文学

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愁いつつ

愁いつつ 岡にのぼれば 花いばら 与謝蕪村の俳句です。 夏休みが終わり、出勤しました。 想像以上に気持ちが沈みます。 仕事の能率も上がりません。 ただ、明日から3連休。 月曜日が一斉休暇なので。 3連休が終われば、本格的に仕事モードになります。 今の私に耐えられるでしょうか。 愁いつつの生活も、もう3か月以上になります。 おそらく、うつ状態の再発なのでしょうね。  しかし、まだ長期病気休暇を取るほどでは無いと思っています。 だましだまし、低空飛行で続けられたら、また気持ちも上がってくると期待しています。 異動させてくれれば、ありがたいんですけどね。  8月20日は産業医面談があります。 そこで異動を願い出ようと思っています。
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お暇

今朝、お盆の迎えに行ってきました。 先般亡くなった義父は49日がまだなので、お骨は同居人の実家にあり、今頃は中有の闇を彷徨っているでしょうから、義父の迎えではなく、はるか昔に亡くなった同居人の家族の迎え。 例年ですと義父母夫婦二人だけで行くところ、今年は結婚以来初めて私と同居人と義母で行きました。 実父が亡くなったときもそうでしたが、人間なんて呆気ないものだと実感します。 ほんの80年ほど、人の世を渡り歩いて、あの世に行ってしまうのですから。 そう思うと、自身が死ぬときのことを想像せずにはいられません。 いくつまで生きるのか、どうやって死ぬのか。 いずれにしろ、あと30年ばかりの寿命でしょう。 その間にどんなことが起こるのか。 今まで時の流れに身を任せて、ふらふらと生きてきた私ゆえ、これからもそうなんでしょうね。 せめてもの救いは、平和な時代に生まれ、平和を当たり前のこととして生きていること。 殺し合いなんて愚かなことに明け暮れる時代に生まれなくて本当に良かったと思います。 この平和が維持せられることを強く望みます。 この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左...
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梅雨の晴れ間

降るものにして 日和は 梅雨のまうけもの 正岡子規の俳句です。 梅雨の晴れ間を詠んだものと見えます。 まさしく今日のような日。 しかし、一日中事務室にいたのでは、もうけもの、という訳にもいきますまい。
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待ち遠しい

休日が はや待ち遠し 月曜日 ネットで偶然みつけた川柳です。 サラリーマンも学生さんも共感するのではないでしょうか。 森鴎外は軍医としてトップの地位にまで上り詰めながら、多くの文学作品を残しました。 軍医としての仕事を、芝居をしているようだ、と嘆いています。 夜、執筆に励んでいる自分こそが本当であり、軍医としての自分は、その役割を演じているに過ぎない、というわけです。 その気持ち、よく分かります。 私は家に帰ってからの執筆活動など、とうの昔に止めてしまいましたが、ただテレビを観るだけでも、風呂に入るだけでも、そこには本当の自分がいるように感じます。 職場にいる自分は、しょせん、与えられた役割を演じているにすぎません。 大方の人は、それぞれ与えられた役割を演じているに過ぎないのではないでしょうか。 役割を演じなければ、収入を得られないとは、悲しいことですね。 でも中には、仕事にのめり込み、仕事中の自分こそ本当の自分だと感じている人もわずかながらいるわけです。 うらやましいかぎりです。 冒頭の川柳のように、月曜日から毎日、次の休みが待ち遠しいのは、生来の怠け者なのか、仕事嫌いなのか、私の悪...
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梅雨入り

今日は雨。 いよいよ梅雨入りでしょうか。 五月雨や 大河を前に 家二軒 与謝蕪村の俳句です。 五月雨のなか、激流となっている川の前に家が二軒建っている、という絵画的な句です。 正岡子規が、かつて松尾芭蕉の有名な、 五月雨を 集めて早し 最上川 よりも優れていると評して、当時の俳壇は騒然となったと伝えられます。 どちらが優れているかはお好みでしょうが、私は与謝蕪村を偏愛していますから、俳聖、芭蕉をしのいでいる面もあろうかと思います。蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)玉城 司角川学芸出版 それにしても、川っぺりに建つ二軒の家はどうなったのでしょうね。 無事だと良いのですが。 まさか流されたんじゃ? そんな想像を掻き立てる句ですね。 雨の休日には、家に閉じこもり古人の詩歌に親しむという楽しみもあります。 お出かけばかりが能ではありますまい。
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