文学

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ホトトギス

ようやっと、土曜日を迎えました。  朝は6時に起きて朝風呂。 そして朝飯。 朝酒といきたいところですが、そこはぐっとこらえて散歩に出かけました。 帰宅して、ゆっくりと、熱い珈琲を飲みつつ新聞を読みました。 もうすでに来ていると思われるコロナの第2波やら、習近平の国賓来日の話だとか、ろくなニュースはありません。 新聞に触れて、この世は苦しいことばかりなのかと嘆きます。 苦しいと言えば、精神病に悩まされていた頃、寛解にいたればすべてが薔薇色になると信じていました。 そんなはずがないのに。 病的な状態が普通に戻るだけで、普通とはかつて私が住んでいた苦界であり、そこに戻るだけのこと。 味気ない仕事と味気ないマンション暮らし。 花を愛でることも鳥の鳴き声に心躍らせることもありません。 まして歌心など。 夏草は 茂りにけれど ほとぎす などわが宿に 一声もせず 新古今和歌集に見られる短歌です。新古今和歌集―ビギナーズ・クラシックス (角川ソフィア文庫 88 ビギナーズ・クラシックス)小林 大輔角川学芸出版 今、夏の気配は濃厚になりつつあり、しかし私の住むマンションにはホトトギスの声も聞かれません。...
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酒呑み

また一週間が始まりました。 嘆きの週頭なんていう言葉もありますが、今日はわりと調子が良かったと感じます。 昨晩の晩酌を、いつもより一杯少なくしたのが良かったようです。 酒飲みとは、お祝いだと言っては酒を飲み、不幸があったと言っては酒を飲み、嬉しいから酒を飲み、悲しいから酒を飲み、何事もなくても酒を飲むものです。 酒を呑むのに理由は要らぬ。 呑みたいだけ呑めばよい。 世に酒飲みはあまたあれど、私は若山牧水ほどの酒飲みをほかに知りません。  朝酒ややめむ 昼酒せんもなし 夕方ばかり 少し飲ましめ 朝二合・昼二合・夜6合の酒を欠かさなかったと聞き及びます。 それが節酒をおもいたったのですね。 一方で、こういうのもあります。 飲むな飲むなと 叱り叱りながら 母がつぐうす暗き 部屋の 夜の酒のいろ 相当の酒飲みです。 多くの名歌を残した歌人、酒はやめられなかったやあめられなかったらしく、42歳で早死にしています。若山牧水歌集 (岩波文庫)一彦, 伊藤岩波書店若山牧水随筆集 (講談社文芸文庫)若山牧水講談社 私は父が亡くなってから、酒ばかり飲んで食わずにいたら、24キロも体重がおちてしまいました。...
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逃げ恥

さっきまで、「逃げ恥」と略されるTVドラマを観ていました。 なんとなく、観るともなく観ていたら、結構引き込まれました。 新垣結衣と星野源との恋愛が主たるストーリーですが、サブ・ストーリーと言うべきものがあって、それは49歳のキャリアウーマンを演じる石田百合子と、17歳も年下の男との恋愛模様。 じつは私は石田百合子と同い年。 それもあって、サブストーリーを興味深く観ました。 アラフィフであることを理由に、17歳年下の男の熱情を断り続けるキャリアウーマン。 若さを失ったゆえの悲哀が、そこはかとなく感じられます。 私はと言えば、ずいぶん流されてしまったなと感じているということ。 学生時代は学校でふらふらと漂い、就職してからは自分を殺して厳しい社会の中を浮遊してきました それで、気が付いたら50歳になっていました。 私はかつて、若さを楽しんだことがあっただろうかという根源的な問いを、自らに課さざるを得ませんでした。 真昼日の ひかり青きに燃えさかる 炎か哀し わが若さ燃ゆ 若山牧水の若い頃の短歌です。 若さを真夏ととらえています。若山牧水歌集 (岩波文庫)一彦, 伊藤岩波書店 倉橋由美子は名作...
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短夜

ただでさえ短い夏の夜。 私はまたしても午前3時に起きるという早朝覚醒を起こしてしまいました。 私の夜はどれだけ短いのでしょうね。 夜は疲れてしまって何もする気が起きず、風呂も最近はもっぱら朝入っています。 さっき、飯を仕掛けて風呂に入りました。 飯はそろそろ炊ける頃。 良い香りがキッチンに漂っています。 風呂上りの火照った体を冷房で冷やしつつ、亡き父の書斎から頂戴してきた「俳諧古選新選」などを紐解いています。俳諧古選新選三宅嘯山東亜堂 短夜や まだ濡れ色の 洗い髪  江戸時代の俳人、三宅嘯山の俳句です。 なんとも色っぽい句ですねぇ。 私は精神を病んでから、色っぽいことや艶っぽいことが起きることはなくなり、その道についてはすっかり無縁になってしまいました。 あるいは老化でしょうか。 今はただ、古人の和漢雅俗に親しんで、無聊をかこつばかりです。
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よろづを投げ捨てて

我が身、五十余年を過ごし、夢のごとし、幻のごとし。 既に半ばは過ぎにたり。 今はよろづを投げ捨てて、往生極楽を望まむと思ふ。 今様を集めた「梁塵秘抄」に見られるものです。 今様とは、今流行っている歌という意味で、平安時代末期の流行歌と言うべきものです。 流行歌だけあって、恋の歌なども多くみられますが、極楽往生を望む歌が多いように感じます。梁塵秘抄 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)後白河院KADOKAWA 冒頭の今様は、もっと長いのですが、後略としました。 遊びや愛欲の世界に生きて五十を過ぎた男が発心し、極楽往生を望む今様です。 私もまた、8月で51歳になります。 発心を起こさぬどころか、まだまだ遊び足りない気分ですが、平安時代には50歳と言えば、老人の部類だったのでしょうね。 人生の終わりを予感すれば、極楽往生を遂げたいと思うのは人情と言うべきで、まして仏教が人々にとって身近な存在であった平安時代には、当然のことだったのでしょう。 現代では仏教と言えば葬式くらいしか思い浮かびません。 私は寺で生まれ育ちましたが、仏教について詳しくはありません。 それでも、死が...
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