文学

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ブリード ー血を吸う子供ー

昨夜はなんだか中途半端なJホラーを観てしまいました。 「ブリード 血を吸う子供」です。 シングル・マザーの精神科医。 彼女の幼い息子は、念力で物を動かす力を持っています。 ある時、傷は浅いのに大量に失血して死亡している遺体が発見され、しかもそれは連続します。 精神科医が謎解きとしながら息子との微妙な関係性を保とうと努力するお話。 やがて彼女は、山奥で自然分娩を行う産科医のもとで生まれた子供たちにはそれぞれに不思議な能力があり、しかも短命であることを知ります。 で、精神科医と産科医との対決となります。 産科医は若い頃アフリカの奥地で不思議なドラッグにより、2千年も生きてられる部族と出あい、その秘密にふれ、その力を広めることで人間を新しい地平に導こうと考え、妊婦にドラッグを飲ませるのです。 ほとんど不老不死になるのと引き換えに、彼らは極端な紫外線アレルギーで日の光にあたることができず、それかあらぬか生き血を吸わなければならない体になります。 これ、まるっきりドラキュラですね。 また、ドラッグを飲んで子供を産んでも、多くの子供は過剰な力を持つがゆえにエネルギーが枯渇し、子供のうちに死んでしま...
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冥途の寒さ

今朝は馬鹿に冷えました。 冬を迎えたことを実感させられます。 そういえば通勤の車を運転していても、いつもより車が多いように感じました。 忙しい季節なのでしょうねぇ。 私はと言えば、なんだか気をもむことは多かれど、それほど忙しいとは感じていません。  最近はまっている久保田万太郎の冬の句をいくつか。 粥喰うて 冥途の寒さ 思ひけり 粥を食うことなどほとんどありませんが、冥途の寒さを思うはんて、不気味な迫力があります。 そこはかとなく漂う厭世的な感じがよろしいようで。 飲みくちの かはりし酒よ 冬籠 冬に自宅で籠っていれば、酒の味が変わるのも当然でしょう。 これをかはりし、として、うましとしないところにこの人の真骨頂があるのでしょうね。 炭つぐや 雪になる日の ものおもひ これから雪が降ろうという日に暖房の炭を入れているのでしょうね。 今はエアコンのボタンを押すだけですから、気楽なものです。 もっとも私の実家はお寺で、古い建物だったせいか、冬は底冷えがし、エアコンはもっぱら冷房用で、暖房には石油ストーブを使っていました。 チュルチュルポンプで灯油を入れるのがひどく億劫だったことを思い出しま...
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熱燗や

12月に入ったというのに、今日は暖かい雨が降り続いています。 異常気象というのではないのでしょうが、なんだか調子が狂います。 まぁ、寒いよりはよほどマシですが。 近頃晩は熱燗で暖を取っていますが、今日は冷でもいいようです。 熱燗や とかくに胸の わだかまり 久保田万太郎の句です。久保田万太郎の俳句成瀬 桜桃子ふらんす堂俳句の天才―久保田万太郎小島 政二郎彌生書房 胸にわだかまりを持ちながら熱燗を頂くといえば、それは私の日常とも言うべきですが、そのわだかまりがいかほどのものかは、日によってずいぶん異なります。 幸いにして、このところの私は精神も安定し、さほど強いわだかまりをもって熱燗に助けを求めることもなくなりました。 精神安定のために飲む酒は、その時は一時的にまぎれても、翌朝かえって落ちているということはよくあります。 それに比べて単に一日の仕事の疲れを癒す燗酒は、すぐに体中を駆け巡り、じきにねむくなってしまいます。 わずかの酒で酔えるのは、健康な精神を維持せしめている証拠かもしれませんねぇ。 緊張に満ちた精神状態では、いくら飲んでも頭の芯が冴えているような感じで、酔えませんから。 い...
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ねじ

午前中、スバル・インプレッサ2.0Sの六ヶ月点検に行ってきました。 悪いところはありませんでしたが、なんとタイヤにねじが刺さっていたとのこと。 メカニックが言うには、ねじの状態が新しく、空気も抜けていないことから、ここ数日の間に刺さったと思われる、とのこと。 私が思わず、「いったいどこで?」と絶句すると、メカニックは何事も無かったかのように、「路上には色々なものが落ちていますから」と、涼しい顔です。 そこで私は不思議な感覚に捕らわれました。 高校生の頃読んだ漫画、つげ義春の「ねじ式」の世界に飛んだのです。ねじ式 (小学館文庫)つげ 義春小学館 ちょっとしたことをきっかけに、連想ゲームのように奇妙な世界に飛んでしまうのは私の悪い癖で、しかしほんの数秒で元に戻るからこれまで事なきを得ています。 いつか長時間飛んでしまうのではないかと心配です。 つげ義春の漫画の常で、「ねじ式」も極私的で、不条理で、どこか切ない、漫画というより詩編に近いものです。 久しぶりにつげ義春の作品群に接してみたくなりました。にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ
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秋雨

