文学

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花冷え

今、私の職場に咲く桜は、3分咲きか4分咲きといったところでしょうか。 花は咲いても昨日・今日と寒いですね。 職場は3月下旬から暖房を停止するので、仕事机に向かっていても凍える心地です。 こういうの、花冷えって言うんでしょうねぇ。 どうせ花冷えなら、暖めの酒でも片手に、花の下で酔いたいものです。 そうはいっても宮仕えの身。 全身全霊で職務に精励しなければなりません。 み吉野の 山辺に咲ける桜花 雪かとのみぞ あやまたれける          「古今和歌集」にみられる紀友則の歌です。 桜を雪と見まがうなんて、よっぽど寒かったんでしょうねぇ。 吉野の山は都よりも寒くて、田舎らしい寒々した感じがあったんでしょうね。 でも春の寒さは一睡の夢。 信じられないほどのぽかぽか陽気がちかく訪れるでしょう。古今和歌集 (岩波文庫)佐伯 梅友岩波書店 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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姥捨

震災でこれほど多くの人々が無念の死を遂げ、また遂げつつある様をみて、私は古く、姥捨山の伝説を思い出しました。 104歳の老婆が避難所に逃げ込んで、逃げ込んだときには歩けたのに、翌朝には足腰が立たない状況になっていたとか。 それでも命はどうにか長らえています。 長幼の序はわが国の美風。 老人を救助するのは当然のことです。  にも関わらず、かつて信濃国更級では姥捨が行われていたと、多くの書物にあります。 「楢山節考」は当時の山村の貧しい暮らしぶりを寒々と描き、白骨でいっぱいの山中に母親を棄てに行く緒方拳演じる主人公が哀切でした。 わが心 慰めかねつ 更級や 姥捨山に 照る月を見て 「古今和歌集」に所収された読み人知らずの歌ですが、これは「大和物語」にも見られます。 悪妻に唆されて伯母を山中に捨てた男が、後悔して詠んだ歌です。 また、紀貫之は「拾遺和歌集」に、次のような和歌を残しています。 月影は 飽かずみるとも 更科の 山の麓に ながゐすな君  どちらも姥捨の里である更級の月を題材にしています。 面白いのは、更級の月は妖しい輝きを放っているというのに、その月の美しさは心を慰めない、または長...
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炎中(ほなか)の桜

テレビでまるで終末のような惨状を呈す地震や津波、火災の被害を見て、私の心は沈むとともに、いっそ完全に世界を焼き尽くす災害が起こればよいのに、と矛盾した気持ちになる私を観察して、ぞっとしたのでした。ほろびゆく 炎中(ほなか)の桜 見てしより われの心の修羅 しづまらず 皇室の和歌指南にして現代最高の歌人、岡野弘彦の歌です。 「バグダッド燃ゆ」という歌集に載っています。 イラク戦争の惨劇と、自身が体験した太平洋戦争中の空襲を重ね合わせて、格調高く、的確な言葉で美しく、悲劇を歌い上げています。 ストレートで稚拙ないわゆる反戦歌とは一線を画すものです。 反戦も結構、反核も結構、しかし和歌というものは、あくまでも美しくなくてはなりません。  岡野先生、「サラダ記念日」が流行ったとき、俵万智と比較して論じた評論が現れて、激怒していましたっけ。 それだけ自分の歌に強い自負があったのでしょう。 災害をも浪漫的な芸術に昇華させてしまうその歌心に、感服したのでした。バグダッド燃ゆ―岡野弘彦歌集岡野 弘彦砂子屋書房サラダ記念日―俵万智歌集俵 万智河出書房新社 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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楽園

旧約聖書に拠れば、アダムとイブは知識の果実を食べてしまったがゆえに、楽園を喪失したことになっています。 これは一人キリスト教の問題に留まらず、広く人類全体の社会を言い表わしているものでしょう。 私たちは荒野に立っているのであり、あるいは立ち続け、あるいは歩き続けなければならないという、失楽園の苦しみを生まれながらにして持っています。 川端康成に「眠れる美女」という佳品があります。 強い睡眠薬で深い眠りに落ちている美少女。 高額の金を払って一夜を共にするのは、老いて不能となった老人。 本番行為以外は眠っている美少女に質の悪いものでなければ、いたずらをしてもよい、というのが店のルールです。  しかしここを訪れるのはいずれも役立たずの老人。 本番行為など、夢のまた夢です。 そこで老人たちはただ添い寝し、あるいは全身をなでまわし、若い女体に接することで、過ぎ去ったプレイボーイ時代の思い出に浸ったり、若さへの憧憬を取り戻したりするのです。 そこに、一人だけ、性的能力を保持したままの老人がやってきます。 しかし老人は戸惑います。 薄暗い部屋のベッドで昏々と眠る裸の美少女。 老人は、自分にはルールを...
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春の雪

関東地方は春の雪。 窓から外を見ると、幻想的な雪景色が広がっています。 冬の最後の抵抗といったところでしょうか。 雪が降ると必ず思い出す歌があります。 「万葉集」のなかでも特に有名な歌。 聖武天皇と藤原夫人の歌です。 わが里に 大雪ふれり大原の 古(ふ)りにし里に ふらまくは後(のち) 聖武天皇の御製で、私の居る飛鳥に雪が降りましたよ、あなたのいる大原の古い里に降るのは、もっと後の事でしょう、といった、雪を自慢する歌です。 これに対し、藤原夫人は、 わが岡の 龗(おかみ)に言ひて 落(ふ)らしめし 雪の摧(くだ)けし 其処に散りけむ   と、返しています。 こちらの里の竜神に言いつけて降らせた雪のかけらが、そちらにちらついただけでしょう、という、敵対心をむき出しにした歌です。 そこは気心が知れ合った夫婦のこと。 雪を肴にじゃれあっているのでしょう。 大体大原にしたって飛鳥にしたって、場所柄そんな大雪が降るはずないので、うっすら積ったくらいのものでしょう。 それを大雪と詠う聖武天皇。 無邪気に喜んでいるのでしょう。 小犬のようですね。 そしてそれに反論してみせる藤原夫人。 夫婦の関係性が...
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