文学

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電話男

今、インターネットの普及によって見ず知らずの人とコミュニケーションをとることは、当たり前になっています。 今から26年前、1984年に書かれた「電話男」は、電話によって赤の他人たちとのコミュニケーションを図り、それによって彼我ともに癒される存在を描いて秀逸です。 電話男(電車ではありません)は、日がな一日電話の前で、悩める人々からの電話を待つのです。 それはテレクラのような会うことを目的としたものではなく、ただ電話があり、電話男がいて、電話が鳴るのです。 彼らは闇の存在ですが、同じく闇に住むテロリストの標的になっていきます。 対面でのコミュニケーションを阻害する不逞の輩として。 人とのコミュニケーションを求め、それがはかないことを知って絶望する、そして、テロリストに狙われる。 今日のインターネット社会を凌駕する切なくて残酷な物語が、ユーモアを交えつつ加速度をつけて展開されます。 これは某文芸誌の新人賞を受賞しましたが、ずいぶん評価が分かれたそうです。 しかし時代は「なんとなく、クリスタル」だとかニュー・アカデミズムだとかが流行っていました。 斬新なものが受け入れられる素地があったのでし...
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高校野球

夏の甲子園大会も佳境を迎えていますね。 私は元来、高校野球を好みません。 技術も未熟だし、体もひょろひょろで頼りない。 そのうえ用もないのにヘッドスライディングなんかしてユニフォームに土をつけて喜んでいるのがあざとい感じがします。 しかし、因縁浅からぬ高校が出場すると、そうは言っても気になります。 東東京の関東一高と千葉の成田が対戦しました。 東東京は私のふるさと。関東一高に進んだ友人も大勢います。 一方千葉は現在私が住まいする地。 職場の人々はみな成田を応援していました。 結果、成田が快勝しましたね。 関東一高の選手も悔いはないのではないでしょうか。今やかの 三つのベース人満ちて  そゞろに胸のうちさわぐかな若人の すなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者はあらじ 野球をこよなく愛した正岡子規の歌です。 私はスポーツは苦手で、もっぱら観戦するほうですが、ときには自分にもスポーツの才能があったらいいな、とおのれの運動音痴を嘆くのです。正岡子規―ベースボールに賭けたその生涯城井 睦夫紅書房
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南方浄土

浄土というと西方に在るというのが一般的ですが、平安時代から江戸時代にかけて、南方の浄土を目指す命がけの渡海が行われていたことを、最近知りました。 西方浄土の場合には、あくまで信仰上の問題で、実際に西に向かって旅立ったという話は寡聞にして知りません。 しかし南方の場合には、多く那智の海岸から、小舟を仕立てて、あえて台風の多い11月に、僧侶一人が乗りこんで、海流のままにこぎ出したそうです。 南方の海の彼方に浄土があると信じたのですね。 当然のことながら、その小舟がどうなったかという記録はほとんどなく、いわば即身成仏のような、自殺行だったと考えられます。  これを、補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼んだそうです。  私はこれを、井上靖の「補陀落渡海記」という作品で知りました。 那智の補陀落寺の住職は61歳になると補陀落渡海に出るならわしがあり、周囲の圧力から逃れられません。 住職、金光坊はこの自殺でしかない宗教儀式の時を、死の恐怖と信仰の狭間に揺れながら待っています。 そして渡海後、金光坊は船から逃れて小島に上陸し、生き延びようとしますが、役人や信者に捕えられ、再び渡海を強要されます。 井上靖...
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残暑

昨日、今日と、地面から蒸し上げるような熱気がこみ上げ、私が住む町は残暑とは思えない猛烈な暑さに見舞われました。 近頃は朝晩二回、水のシャワーを浴びていますが、水道水さえ肌にぬるく感じられます。 エアコンも一晩中かけっぱなし。 タイマーをかけて寝ても、冷房が止まったらすぐに目が覚めてしますのです。 外での肉体労働に従事している方は、さぞやお辛いことでしょう。 死ぬほど暑いといって、本当に亡くなる方が後を絶たないのですから、常軌を逸しています。  アスファルトジャングルが暑さを加速させている、という説がありますね。 しかし、 熱さ哉 八百八町 家ばかり   上野から 見下す町の あつさ哉 当時の気温や湿度の記録はないでしょうから客観的な比較はできませんが、少なくとも主観的には、上記二句からうんざりするような暑熱を感じます。 正岡子規の句ですが、明治の帝都も暑そうです。 エアコンも扇風機もなく、シャワーもないし内風呂も普及していなかったでしょうから、さぞ暑くて不快だったでしょうねぇ。
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夢かうつつか

今週も週末を迎える頃となりました。 大過なく過ごせていることに、まずは感謝。 猛暑、猛暑と言っていましたが、お盆を迎えて、今週は少し涼しかったように思います。 立秋も過ぎて、秋の気配でしょうか。 花見だ、若葉だ、梅雨だ、夏休みだ、月見だ、雪見だと、そしてまた正月だと、あわただしく時が流れるのは人の世の常でしょうか。 昨日まで 花の散るをぞ惜しみこし 夢かうつつか 夏も暮れにけり 源実朝の歌です。 「金塊和歌集」を残して、三十前に甥の公卿に暗殺されてしまいましたね。 正岡子規はこの人の歌を絶賛して、もう10年生きていれば、どれだけ名歌を残しただろう、と惜しんでいます。 惜しいけれども、長生きしてつまらぬ歌を残したかもしれず、今残っている実朝の歌を楽しむ他ありますまい。 私はただ、時のうつろいに身をまかせるほか、生きようがないとおもうのです。金槐和歌集 (岩波文庫)源 実朝,斎藤 茂吉岩波書店われて砕けて―源実朝に寄せて石川 逸子文芸書房
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