今朝はひどい雨で、通勤の車から見る街はけむって見えました。 気温も低いし、よっぽど休んでしまおうかと思いましたが、気を取り直して無事出勤いたしました。 白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ 古今和歌集にみられる藤原敏行の歌です。新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)高田 祐彦角川学芸出版 雨の色は一つなのにどうして秋の木の葉をこのように様々な色に染めるのだろうという、色彩感覚豊かな幻想的な歌ですね。 車から見る秋の木の葉に、このような幻想を見ることも無い無粋な私ですが、雨をただ鬱陶しいと思わず、それもまた秋の風情と思えば、少しは慰めにもなりましょうか。 傘もささず、ずぶぬれになりながら、しかもゆっくり歩いているサラリーマンを見かけました。 彼は何を想い、あるいは無念無想であのように濡れながら平気な顔そいてあるいていたのでしょうね。 不思議な光景でした。 あるいは件のサラリーマン、この世の者ではないのかもしれません。 ずぶれて犬ころ 24歳で早世した自由律俳人、住宅顕信の句です。ずぶぬれて犬ころ住宅 顕信,松林 誠中央公論新社 この人はあまたの時に...
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物語の真実

時折、なんということもなく、来し方を思い、また今の状況を考え、憂いを帯びることがあります。 中年なればこそ、若い日の愚行は、愚かゆえに懐かしくも感じるもの。 しかし40代半ばの今も、愚行を繰り返して生きていることに変わりはありません。 ただ、愚かさの上に常識の仮面をまとっただけのこと。 時間というのは不思議なもので、確かに起きたことなのに、あらゆる事実が歪められ、あるいは誇張され、また、忘れ去られていきます。 だからこそ歴史学なる学問が生まれ、歴史学者は考古遺物や古い文書などを手掛かりに、昔の姿を再現しようと努めるのでしょう。 しかし、それが確かにそうだったかどうかなんて、分かるはずもありません。 なんとなれば、私たちは半日前のことですら、精確に再現することは出来ないからです。 最近朝日新聞が、従軍慰安婦は旧軍が組織的・強制的に行ったものだとする30年も前の記事を訂正しました。 そういう事実はなかった、あるいはあったかもしれないが確たる証拠はない、と。 その一事をもってしても、過去、この世で行われたことを精確に知ることはできないと得心がいくでしょう。 ゆえに私は、繰り返し、真実は物語の...
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テロリストの詩

我、その時を待ちわびたり。 時満つれば、その時が来たらむは必至なればなり。 我が一日千秋の思いで待ちたるは、現世の終末に他ならず。 義務たる教育を受けし折、日輪はやがて牙をむき、我らの住みたる世界を飲み込み、生きとし生けるものは滅するが必定なりと教わりし。 そを知りたる日の幸いは、言の葉にならず。 ただ我、夢見の心地して、如何にして日を過ごしたか定かならず。  しかれども、我が存命のうちにその時が来たらむべくもなきことを知りたり。 日輪の時は悠久にして、我らの時はあまりにも短かければ、日輪の怒り爆発すを待つは、釈迦の説く劫にも等しき時が経るを待ちたる他なし。 我が嘆き筆舌に尽くし難し。 嘆き、にわかに怒りに変じ、我が怒髪は天を突く。 ならば取るべき道は唯一つ。  願いを成さんに、我が力と謀をもって、生きとし生けるものに引導を渡すべからず。  これ、我が宿願にして、テロルに深く共鳴したる所以なり。 我、而していわゆるテロリストと呼ばれたり。 しかれども我に思想信条のあるべきか。 ただ破壊の王たるを願うのみ。 砂漠の国に出向きて破壊を為し、駅舎空港、人の集まりたる場所に出向きて火薬を揮う。...
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仇敵 -ボード-レール「悪の華」よりー

