文学

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物語

物語というのは、それが文学作品であれ、映像作品であれ、舞台芸術であれ、なぜかくも私たちを魅了するのでしょうね。 物語というのはその名のごとく、元は語られるものであったはずです。 親が子に、祖父母が孫に語って聞かせるお話しが、物語の源流であったことでしょう。 そういう意味では、落語や講談など、一人で語って聞かせる芸が、もっとも原始的な物語なのではないでしょうか。 物語は経験をコントロールして道を説いたり、美的発明として物語作者に与えられた方法であったり、と考えがちですが、私はそれは正確ではないと思います。 物語は人間精神の基本的な活動であり、運動です。 物事を学習するのも、批判するのも、物語に拠っており、したがって生きることそのものが物語としか言いようがない事態が現出します。 私と他者との物語、社会的・個人的な過去と未来についての物語を紡ぎながら、私たちは日々、生きているのでしょう。 つまり生きることは物語であり、真実は物語の中に存在します。 その真実を問うとき、物語のあまりの膨大さに、私たちはしばし呆然とします。 膨大な物語のなかに、世界に関する物語と、私に関する物語が存在するように思...
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チャタレイ・サド・四畳半襖の下張各裁判

私はホラー映画などの残虐な作品を好んで観ます。 また、性愛を扱った文学作品や映像作品にも好んで接します。 しかしそういったものは、多くの都道府県で有害図書等として、青少年へ販売してはいけないことになっているのですね。 まだ未熟な青少年がそれらわいせつとされる作品や暴力的な作品に感化されることを防止するという主旨は理解できます。 しかし私は、刑法175条のわいせつ物頒布等を禁じた法律には、非常な違和感を覚えます。 例えば成人が鑑賞するアダルトビデオ等は、生殖器が見えないようにモザイクをかければ合法ということになっているようです。 そういう基準を設けた人はよほど幼稚な性意識を持っていたと思われます。 人体の一器官にことさら意味を持たせるというのはいかにも不思議です。 というか、そういう風に取り締まるから、特別な意味を持ってしまったのです。 お上がこれはわいせつですよ、と言って隠すから、わいせつになってしまったのです。 また、1950年代から1970年代にかけて、チャタレイ裁判・サド裁判(悪徳の栄え裁判)・四畳半襖の下張裁判と、著名な文学者の作品がわいせつであるとして裁判にかけられ、いずれも...
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おはなし

私は幼いころから、おはなしに接することを、大きな喜びとしてきました。 絵本を読み聞かせてもらうことに始まり、テレビの子ども向けアニメ、さらには漫画や児童文学、長じて文学や映画・舞台芸術など。 あらゆる形態の物語に接して思うのは、物語は素朴さを失ってしまったのかな、ということです。 神話や恋物語、怪談などは、浮世離れした、いわば面白いだけ、美しいだけのものでした。 それが生きる苦悩や現実社会の矛盾をテーマにする物語が主流となり、むしろそういう物のほうが上等であるかのような風潮になりました。 私は作り物めいたホラ話が好きなので、浮世離れしたお話しが復権すればいいのにな、と思います。 古く、平安中期の「蜻蛉日記」に、次の一文が見えます。 世の中におほかるものがたりのはしなどをみれば、世におほかるそらごとだにあり(後略) 世の中で流行している物語を読むと、事実とは思えない絵空事ばかりだ、と嘆いています。 ここから、著者は現実の結婚生活の困難、例えば夫の浮気やそれに伴う嫉妬、それに肉親との死別の悲しみなど、日記という形をとったリアリズムの私小説と読むことが可能かと思います。 この日記文学が成立し...
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貴女流離

いつの時代も、人はユートピアがどこかに在ると信じ、その地を求めてきましたね。 明治の近代化以降、多くの日本人が一旗挙げようと、アメリカやブラジルに渡りました。 満州に渡ったひともいたでしょう。 しかしそれらは、言わば経済上のやむにやまれぬ理由から。 松尾芭蕉や種田山頭火が日本国中を旅したり、西行法師が京から離れないながら、風雅の世界に魂が遊離していたのとは自ずと違いましょう。 江戸時代、上州で日野大納言資枝卿の息女、衛門姫が捉われました。 6年前に歌枕を訪ねると言って京都の屋敷から家出したことが判明したそうです。 当時、公家の姫が6年も放浪すれば、どういう目にあったかは、おおよそ見当がつきます。 歌を何首か詠んでいますが、意味不明です。 おそらく錯乱状態になっていたのでしょう。 この後どこかの寺に入って尼になったとも、上州の宿場町で飯盛り女になったとも。 京都で静かに暮らしていた姫が、歌枕を訪ねて放浪の旅に出るとは驚きです。  人には、ここではないどこか、もっと自分がしっくりくる居心地の良い場所があるのではないか、という夢想を楽しむ悪癖があるように思います。 それが叶えられないから、人...
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冬ごもり

昨日今日と、急に寒くなりましたね。 まだ10月だというのに、厚手のコートを着て出勤しました。 最高気温は10度前後。 猛暑の影響で残暑が長引いた関東の者には、辛い木枯らしです。 一方、冬はお家にこもる楽しみがありますね。 熱い湯に入って、暖房を効かせた部屋で熱燗でもやれば、身も心もぽっかぱか。 外が吹雪だと、冬ごもりの快感はますます高まります。 この世に一つだけの快適空間という感じがして、うれしくなります。 冬ごもりの句が多いのは与謝蕪村ですね。 私はこの俳人を偏愛しています。 それには冬の句に見るべきものが多いということが大きく寄与しています。  屋根ひくき 宿うれしさよ 冬ごもり    冬ごもり 母屋へ十歩の 縁づたい    冬ごもり 妻にも子にも かくれん坊     冬ごもり 仏にうとき こころかな    居眠りて 我にかくれん 冬ごもり    埋火や ついには煮る 鍋の物   埋火や ありとは見えて 母の側    埋火や 春に減りゆく 夜やいくつ  うずみ火や 我かくれ家も 雪の中 冬ごもりの快感を詠んだ句が、こんなにあります。 なかでも、うずみ火や我かくれ家も雪の中は、出色の...
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