文学

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J:com

今日から4月。 令和5年度の始まりです。 特別の感慨はありませんんが、就職して丸31年が経ってしまったのかと、自分でも驚いています。 飽きっぽい私が生活のためとはいえ、ここまで続くとは。 午前中、J:comの工事がありました。 5つあるテレビの端子を更新するためです。 今まで私のマンションは4Kに対応していなかったのですが、これからは4Kも観られるようになります。 工事の人と営業の人が来て、工事中、延々と営業をかけられ、フレッツ光からJ:comに乗り換えることにしました。 月々の料金が半額以下になるためと、通信速度が100メガから1ギガになると聞いたので。 それとネットフリックスが観られるようになるのも魅力です。 4月15日(土)に工事が入ることになりました。 テレビ、パソコン、スマホ、全て初期設定をやってくれるとのことで、気楽です。 自分でやらなければならないのはは、フレッツ光とauのポケットWi-Fiの解約することだけ。 これも電話1本で済むようです。 このマンションも築20年を超えて、色々と古くなっているようです。 快適なネット生活が送れそうです。
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追悼 大江健三郎

昨日、大江健三郎が亡くなったというニュースが飛び込んできました。 88歳、大往生と言ってよいのでしょうね。 ノーベル文学賞を受賞した偉大な小説家でしたが、私はほんの10冊も読んでいません。 書かれている内容はともかく、文章が読みづらいのです。 悪文と言いましょうか? 同じノーベル文学賞を受賞した川端康成先生の流麗な文章とは対照的でした。 一説には英語で書いて訳させているのではないか、という噂までありました。 そんなことは無いと思いますが、翻訳調の不自然なものでした。 そこが苦手な点の一つ。 もう一つは、変に政治的な香りを纏っていること。 日本国家からの文化勲章は断っておきながら、スウェーデン王立科学アカデミーからのノーベル文学賞は嬉々としてうけるという無節操ぶりが不気味でした。 日本が嫌いだったんでしょうねぇ。 好悪の違いはあるにせよ、人生の闘いを終えた魂が安らかであることを祈ります。
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啓蟄

今日は啓蟄なのですね。 啓蟄とは二十四節季の一つで、暖かくなって土中から虫が出てくることの意。 春の訪れを予感させる日です。 寒い冬を終えて、春が来る、そういうわくわくした気持ちになります。 啓蟄や この世のものの みな眩し 啓蟄の 虫におどろく 縁の上 啓蟄を詠んだ秀句です。 誰の作だか忘れましたが、なんとなく、印象に残っています。 みな眩しいのも分かるし、虫が出て気持ち悪いのも分かります。  啓蟄を詠んだ句は明るい感じのものが多いのですが、このブログにたびたび書いたとおり、私は猛烈に忙しいこの時期になると、憂悶に沈みます。 年度末が好きなサラリーマンや役人などこの世に存在するとは私には思えません。 だからこそ、これらの俳句が愛おしくも、羨ましくも感じます。 純粋に啓蟄を寿ぐことができるのは、まだ当分先のような気がします。
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真の花

今日は年に一度のマンション管理組合の総会が行われました。 10時から13時半まで。 3時間半もかかってしまいました。 私は理事長のため、議長の役を果たさなければいけない立場。 しゃんしゃんで済めば1時間もかからなかったはずですが、一生懸命理解しようと努めたのでしょう、80歳は過ぎていると思われる爺さんが何度も質問してくるわ、荒らし屋みたいな中年男が大きな声を出して突っかかてくるわで、大変疲れました。 結局二人とも10個ある全ての議題に賛成したのですが、何か言わないとおさまらない面倒なやつが必ずいるものです。 しかしこれで一年間の理事長の仕事をすべて終えました。 理事長印を選出された新理事長に渡して、お役御免。 ほっとしています。 明日からはまた仕事。 今週は難問山積で、今から憂鬱です。 きっと連日大残業になるでしょう。 なんだか最近公私ともに忙しく、心と体を休める暇がありません。  はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る 上掲の石川啄木の短歌が頭の中を駆け巡ります。 本来は収入が少ないことを嘆いたものでしょうが、今の私には収入のことではなく、...
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捨てる

今日は穏やかに晴れた小春日和 でした。 朝一番で散髪に行き、買い物をしたり昼寝をしたりしてのんびり過ごしました。 16時半から精神科の診察があるため、出かけなければなりません。 面倒くさいですが、精神病薬は私にとって生活を維持せしめるために必要不可欠なもの。 行かないわけにはまいりません。 今日はクリスマスイヴなのですね。 今でこそクリスマスイヴなんて言っても穏やかなものですが、バブルの頃は恋人と過ごす日と決まっていて、相手がいない者は非人のように扱われたものです。 私はそんな風潮に反感を持ち、毎年静かに読書などして過ごしていました。 大体クリスマスと言えば異教の祭り。 わが国の人々はほとんどが無宗教ですから、そんなものにかこつけてバカ騒ぎをするなど、お門違いも甚だしいというものです。 クリスマスと言い、正月と言い、季節の風物詩を大事にるのは結構なことですが、それも一種の捕らわれに過ぎません。 クリスマスはこう過ごすべき、正月はああすべき、という。 翻って人間と言う者、なんと多くの物に捕らわれていることでしょうか。 正規の職について、結婚して子供をもうけるのが幸せだという固定観念に捕ら...
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