文学

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死との対面

安岡章太郎のエッセイ「死との対面」を読みました。 この人の小説は、中学生の頃、熱心に読みました。洒脱な作品が多いな、と感じました。 現在、90歳ちかくですが、まだ現役ですね。たいしたものです。 「死との対面」では、老作家の徒然の物思いが、語られています。私の倍以上生きている人の言葉には、重みがあります。 様々な病気を克服し、長生きするにつけても、旧友が次々亡くなっていく、いよいよ次は自分の番だ、という覚悟のようなものが感じられます。 猫だって長生きすれば猫又になるとか。それなら作者はもはや仙人の域でしょう。死との対面―瞬間を生きる安岡 章太郎光文社
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枕草子に、「秋は夕暮れ。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず」 と、あります。 秋も十月なかばを迎えると、日の暮れるのがやけに早く感じますね。秋刀魚もそろそろ終わり。すべてが冬に向かって、突き進んでいるかのごとくです。 そして冬がしつこいのに比べて、秋の短いこと。  今日はなんだか、憂愁のようです。 こんな秋の日は、燗酒がひときわ旨いというものです。枕草子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)角川書店角川書店
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世の中に、男と女がいればこそ、恋は人生の必定。誠にまれな例なれど、同姓同士の恋もまた必定。 私は齢7つにして、初恋。唇も重ねた。 幼い恋は美しく歌われ、それもまた必定。 なれど幼い恋は幼いほど、好奇心と衝動が先走り、意外や、どろどろにのめり込む気味あり。 オフコースに、「君のいない毎日は、自由な毎日。あれを愛というなら、もういらない」の歌あり。高橋幸弘に、「愛されすぎると、逃げたくて」の歌あり。誠に男というもの、追われることが嫌いらしい。 而して若山牧水に、 逃れゆく 女を追へる大たはけ われぞと知りて 眼くらむごとし  の歌あり。   男が女を追う。これを恋と言う。 ストーカーなど知らぬ、オスはメスを追うべし。草食系だのと、片腹痛し。 婚活などと、馬鹿馬鹿しい。 古式ゆかしい男女の習いを知れば、そんなことは自然に任せるべし。
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死の文学

文学と死は、なんと離れがたく、抱き合っていることでしょう。 あまたいる自殺をとげた文学者。 あるいは情死。または孤独死。自衛隊の決起を促して死んだ文学者もいました。 文学者が死を甘美なものと捉え、そこから抜け出せなくなるのは、故なしとしません。死は未知であり、死を求める者の心に従って、自在に変化し、その魅力的な姿を現します。 私は、精神の病を患い、渇きにも似た切羽詰った心で、自死を模索したことがありました。しかしそれを実行しなかったのは、死は、私にとって魅力的でありながら、あまりに恐ろしいことであったからです。狂気のなかに、わずかに正気が残っていたのでしょうか。 そして今にいたるも、情けなく、生き残っています。 自死をとげた原民喜に、「夏の花」という小説があります。 自身の被爆体験を描いた小説です。 悲惨な被爆地の状況と、被爆者の切ない心情を描きながら、その文章はあまりにも美しいのです。 戦後最も美しい散文と、評されたほどです。 いわば死にいく他者と、死に抵抗する我を描いた小説で、それはまさしく、死の文学です。 もっとも痛ましい状況を、もっとも美しく歌わずにおられなかった作家の心情を思...
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雨が降っています。明日も雨だとか。季節のかわりめに、雨はつき物ですが、なんとなくだるくなって、憂鬱になります。抗うつ薬を三種類、気分安定剤を一種類、抗不安薬を一種類飲んでいますが、ちっとも効いてくれません。机にむかっていても、果てしない奈落の底に落ちていくような錯覚に囚われます。 秋雨や 夕餉の箸の 手くらがり 永井荷風の句です。秋雨で、窓から見る景色ももう暗く、淋しい。晩飯も手暗がりという、秋の憂愁と孤独を詠んだ句と見ました。 しかし、今日の私には、句をひねるほどの余裕もなく、ただ、この世ならぬものが自己のたましいに入り込んでくることへの恐怖に、慄いているのです。永井荷風の本
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