文学

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千年

来週の火曜日、8月22日は私の誕生日。 48歳になります。 48年なんて、長い歴史から見ればわずかな期間です。 人間の歴史は宇宙の歴史からみれば一瞬ですが、それでも、現在を生きる私としては、とてつもなく長い年月の積み重ねに感じます。 そういえば、子供の頃は冷房は居間にしかなく、扇風機だけの自分の部屋で眠らなければならない真夏は過酷でした。 学生の頃、実家が農村の友人宅を尋ねたら、トイレは水洗になっておらず、築100年の茅葺の家で、まるで日本昔話のようだと驚いたことがあります。 台所は土間で、居間は板の間で囲炉裏がありました。 近年の技術の進歩はすさまじい勢いで、情報環境をはじめとして、30年前の暮らしと現在とでは、大きく異なっています。 今私がこうして当たり前のようにアップしているブログも、ほんの20年ほど前までは、ほとんど見当たりませんでした。 時代は移ろい行くようです。 そう思うと、千年も昔のことなど、想う術とてありません。  千年を 世界の人の あゆみける 路ほそぼそと 眼にうかび来る    窪田空穂の短歌です。 千年の歩みなんて、眼には浮かびませんが、壮大な歌だと思います。窪田...
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終戦

今日は終戦記念日。 例年であれば、狂気じみた暑さに襲われますが、今日はしとしと雨。 涙雨、でしょうか? 終戦のち 一年を過ぎ 世をおそる いきながらへて 死をもおそるる  齋藤茂吉斎藤茂吉歌集 (岩波文庫)山口 茂吉,佐藤 佐太郎,柴生田 稔岩波書店 たゝかひは 永久(トハ)に やみぬとたゝかひに 亡(ウ)せし子に告げ すべあらめやも  釈迢空釈迢空全歌集 (角川ソフィア文庫)岡野 弘彦KADOKAWA/角川学芸出版 72年目の終戦記念日を迎え、とくに思うところはありません。 戦時中、戦争協力をしたことで、戦後、反省の日々をおくった齋藤茂吉。 反省などしなくてよいのに。 祖国が総力戦に突入してしまったら、祖国の勝利を信じて出来うるかぎりの協力をするのがどこの国でも当たり前なのに。 それを許さないGHQ、そしてわが国の戦後の言論空間が怖ろしいです。 切ないですねぇ。 義理の息子を戦争で亡くした釈迢空。 義理の息子と言いながら、事実上は同性の恋人でしょう。 老いた歌人であり国文学者であった彼には辛いことでしたでしょう。 この趣の異なる二首を紹介して、終戦記念日の記事に代えたいと思います。に...
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盛夏

昨日、今日と、いよいよ暑くなってきました。 まさしく、盛夏。 もう20年も、日焼けすらしていない軟弱者の私にしてみれば、死を連想させるような過酷な季節です。 蝉は鳴き、命の盛りのような盛夏に、死が感じられるとは不思議なものです。 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 俳聖、松尾芭蕉の句です。 俳聖もまた、蝉の声に死を感じていたのでしょうか。 しかし、夏は短く、儚くもあります。 この狂い死にしそうな季節を、どうやってやり過ごそうかと思っているうちにも、盛夏は終わってしまうのでしょうね。にほんブログ村 人文ランキング
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死後の恋

心中というと、相愛の男女がその恋の至純であることを証し、さらには来世で結ばれることを願って一緒に自殺する、というのが一般的な概念かと思います。 その他には、生活苦などから家族で同時に自殺する一家心中。 さらには子供や、老いた親などを殺して、後に自殺する無理心中などがあります。 相愛の男女による心中を美化するような文学作品もありますが、一般には許されざる行為です。 死んで花実が咲くものか、と申します。 生きていればこそ、結ばれる時もくるでしょう。 目の前の愛欲に惑わされ、ヒロイックな自己陶酔に陥って、男女が一緒に死ぬなど、他人から見れば滑稽でしかありません。 しかし死に逝くその間際に、恋しい人への想いを形にする、となるとまた話は別でしょう。 大正から昭和にかけて活躍した、幻想的な作品を得意とした夢野久作の短編に「死後の恋」というものがあります。死後の恋: 夢野久作傑作選 (新潮文庫)夢野 久作新潮社 革命の嵐が吹き荒れるロシア。 ウラジオストックで、キチガイ紳士と呼ばれる元ロシア貴族を自称する男。 この男が駐留していた日本軍の将校に独り語りする、という形式で物語は進みます。 夢野久作独特...
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なぜか悲しき

今日は雨後曇りで、かなり涼しく、過ごしやすい一日でした。 今年は空梅雨でしたが、なんだか梅雨が戻ってきたような。 あぢさゐや なぜか悲しき この命 久保田万太郎の句です。 一般に儚さを感じるのは、桜と相場が決まっていますが。 かの俳人は紫陽花に儚さと悲しさを見たようです。 梅雨時に咲く珍しくも美しい花に、それを感じたんでしょうね。 あまり自分を語らなった三島由紀夫も、紫陽花を好むと言う旨のエッセイがあります。 文人に愛される花なんでしょうか。 私は命のはかなさを紫陽花に感じる心性は持ち合わせてはいませんが、言われてみれば、梅雨時の花というのは、桜のような華やかさと逆の、いわば陰の美しさみたいなものがあるように感じます。 その紫陽花ももう散りました。 やっぱり悲しいような気がします。久保田万太郎全句集久保田 万太郎中央公論新社にほんブログ村 人文ランキング
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