文学

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南方浄土

浄土というと西方に在るというのが一般的ですが、平安時代から江戸時代にかけて、南方の浄土を目指す命がけの渡海が行われていたことを、最近知りました。 西方浄土の場合には、あくまで信仰上の問題で、実際に西に向かって旅立ったという話は寡聞にして知りません。 しかし南方の場合には、多く那智の海岸から、小舟を仕立てて、あえて台風の多い11月に、僧侶一人が乗りこんで、海流のままにこぎ出したそうです。 南方の海の彼方に浄土があると信じたのですね。 当然のことながら、その小舟がどうなったかという記録はほとんどなく、いわば即身成仏のような、自殺行だったと考えられます。  これを、補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼んだそうです。  私はこれを、井上靖の「補陀落渡海記」という作品で知りました。 那智の補陀落寺の住職は61歳になると補陀落渡海に出るならわしがあり、周囲の圧力から逃れられません。 住職、金光坊はこの自殺でしかない宗教儀式の時を、死の恐怖と信仰の狭間に揺れながら待っています。 そして渡海後、金光坊は船から逃れて小島に上陸し、生き延びようとしますが、役人や信者に捕えられ、再び渡海を強要されます。 井上靖...
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残暑

昨日、今日と、地面から蒸し上げるような熱気がこみ上げ、私が住む町は残暑とは思えない猛烈な暑さに見舞われました。 近頃は朝晩二回、水のシャワーを浴びていますが、水道水さえ肌にぬるく感じられます。 エアコンも一晩中かけっぱなし。 タイマーをかけて寝ても、冷房が止まったらすぐに目が覚めてしますのです。 外での肉体労働に従事している方は、さぞやお辛いことでしょう。 死ぬほど暑いといって、本当に亡くなる方が後を絶たないのですから、常軌を逸しています。  アスファルトジャングルが暑さを加速させている、という説がありますね。 しかし、 熱さ哉 八百八町 家ばかり   上野から 見下す町の あつさ哉 当時の気温や湿度の記録はないでしょうから客観的な比較はできませんが、少なくとも主観的には、上記二句からうんざりするような暑熱を感じます。 正岡子規の句ですが、明治の帝都も暑そうです。 エアコンも扇風機もなく、シャワーもないし内風呂も普及していなかったでしょうから、さぞ暑くて不快だったでしょうねぇ。
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夢かうつつか

今週も週末を迎える頃となりました。 大過なく過ごせていることに、まずは感謝。 猛暑、猛暑と言っていましたが、お盆を迎えて、今週は少し涼しかったように思います。 立秋も過ぎて、秋の気配でしょうか。 花見だ、若葉だ、梅雨だ、夏休みだ、月見だ、雪見だと、そしてまた正月だと、あわただしく時が流れるのは人の世の常でしょうか。 昨日まで 花の散るをぞ惜しみこし 夢かうつつか 夏も暮れにけり 源実朝の歌です。 「金塊和歌集」を残して、三十前に甥の公卿に暗殺されてしまいましたね。 正岡子規はこの人の歌を絶賛して、もう10年生きていれば、どれだけ名歌を残しただろう、と惜しんでいます。 惜しいけれども、長生きしてつまらぬ歌を残したかもしれず、今残っている実朝の歌を楽しむ他ありますまい。 私はただ、時のうつろいに身をまかせるほか、生きようがないとおもうのです。金槐和歌集 (岩波文庫)源 実朝,斎藤 茂吉岩波書店われて砕けて―源実朝に寄せて石川 逸子文芸書房
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学生時代

私の先輩が、この四月に定年退職して、そのまま農業を学びたいと、某大学農学部に入学しました。 知らない間に受験勉強していたのですね。 それにしても、還暦を迎えて大学生とは 六十の手習いというわけですか。 うらやましいかぎりです。 将来は農家を目指すんでしょうか 最初の学生の頃はヘルメットをかぶって警官相手に角材を振り回していたそうです。 いかにも団塊の世代らしい第二の人生です。 私は学生に戻れるとしたら、理系の学問を学んでみたいですね。  もうあはれとかをかしはいいです。 学生に 学生時代問われ居り いいちこの瓶 倒して立てて 佐々木幸綱の歌です。 安い焼酎を飲みながら、学生たちに自分の学生時代を語る老教授の絵が浮かびます。 おそらく作者自身を歌ったものでしょう。 この場合、学生も教授も男でなければなりません。 別に男女差別をするわけではありませんが、師と弟子が酒を酌み交わす図は、私の美意識では男同士でなければならないのです。 ましてそれが国文学徒であればなおさらです。 もしかしたら、かつて私自身が国文科の学生であり、女子大生がまわりに多すぎたせいかもしれません。 私の卒論の指導教授も今...
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夏の句

暑い日が続くと、外に出るのも勇気がいります。 炎天へ 打って出るべく 茶漬け飯 国文学者、 川崎展宏の句です。 打って出る、という表現が、ひどい暑さを物語っていますね。 茶漬け飯は、冷たい茶漬けとみました。 冷たい茶漬けで水分を補給し、体を冷やし、飯のパワーで一気に炎天をすすんで行く、勇ましいような滑稽なような句ですね。 次に夏らしく不気味な句。 生者より 亡者に 西瓜ごろごろす  小内美邑子 向日葵や 信長の首 切り落とす   角川春樹 亡者は死してなお、強い食欲を持っているのでしょうか?夏は魑魅魍魎が跋扈する時期です。そんなこともありましょう。 日の出の勢いの絶頂で命を絶たれた信長。夏の盛りを、夏の花の王として咲き誇る向日葵を、信長の首にたとえているのでしょうか。 どちらも、じんわりといやな汗が出るような気味悪さがあります。 今度は軽く、黛まどかの句です。 兄以上 恋人未満 掻氷 水着選ぶ いつしか彼の 目となって 女性らしい句ですね。 私は俵万智の短歌はどうにも受け付けないのですが、黛まどかの俳句は瑞々しくて良いと思います。 情念の強さの違いでしょうかね。 暑い暑いと愚痴をたれて...
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