代わって一発ギャグとかスタジオ芸などの、短くてナンセンスなものが幅を利かせるようになったと感じます。 私は今となってはシリアスなものと笑えるものという類型は形骸化したように感じます。 むしろ今作られている作品群を類型化するならば、恋のお話か怖いお話に分けるほうが実状に合っていると思われます。 当然私は恋のお話には退屈し、怖いお話に胸高鳴らせる者です。 しかしさすがに怖いお話もパターンは出尽くした感があり、ただ残酷でショッキングなだけではない、怖くて格調高くて美しい作品にはなかなか出会えないものです。 で、...
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ドナルド・キーン博士、日本帰化

米国の日本文学者、ドナルド・キーン博士が日本に帰化し、永住する、と発表しました。 88歳になって、なぜ?という気もしますが、本人はその気満々で、先般コロンビア大学で最終講義を済ませたとのことです。 能について論じたようです。 博士は、日本の国文学者が狭い専門から出ていかないのに対し、記紀万葉から現代文学まで、幅広く論じることができる碩学です。 日本文学の道を志すきっかけになったのは、古本屋で「源氏物語」の英訳本が、分厚いわりに安かったために購入し、これに感銘を受けてまずは日本語を学ぶところから始めたとか。 戦中は米軍の通訳官として働き、戦後は日本留学をして国文学への造詣を深め、それでも米国人であることを辞めず、コロンビア大学で教鞭をとってきました。 三島由紀夫、安部公房、石川淳らと親交が深く、大江健三郎とは不仲だったと聞きました。 ドナルド・キーン博士がこのタイミングで日本帰化を決意したのは、はっきり言いませんが、震災の影響があるのではないでしょうか。 世界中から放射能に汚染された国と見られている今、あえて高名な自分が日本人になり、情報発信すれば、諸外国の誤解を解き、被災した方々への慰...
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一千一秒物語

昨夜は、魔道を歩んだ偉大な先人、稲垣足穂の「一千一秒物語」を読み返しました。 キイ・ワードは、月・流星・シガレット・ヒコーキ。 わが国の近代文学の中で、その硬質さ、ドライさ、奇妙さは際立っています。 何かに悩む主人公は出てこず、恋愛沙汰も起きず、人も死にません。 坂道でポケットから自分を落としてしまう話など、ファンタスティックな掌編の連続です。 読者はタルホ・ラビリントスに迷い込まざるをえません。 私は久しぶりにその迷宮に迷い込み、楽しみました。  彼は生まれるのが早すぎたんじゃないでしょうか。 大正から昭和初期に世に出た彼は、人間を口から肛門にいたる筒とみなして、独自のエロス論を組み立てました。 それが「A感覚とV感覚」です。 そのエロス論もまた、彼にかかると硬くてドライな、輝く石のような光を放つのです。 こういう人はもう出てこないような気がします。 近代から現代まで、日本文学は長いこと貧乏自慢と若さ自慢、それに羞恥心を忘れたかのような露骨な性描写に明け暮れています。 日本文学本来の伝統を取り戻し、洒脱で軽妙な、しかし奥が深い小説がもっと増えてくれると嬉しいと思っています。一千一秒物...
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