文学

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早朝覚醒

今朝は四時に目が覚めてしまいました。早朝覚醒ですね。これは精神疾患の症状の一つで、時々現れます。そんなときは無理に寝ようとしないで、起きてしまうに限ります。 静かに、「角川春樹句集」など読んでいます。角川春樹の句は、どこか荒らしくて、俳句らしい枯れた感じがなく、面白く読めます。 例えば、 黒き蝶ゴッホの耳をそぎにくる 芸術家の狂気を黒い蝶に例えて、不気味です。  また、 少年期晩夏の海に銃を撃つ 少年期のいらいらした感じがよく出ています。  さらに、 鳥葬の人肉きざむ秋の山 秋の山というのどかなイメージと人肉きざむというおどろどろしいイメージが対比をなしています。 「角川春樹句集」は驚きに満ちていて、まだ暗い早朝の私を、震えさせるのです。地果て海尽きるまで―角川春樹「魂の一行詩」自選一〇〇角川 春樹,金田 石城角川春樹事務所
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お雛様

明日は雛祭りですね。まだ寒いですが、春の気配が感じられます。 実家では、妹がいたため、毎年豪華な雛飾りでいわっていました。 我が家のお雛様は、ぺこちゃんとぽこちゃんです。これはこれで、味わいがあります。  雛流し 松籟(しょうらい )これを悼みけり 松籟は松にふく風と、その音です。 もともとは川に流す紙製のお雛様だったそうで、雛祭りの終わりを詠んだ安住敦の句です。なんとなく春の物憂さが出ていて、秀句ですね。 不産女(うまずめ)の 雛かしづくや 哀れなる 嵐雪の句です。これはお目出度いお雛様の句としてはふさわしくありませんが、子を授かることのなかった女と美しいお雛様との対比が見事です。 お雛様の句は、格調高い、堂々たるものが多いですが、私は、上記2句のような、もの悲しい感じの句こそ、春の愁いをたたえて、味わい深いものと思います。
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すみれ

菫程(すみれほど)の 小さき人に 生まれたし 夏目漱石の春の句です。浮世を忘れて、小さな人になって、すみれと無邪気に戯れたい、という厭世観が読み取れます。変身願望といってもよいでしょう。 私は今、毎日リワークプログラムというのに通って、職業訓練をうけています。就職して18年もたって、なにを今更職業訓練か、という忸怩たる思いもあります。 しかし人間は、すみれほど小さくもなれないし、突如精神の健康を取り戻すこともできないのです。薄皮をはがすように、少しづつ、しかし着実に回復しなければなりません。 リワークプログラム自体は、意外にも楽しいものです。しかし、そこに通わなければならない私が、悲しいのです。
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テレビと学徒兵

昨夜、突然テレビが不具合となり、修理を依頼したら、明日とのこと、今宵はテレビが見られない、静かな夜です。私はもともとあまりテレビを見ませんが、ニュースだけは必ず見ています。それさえ見られないのはさびしいかと思いきや、意外なことに静で心地よい夜を過ごしています。 テレビが見られないので、晩酌の友に、「きけ わだつみのこえ」をぱらぱらめくっています。これは私が中学生の頃、母から読むように勧められたもので、確かに二十数年前、律儀に読んだ覚えがありますが、今となってはすっかり忘れていました。それを今宵、本棚から取り出したのは、偶然の再会とでも言うべきものでしょう。 内容は、学徒兵の日記や書簡を編纂したものです。 その中身を読んでみると、当時の学徒兵たちの多くが、極めて冷静で、日本の敗戦を予測していたことに驚きます。 海軍にしても陸軍にしても、勝算もなく、負け方さえ考えずに始めた戦ですから、当然といえば当然です。 米国がハルノートなる無謀な要求を突きつけたのが直接のきっかけではありますが、帝国主義国家が乱立する当時にあって、太平洋を隔てた日米が開戦するのは、不可避であったことでしょう。 責めるべ...
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寒さ

寒さは、私の脳を開いてくれます。 暑い盛りには、私の脳は死んでいました。 しかし寒い季節がきて、私はさまざまなことがしたいのです。 昔読んだ古典文学を読み返してみたい、今の私の心情を素直に著した小説をものにしてみたい。北風をものともせず、散歩してまわりたい。 冬は、私の季節であるかのごとくです。 埋み火や わが隠れ家も 雪のなか 私が最も愛する、蕪村の句です。 隠れ家がそのまま宇宙につながっているような、壮大さを感じます。 我が隠れ家は、つまらないマンションですが、そこにも、暖かい籠り居の快感があります。 少々の体重増は気にせずに、冬の籠り居を楽しみたいと思います。
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