早いものでもうじき9月も終り。 すっかり涼しくなりました。 時の流れを嘆く言葉はあまりに多く、聞き飽きた感がありますが、ボードレールの「悪の華」に所収の「仇敵」の一部には心打たれます。 時は生命をくらい、 この見えざる仇敵は、 われらの心を蝕みて、 とくとく生血をすすり、 肥りはびこる。 時は金なりとか、光陰矢のごとしとか、時間を大切にするよう戒める言葉はあまたありますが、時を仇敵となじった詩篇は他に知りません。悪の華 (新潮文庫)堀口 大學新潮社 ボードレールの面目躍如といったところでしょうか。 確かに中年期にさしかかると、疲れやすくなったり、太ったり、髪が薄くなったり白くなったり、明らかに老化と言うべき現象に見舞われます。 私の場合、髪の変化や中年太りはありませんが、明らかに疲れやすくなったし、集中力も持続しくなったし、近くの物を見るときには近眼鏡を外すようになりました。 これは誰にでも訪れる加齢による現象で、如何ともしがたいものですが、やっぱり気持ちが良いものではありません。眼鏡を取って新聞を顔に近づけて読む様を見て、同居人は「爺くさい」と笑いますが、その同居人も、書類仕事では眼...
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酒は静かに

すっかり秋めいてきましたね。 自宅に到着する18時頃には、すっかり暗くなっています。 それは寂しいに違いありませんが、気温が下がると酒の味をひと味上がるのも事実。 日々の晩酌が心地よい時季でもあります。 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり あまりにも有名な、大酒飲みの若山牧水の歌です。 私もまた、秋の夜の酒を楽しみに、日々の雑事に精を出しています。 それはとても疲れる作業ですが、わずかな酒が、疲れを癒してくれます。 酒は百薬の長ともキチガイ水とも言われる自己矛盾をはらんだ飲料です。 私の肝臓は今のところ正常値を保っていますが、このままいくと、きっと酒で死ぬんでしょうねぇ。 好きな酒で死ねれば本望と言うべきでしょうか。にほんブログ村 人文 ブログランキングへ
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戦艦大和ノ最期

吉田満の「戦艦大和ノ最期」を読みました。 この作品の存在は中学生の頃から知っていましたが、戦争賛美だの、軍国主義的だのという的外れの評判を耳にし、これまで敬遠してきました。 しかし、先日某文芸評論家が、これを近現代の日本文学最高の作品と紹介していたのを読み、テにしたというわけです。 全編漢字とカタカナの流麗な文語体で、自身が体験した大和の悲劇と、死ということ、国家ということ、戦争ということについて、学徒出陣で大和に乗り込んだ若い将校の苦悩が綴られます。 私が驚いたのは、大和の若い将校たちがかなり自由闊達に議論していることです。 例えば、世界の3大無用の長物として、万里の長城・ピラミッド・大和、と自嘲したり、海軍を救う唯一の方法は少佐以上全員銃殺、と言ってみたり。 彼らがそれで罰せられることはありません。 ただ黙殺されるか、同じ階級の将校同士で喧嘩になるか、です。 そしておそらく助からないであろう沖縄救援のため、片道分の燃料を積み、航空機による護衛もなく、駆逐艦9隻とともに特攻に出るという作戦ともいえない無謀な作戦に駆り出されるとき、それぞれが死ぬ意味を考え抜きます。 沖縄にたどり着く前...
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人にはとかじ

今日もまた、季節を先取りしたような涼しい一日でした。 こういう季節外れなら、大歓迎ですねぇ。 最近には珍しく、今日はなんとなく調子の良い日でした。 これを維持したいものです。 神秘(じんぴ)そも 人にはとかじ 氷室守 与謝蕪村の晩夏を詠んだ句です。 かつて製氷技術が無かった時代、冬の間にできた氷を融かさず保存するための施設がありました。 それが氷室。 氷室を維持管理するのが氷室守。 夏には氷室から氷を江戸に運んだりしたそうです。 氷は大層貴重であったものと思われます。 そしてその貴重さゆえ、氷室は神秘的存在としてとらえられ、氷室守は氷室を維持管理するのみならず、氷室の神秘を守るべき存在でもあったのでしょうか。 不気味なような、涼しいような、不思議な味わいをもった句ですね。 氷は将軍家に献上されるのみならず、玉川上水の水に氷を浮かべて氷水を売る水屋という商売があったとか。 しかし必ずしも衛生的とはいえず、年寄りなどはよく腹をこわしたため、年寄りの冷や水という言葉が生まれたとも。 私は氷をガリガリかじってしまうようなワイルドなことをよくしますが、腹をこわしたことなどありません。 衛生的な、...
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精神の運動

