文学

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みみらく

「蜻蛉日記」に、死者と会える島、みみらくについての記述があります。 死者はみみらくに現れるのですが、現世の人がその島に近づくと消えてしまう、とも。 いずくとか 音にのみきくみみらくの しまかくれにし 人をたづねん(『蜻蛉日記』)  この伝説は京都で流行り、京の人々はそういう島があるなら行っていみたいものだ、と思いながら、そこへ向かおうとはしませんでした。 ここが、恐山の口寄せと大きく異なりますね。 人々はただ死者を想い、いつかはみみらくに行って再会を喜び合おう、と思っていたのでしょう。 しかし、近付くと消えてしまう幻の島です。 上陸は夢のまた夢です。 現在では五島列島の福江島と考えられ、かつて遣唐使船の国内最後の寄港地だったとか。 遣唐使は命がけの渡海でしたから、この港を出れば生きて帰れるかわからない、という思いが、伝説を生んだのかもしれません。 死者への追慕の念は純粋ですね。 盆になったら坊主が来るのでいくらか包まなきゃならん、ああ、面倒だ、というのが本音としか思えない現在の風習とはずいぶん違います。蜻蛉日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)角川書店角川グループパブリッ...
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重陽

今日は9月9日、重陽の節句ですね。  だからといって、菊を酒に散らせることもせず、平凡な平日にすぎません。 台風の影響か、私が住まい、働く千葉県は、急激に涼しくなりました。 今までの猛暑が嘘のような。 また暑さのぶり返しはあるでしょうが、それは夏の残照のようなもの。はかないに違いありません。 芭蕉の句に、 この道や 行く人なしに 秋の暮 というのがあります。 静かな秋の夕暮れ時の、寂しい路傍が目に浮かびます。 一方、蕪村の句で、 戸をたたく たぬきと秋を おしみけり  という、どこか滑稽味のある句が詠まれています。 四季折々を楽しむのがわが国古来のしきたりですから、秋には秋の良いものを楽しみたいものです。 秋は豊かな収穫を寿ぐ時季でもあります。 今年は秋刀魚が不漁だそうで、我が家ではまだ秋刀魚を食していません。 去年は一匹50円まで下がって、いやというほど食ったのですが、今年はまだ200円もしますね。 目黒の祭りも金がかかってしかたないでしょう。 また、秋はどこかさびしい季節でもありますね。春は春愁、秋は愁思とか言います。 人にとって過ごしやすいはずの春や秋に憂愁の情に捉われるというの...
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エコ源氏

エコロジーというのは近頃の流行りですね。  燃費が良い車に乗るとか、割り箸は使わないとか、そんなイメージですね。  しかし米国人の日本文学研究者が、奇妙なことを言い出しました。  エコ「源氏物語」研究が必要だそうです。 エコとはいっても、「源氏物語」で自然がどう語られているか、とか、紫式部の自然観とか、そういったことを研究するのではないそうです。 文化を考えるときに、例えば日本人は日本文化を日本独特の素晴らしいものだと考えます。 その米国人は、このような文化への態度を、文化は常に同時に宣戦布告なり、と言っています。  文化の独自性を言い立てるのではなく、文化の普遍性を見つけることが肝要、ということです。 エコロジーの問題を、国家に任せるのではなく、自我と他者に関する態度や、考え方そのものから変えていかなければならないそうです。  「源氏物語」のエコ研究ですが、「源氏物語」は総体的に支配できるような読みを拒絶する構成になっており、それをしようとするとtextual violenceとでもいうべき、暴力的な状況が生まれます。 「源氏物語」が持つ不安定さを読み取っていく作業が、個人的レベルの...
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ピーター・パン

子どもは残酷だ、とはよく言われることですね。 新学期を迎えて、小学生の集団登校を見かけますが、一人で三つもランドセルを持っている子がいます。 いじめなのか、あるいは何らかのゲームで負けた罰なのか不明ですが、見ていて気持ちの良いものではありません。 小学生時代、大抵の子は意味もなく虫を殺した経験があるのではないでしょうか。私も蟻を踏みつぶしたりしました。 また、子どもが好むヒーロー物や戦隊物などは、明らかに善とされる側のほうが残虐です。 例えば仮面ライダーでは、ショッカ―と呼ばれる兵隊が大勢出てきますが、仮面ライダーはためらうことなくこれを倒していきます。 ウルトラマンもマジンガーZも敵を殺害することを躊躇しません。 宇宙戦艦ヤマトやガンダムは、まるっきり現実の戦争の焼き直しであり、互いに大量虐殺しあう映像を観て視聴者は喜んでいるわけです。 ヤマトが敵に特攻を行う場面などは、片道分だけの燃料を積んで自殺行為のような沖縄への援軍派遣を試みた戦艦大和とだぶって、まともに観ていられません。 「戦艦大和ノ最期」は壮麗な文語調でこの悲劇を語って見事です。 極めつけが、ピーター・パンでしょうね。 デ...
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坂口にせよ、太宰(治)にせよ、田中(英光)にせよ、揃いも揃った愚弟ばかりだね。彼等の兄貴を見て御覧、みんな堂々たる賢兄ばかりだよ。 上記は、亀井勝一郎が坂口安吾の死の直後に発した言葉です。 愚かな弟だから文学に魅かれるのか、文学に興味を持つようなやつは大抵愚かな弟なのかわかりませんが、そういう傾向はあるのかもしれませんね。 私にも賢い兄がいます。 坂口安吾は自伝的小説「石の思い」で、両親を批判して、時にその筆は激烈ですが、兄弟に対してはとくにコメントしていません。 存在そのものが持つ孤独性を評して、石が考える、と表現しています。 私は幼少の頃から、石に多大な関心を寄せてきました。 幼い私は、石は生きていると考えていました。動物が起きている生、植物が眠っている生、鉱物は脳死のような生であろうと、予感していました。 齢41を迎えた今も、この予感は変わりません。 そして孤独の絶対性と言う意味で、鉱物に敵うものはありません。 石は幼い私の退行欲求を刺激し、今も刺激するのです。 石は私にとってヒーローのような存在です。 石はただそこに在るだけで、孤独の苦痛と、退行の快楽を体現してくれるのです。 ...
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