文学

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今日は土用の丑。 本来ならばうなぎを食すべきところ、ひねくれ者の私はもう一つの夏の味覚、鰹をいただきました。 もちろん、たたきで。 近頃は刺身も流行っていますが、やはりほんのりと香ばしいたたきに軍配が上がります。 目には青葉 山ほととぎす 初がつお 有名な山口素堂の句です。 夏の季語がいくつも並んで、豪華な感じがしますね。 ほとんどこの一句をもって知られている俳人とさえ言えます。 しかし今年の夏は、死人が続出する猛暑で、この句のように優雅に命の盛りを楽しむわけにもいきますまい。 まずはおのれの健康を守ること。さらには死なずに秋を迎えることが肝要です。  特にご高齢のみなさまには十分に水分をとり、エアコンを積極的に使われますようにお願いします。
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大暑

今日は大暑ですね。 その名のとおり、ここ数日は猛烈に暑いですね。 外に出ると息苦しいような感じで、鯉のように口をパクパクさせてしまいます。 日本人は猛暑に苦しみながら、夏を楽しんでもきました。  炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ  飯田蛇笏の句です。 炎天下、一陣の涼気が槍のように過ぎて行った、という意味でしょうか。 涼しさを槍にたとえるとはなんとも豪気です。 飯田蛇笏一流の表現ですね。 少し色っぽく、 サラリー数ふ 恋ざかりなる 日盛りに  私と同世代の俳人、高山れおなによる句です。 汗をかきながら給料を数え、デートの算段でもしているのでしょうか。 微笑ましいですね。 さらに艶っぽく、 行水の 女にほれる 烏かな 高浜虚子の手になる句です。 昔は盥に水をはって、庭で行水をしていましたから、女が裸で庭に出ていたのですね。 その色香にカラスが迷う、というわけで、カラスというところが良いですね。 趣向を変えて、 かぶと虫 昔いぢめし 男の子 現代を代表する俳人、黛まどかの句です。 子供の頃、かぶと虫を捕まえに行って、からかったあの男の子はどうしているだろう、という初恋を追慕する句と読みました...
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つかこうへい

劇作家にして演出家、つかこうへいが亡くなりました。 噂ではかなり激しい演出だったとか。 私は舞台を観ることはついにありませんでしたが、映画では「蒲田行進曲」と「熱海殺人事件」が印象に残っています。 どちらも笑えて泣ける作品でした。そして、そこはかとなく乾いた感じが漂っていて、好きでした。 小説「長島茂雄殺人事件」は笑えましたね。千葉県某地方に長島村というのがあって、村民はみなスポーツ万能、挨拶は昼夜を問わず「燃えたね!」なのです。長島茂雄は長島村の落ちこぼれで、仕方なくプロ野球選手になった、という設定です。 長嶋ではなく、長島なのが、ミソです。  いずれも1980年代前半から半ばにかけての作品です。 私の中学・高校時代。 良いものも悪いものもなんでも吸収する貪欲な年頃に観たもの、読んだものは、みな印象的です。 冥福を祈ります。蒲田行進曲 つかこうへい,つかこうへい松竹ホームビデオ熱海殺人事件 つかこうへい,つかこうへいジャパンホームビデオ長島茂雄殺人事件―ジンギスカンの謎 (角川文庫)つか こうへい角川書店
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フクロウ

私はどういうわけか、幼いころからフクロウとダルマが好きでした。 毎朝、靴を履くにはてっぺんにフクロウをかたどった木彫りの靴べらを使っています。知床の民芸品店で12年も前に購入したものです。  フクロウというと、俳句では冬の季語ですが、フクロウに姿も声も似た青葉木莵(あおばずく)という渡り鳥が夏の季語になっています。インドのほうからはるばる日本にやってくる、運動好きの鳥です。 青葉木莵 おのれ恃め(たのめ)と 高処(たかどころ)   という句が詠まれています。文挟夫佐恵(ふばさみふさえ)という変わった名前の俳人の手による句です。 フクロウの類の鳥は、どこか哲学的な、おのれの道を独り歩む雰囲気があって、上の句は、青葉木莵のようにただ独り歩め、と励まし、叱っているような感じで、暑い暑いと不満ばかりたれている私などは、緊張を強いられます。 また、 病むも独り 癒ゆるも独り  青葉木莵 という句は如何でしょう? こちらは中嶋秀子の句です。 やはりこちらもどこか孤独を感じさせます。 夏の暑苦しい病床で青葉木莵の鳴き声に耳を傾け、病者の痛みを独り耐えている、といった感じでしょうか。  フクロウもダル...
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50年

今年は日米安保改定から50年だそうですね。 当時の総理大臣の孫が総理の座を去って、現総理でもう4人目。 前総理はまさにこの日米安保に関連する基地問題で窮地に陥りました。 今はもう、一部を除いて日米安保の有効性を疑う人はいなくなりました。 倉橋由美子が「シュンポシオン」という小説の中で、反核平和教徒という言葉を使っていました。 「シュンポシオン」は饗宴、という意味で、この小説は近未来の高級リゾートを舞台に、教養あふれるお金持ちたちが、延々と酒を飲んでは政治や芸術など、様々なことを語り合う、というスタイルをとっています。 今は絶滅危惧種ですが、80年代まではけっこう反核平和教徒が生息していました。 要するに、国防や平和について真剣に考えることをやめ、反核、反戦とわめいていれば戦争はなくなる、と信じる人々です。 そうなれば良いのですが、そうなることがあったとしても、100年や200年では無理でしょう。 人類の歴史をみれば、明らかです。 社会党は、村山内閣が成立した途端、それまで頑迷に唱えていた反核平和教を棄てました。 そして社会党は消滅への道を歩みました。 それまで見ぬふりをしていた、現実を...
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