文学

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飛ぶ夢を見たくて

師走を迎えたせいか、このところ忙しい日々が続いています。 仕事中も、なんだかイライラしています。 そのせいか、仕事をほっぽりだして、どこかへ消えたいなどと、実現不可能な夢を見ます。 折りも折り、先般45歳以上の職員全員に早期退職を促すメールが人事担当部署から届きました。 人件費の高い中高年の職員には早く辞めてほしいようです。 しかし、少々退職金が上乗せされたところで、それだけで一生食っていけるわけもありません。 手を挙げたいと思いながら、ぐっと堪えています。 私は、どこかへ飛んで行きたいのでしょうか。 飛ぶ夢を 見たくて 夜の金魚たち という俳句がありましたっけ。 黛まどかの句で、「聖夜の朝」という句集に載っていたように覚えています。聖夜の朝 (講談社文庫)黛 まどか講談社 一生を狭い水槽で過ごす金魚たち。 その金魚たちですら、いやだからこそ、飛ぶ夢でも見て慰めを得たいのでしょうか。 私は悲しいかな飛ぶ夢をみたことがありません。 せめて夢の中ででも、浮世のよしなし事を忘れて、自由に羽ばたいてみたいものです。にほんブログ村 人気ブログランキング
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追われる

師走も4日目を迎えました。 今のところ寒さはそれほどでもありませんが、なぜか気が急く月ですね。 うしろから 追はるゝやうな 師走哉 正岡子規の句です。 師走の慌ただしい感じがストレートに表現されています。子規句集 (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店 今上陛下のご退位が再来年の4月末と決定し、平成の御世も残りわずかとなりました。 そのことも、なんとなく気持ちが焦る要因になっているのかもしれませんね。 私は昭和44年の生まれ。 平成の御世が始まった時、大学生でした。 世はバブルのまっただ中。 私はバブルに浮かれる人々を、冷ややかに見ていました。 その後バブルの反動か、20年以上に及ぶ冬の時代が続いています。 最近は景気が良いと聞きますが、給料が上がらないのでそんな実感はありません。 次の元号がどんなものになるのかはまだ分かりませんが、3つの時代を生きることになるのは間違いなさそうです。 もしかしたら、4つの時代になるかもしれませんね。 皇太子殿下は私より年上ですし。 なんだか無駄に歳月を過ごしてきたような気がします。 目の前の為すべきことを、ただ機械的に為してきただけのような。 多分これからも...
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Nのために

今日は静かに読書をして過ごしました。  湊なかえの「Nのために」を読みました。 知りませんでしたが、ドラマ化もされているんですね。Nのために (双葉文庫)湊 かなえ双葉社【Amazon.co.jp限定】Nのために DVD-BOX(コースターセット付)榮倉奈々,山本剛義,阿南昭宏TCエンタテインメント 高級高層マンションで、夫婦が殺されます。 その現場に居合わせた人たちが、それぞれ一人称で事件について語る、という構成になっています。 第一章では、警察の質問に答える形で、それぞれの証言の食い違いはありません。 しかし第二章以降、現場に居合わせた者たちが、真相を語りだしたとき、警察に話した内容とは全く異なる事件の全容が明らかになります。 一人称ですから、当然、主観で語られます。 そうなると、同じ事件が異なった様相を呈します。 ちょうど、芥川龍之介の「藪の中」のように。藪の中 (講談社文庫)芥川 龍之介講談社 それぞれの生い立ちなども判明し、読後感の悪い作品になっています。 Nとは、登場人物6人全員を指しています。 6人ともが、苗字か名前のイニシャルがNなのです。 それぞれが、自分とは違うNの...
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悪魔の舌

昨夜、青空文庫で遊んでいたら、村山槐多という作者の「悪魔の舌」という短編をみつけ、読んでみました。悪魔の舌村山 槐多メーカー情報なし悪魔の舌 (青空文庫POD(ポケット版))村山槐多青空文庫POD 村山槐多、大正時代の画家で、詩や小説も書き、わずか22歳で夭折した、という人でした。 「悪魔の舌」、なかなかに興味深い作品でした。 なにやら楳図かずおの恐怖漫画を読むような楽しみがありました。 金子という25歳の詩人の物語です。 物語は、金子が自殺して後、友人が遺書をみつけ、その遺書に奇っ怪なことがつづられている、という構成になっています。 金子はある時を境に、何を食っても不味く、どうしたのかと思っているうちに、悪食に走ります。 悪食とは、土、ミミズ、毛虫などを食すのです。 そしてそれらは、とてつもない美味、いや、美味というより麻薬のような恍惚をもたらす食い物と感じます。 そんな食生活を続けているうちに、なぜか金子の舌にはびっしりと針が生えてしまうのです。 悪食はさらに進んで、人肉を食いたいという欲望につながります。 そしてある晩、谷中墓地で若く美しい女の死肉を喰らい、もはや止まらなくなり、...
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戦艦大和とクリスチャン

ずいぶん前に、「戦艦大和ノ最期」という戦記文学を読みました。戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)鶴見 俊輔講談社 その作者で戦艦大和の生き残りであった吉田満と言う人が、敬虔なクリスチャンであったことを、最近知りました。 しかも、もともとはカソリック信徒であったものが、後にプロテスタントに改宗しているという変わり種。 キリスト教に入信したのは、1948年。 戦後4年くらいでしょうか。 きっかけは、信頼できる神父との出会いであったようです。 その後プロテスタントに改宗することになりますが、これは謎とされているようです。 結婚が機会になっていることは確かなようです。 というのも、妻の実家が熱心なプロテスタントだったからです。 しかし妻もその実家も、吉田満にはカソリックにとどまることを望んだと伝えられます。 節操無しみたいで嫌だったんでしょうか。 いずれにしろなぜか、プロテスタントに改宗。 推測ですが、神に祈るという行為そのものだけが重要で、儀式のやり方などが異なっていてもどっちでもよい、ならば妻と同じ宗派に、と考えたのではないでしょうか。 宗教に寛容な日本人ですから、そう考えても不思議はありま...
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