文学

スポンサーリンク
文学

時間を超越すること、あるいは恋愛譚

私が住むマンションの真ん前に、蕎麦屋とイタリア料理店があります。 休日の昼は、どちらかで食べています。 で、近頃気づいたことですが、コロナが流行して以来、イタリア料理店は明らかに客が減り、今や閑古鳥となり、その営業は風前の灯火と思われるのにたいして、蕎麦屋は今も以前と変わらず、繁盛しています。 これは不思議な現象です。 どちらも安価で美味なのですから。 世の中、不思議な現象に満ちています。 初めて会うのに、昔から、いや前世からの知り合いのごとく、初めて会った気がせず、最初から親近感を覚える、あの現象も、考えてみれば不思議な話です。 これは、大抵の場合、男女の浪漫的な恋愛譚に現れるものです。 女は待ち続けていた男に出会ったと喜び、男は探し求めていた女に出会った、と言うような。 恋愛というのは脳が一部馬鹿になった状態でしょうから、恋愛感情によって破壊された脳が、初めての相手なのに既視感を覚えさせ、それを運命的出会いと呼び、二人は恋に落ちていくというわけです。 しかし多くの場合、その感情は長続きせず、別れてしまうか、別れるのも面倒くさいから惰性で一緒にいるか、どちらかにならざるを得ません。 ...
文学

かくれ家

今日、千葉市はひどい南風が吹き荒れて、お昼に近所の蕎麦屋に行っただけで、終始、家に籠っていました。 大雨だとか、雪だとかで籠り居するのは、どこか気持ちが良いものです。埋火や 我がかくれ家も 雪の中という与謝蕪村の浪漫的な俳句を思い出させるような、心地よさを感じます。蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)与謝 蕪村角川学芸出版 しかし、ピーカンに晴れているのに、家に籠らなければならないというのは、なんとも無粋な感じがします。 晴耕雨読とか申しますが、こう風が強くては、畑を耕すこともままならないでしょう。 私はただ、煌めくお日様を眺めては、南風を呪うばかりです。
文学

何でもないこと

生憎の雨となってしまいましたが、それでも平日と比べて、格段に気持ちが落ち着きます。 休日と平日の落差が大きすぎて、生きているのは休みの日だけで、働いている日は死んでいるか、死んでいないにしても、ひたすら芝居を続けているように感じます。 もしかしたら働くということは、収入を得るために必要だという以外に、休みの日のうれしさを倍加させるためにあるのかもしれません。 今日も朝風呂につかったり、朝寝を楽しんだりしました。 昼はイタリアンのコースで、ワインも少し嗜みました。 そんななんでもないことが、とてつもなく幸せに感じます。 これから精神科に行って薬をもらい、その後は晩酌です。 真鯛の刺身となめろう、それにブロッコリーとフルーツトマトをいただく予定です。 これもじつは何でもないこと。 ただ平日と異なっているというだけです。 休日と休日の間にある平日、じつは休日が夢のような生活なのではなくて、平日こそが夢の中なのかもしれませんね。
文学

10年の後

今日はわずかに春を感じさせる陽気に恵まれました。 私はそれを寿いで、独り、分けもなく近所を歩き回りました。 これも休日の贅沢と言うべきでしょう。 散歩は頭を冴えさせる効能があるようで、気持ちの良いものです。 しかし、苦い散歩もありました。 もう10年以上前のことになりますが、私はうつ病を患い、自宅療養を余儀なくされていました。 精神科医に散歩を勧められ、根が真面目な私のこととて、嫌々ながら毎日1万歩、歩きまわりました。 その時の精神状態は、散歩を楽しいと感じさせるような、呑気なものではありませんでした。  とはいえ、私は約8か月の療養を経て、見事に復活を遂げました。 あれから10年。 ちょうど、冬から春に向かう頃、リワークプログラムで、同じ病から脱しつつある人々と出会い、私は完治できると、心強く思うようになったことを、懐かしく思い出します。 今も、時折、それら同病人と酒を酌み交すことがあります。 10年、感慨深いものがあります。 あの頃は、人と会うのも億劫で、見舞の客にも無礼を働きました。 梅いけて 礼者ことわる 病かな 正岡子規の句です。 正岡子規は35歳の若さで亡くなっていますが、...
文学

妻は元気で

今日は同居人が日曜出勤のため、独りで過ごさなければなりません。 よく、奥さんが留守だと嬉しい、という人がいますが、私には理解できません。 休みの日は、同居人と散歩をしたり、昼酒を呑んだりすることを常としていますから。 一人でいると、碌なことを考えません。 今、年度末祭りでめちゃくちゃいそがしく、忙しさに弱い私にはしんどくて仕方ありません。 30代半ばくらいまでえは、徹夜仕事も厭いませんでした。  それが今では、夕方になると目は霞むし、何より疲れちゃって、残業に耐えられません。  鋼の肉体が欲しいものです。  あるいは、専業主婦をやってみたいと思ってしまいます。  幸い、同居人はフルタイムで働く正規雇用です。  彼女の扶養に入りたい、思いながら、同居人には言いだせずにいます。  ああ、いっそこの世からおさらばしたい。
スポンサーリンク