砂漠の国々では、連日、激しい戦闘行為が繰り広げられていますね。 ユダヤ教もイスラム教も相手の信仰を認めることがどうしても出来ないようです。 困ったものです。 私には何の力も無いため、それら残虐な戦闘行為を、ただ呆然と眺めていることしかできません。 歯がゆいかぎりです。 もっとも私は、おのれ一人の魂さえ救えない愚か者なのですから、国際紛争というがごとき複雑な問題は、理解することすら困難です。 イスラム原理主義者のテロも卑劣ですが、圧倒的火力で攻撃を続けるイスラエルもひどいものです。 要するに、どっちもどっち。 石川淳に、幕末に暗躍する隠れキリシタンの死闘を描いたスリリングな小説、「至福千年」というのがありました。至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)石川 淳岩波書店 山田風太郎を思わせる伝奇ロマン的な作品でしたが、そこで頻繁に登場する言葉が、石川淳お得意の精神の運動という言葉。 隠れキリシタンンの運動は、そのまま精神の運動でもあったわけです。 おそらくイスラム原理主義者も、ご当人のなかでは精神の運動のつもりなのでしょうが、結果として残されるのは、無辜の市民の死体の山。 石川淳という作家は、...
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鬼女とサイコパス

白無垢の花嫁が頭に載せる装束を、俗に角隠しと言いますね。 江戸時代の川柳に、 ありがたい 出る角かくし 眉かくし というのがあります。 花嫁というもの、さらには女人というものは、嫉妬や慾や恨みつらみの感情を隠し持っているという意味で、大乗仏教が生まれるまで、女人は成仏できないとされていました。 法華経で女人成仏が説かれ、浄土教でも同様の教えが始まり、かくて鬼たる女人も成仏できるというありがたい時代が到来したのです。 女が鬼となる物語といえば、安珍清姫伝説を嚆矢としますが、江戸時代、両国の回向院で、清姫が蛇に変化した際に生えた角が展示され、たいそう話題になったそうです。 これは能の「道成寺」、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」にまで昇華することになります。能 道成寺 能・狂言紀伊國屋書店坂東玉三郎舞踊集1 京鹿子娘道成寺 坂東玉三郎松竹ホームビデオ安珍と清姫の物語 道成寺 (日本の物語絵本)司 修ポプラ社 男への嫉妬心などから鬼となった女に、高僧が読経して心を鎮めさせ給い、かくして鬼の角がぽろっと取れて女は鬼から人に戻り、男と仲睦まじく暮らす、というのが近世の鬼女を題材にした仏教説話の典型と言え...
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新しい言葉

生きざまなる珍妙な言葉が多用されるようになったのはいつごろからでしょうか。 少なくとも私が小学生の頃には無かったように思います。 死にざまは昔からありましたが。 遠藤周作は「生きざまなんていう日本語は存在しない」と言い放ち、ある国語学者は、「新しくて、嫌な、じつに嫌な言葉です」と述べています。 私自身はこの言葉を使うことはありません。 それは使い慣れていないから、どういう場面で使うべきか分からないからで、嫌悪感を持っているからではありません。 言葉なんて、生まれたり無くなったりするものです。 ただ、小説家や国語学者などが、なぜこれほど生きざまを毛嫌いするのかについては興味があります。 元を正せば死にざまに対する言葉として生まれたのでしょうから、そこには必ず、死の匂いが漂うはずです。 それゆえ、生きざまという言葉には、生き方などに比べ、暗い影が差すのでしょう。 死にざまは、死あるいは死にゆくさまということで、人の人生の集大成が凝縮された、ある意味怖ろしい言葉です。 私はできれば、豆腐の角に頭をぶつけて死にたいと思っていますが、それは落とし噺の世界だけのこと。 実際にそんな死に方をする人は...
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早すぎた埋葬

フィリピンで3歳の女児が葬儀の最中に生き返り、病院に搬送されたそうですね。 参列者は腰を抜かしたでしょうが、時折、こういうことが起こります。 医学が進歩していなかった頃は、仮死状態のまま埋葬され、墓穴の中でよみがえり、それらの人々がゾンビ伝説やヴァンパイア伝説を生みだしたものと考えられています。 ただし、今と違うのは、生き返った、と喜んで病院に連れ込むのではなく、化け物だ、悪魔だ、と言われて寄ってたかって撲殺されてしまったこと。 せっかく生き返ったのに、浮かばれませんねぇ。 わが国のコントなどでも、葬式の最中むっくり起き上がり、なぜかそのまま葬式用の酒肴で酒盛りを始める、なんていう番組がありました。 私が一番怖れるのは、火葬場に入れられた後に生き返ること。 泣いても叫んでも誰も気づかず、生きたまま焼かれてしまうのです。 これは様々な最期のなかでも、最も悲惨なのではないでしょうか。 じつはそういう場面を描いた小説があります。 たしか、筒井康隆の「七瀬ふたたび」だったように記憶しています。七瀬ふたたび (新潮文庫)筒井 康隆新潮社 人の心を読むことができる超能力者の家政婦、七瀬が、自分に辛...
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