文学

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蘇生

今日は休暇を取りました。 一番の目的は、障害者自立支援の更新。 これのおかげで、精神科はクリニックも薬局も1割負担で済んでいます。 朝9時ちょうどに千葉市若葉区の保健福祉センターに行ってきました。 我が家から徒歩10分ほどです。 用事はすぐに済んで、洗車をしました。 だいぶ汚れていたので。 その後、昨日の夜から読み始めた「蘇生」という小説を読了しました。蘇生五十嵐 貴久PHP研究所 小学校5年生の時に福島で被災した少年少女たちが15歳になって、両親を震災で亡くして北海道の親戚に預けられた元同級生が、稚内の岬から海に飛び込んで自殺したことを知り、当時の仲間、男女5人が当時の担任に連れられて岬に慰霊に行き、しかし帰りに、岬に繋がるぼろい橋が落ちて、過酷なサバイバルを余儀なくされる、というお話。 岬から町までは150キロもあり、しかもほとんど車が通らないとあって、少年少女たちは、直線距離で40キロの森を抜けていこうとします。 道に迷ったり、野犬に襲われたり。 水も食料も無いなか、さんざん苦労します。 しかしこれは、単なる過酷なサバイバルの物語ではありません。 その過酷さのなかで、それぞれが、...
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愚行録

昨夜、貫井徳郎の「愚行録」を一気に読みました。愚行録 (創元推理文庫)貫井 徳郎東京創元社 読んでから知ったのですが、映画化されて、今、上映されているんだそうですね。 でも映像化が難しそうな小説でした。 都内で夫婦と幼い子供二人の一家4人が惨殺されるという事件が起きます。 捜査は行き詰っています。 あるライターが、殺された夫婦の知り合いを次々に訪ね、インタビューをするという形式で物語は進みます。 同僚、大学時代の友人などなど。 で、ハンサムでエリートサラリーマンの夫と、美人で賢い妻という、絵に描いたような理想の二人の人物像が、少しづつ、壊れていきます。 そしてなぜかところどころにはさまれる、妹が兄に語りかける場面。 暴力を振るう両親に育てられ、ゆがんでしまった妹の独白が不気味ですが、物語の結末にいたるまで、この独白と数々のインタビューがどう絡むのか明らかにされません。 愚行というのは、当初、殺された夫婦の若かりし頃のちょっとした意地悪や悪を指すのかと思わせますが、そんなはずもありません。 どんな境遇に育っても、人は誰でも愚行をおかさずにいられないのだと、物語の終盤に気付かされます。 い...
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コンビニ人間

昨夜は芥川賞受賞作「コンビニ人間」を読みました。 単行本で150ページほどの中篇ですので、1時間ほどで読めました。コンビニ人間村田 沙耶香文藝春秋 36歳、独身、コンビニ店員歴18年、恋愛経験なし、したがって処女の女の物語です。 この女、子供の頃から少しずれています。 公園で小鳥が死んでいるのを見つけて、他の子供たちは泣きながらお墓を作ろう、と言うのに対し、真面目に、お父さん、焼き鳥が好きだから焼いて食べようなんて主張して、母親にたしめられて「せっかく死んでいるのに」なんてつぶやいてみたり。 小学校で男の子同士が喧嘩を始めて、止めなければ、と思って、スコップで思いっきり男の子をぶん殴ったり。 普通と違う、一風変わった子、と評価されてしまいます。 しかし、コンビニ店員である間は、マニュアルどおりに、しかも明るく元気にしていれば、「コンビニ店員の普通」、でいられて、社会から受け入れられている、と感じることができるのです。 夢の中でもレジを打つほど、コンビニ店員であることにどっぷりとはまっています。 しかし親や友人は、なぜいい年をして結婚も就職もしないのか、と彼女を責めるのです。 コンビニに...
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顔のない裸体たち

今日は晴れていましたが、北風が強かったため、終日自宅にこもり、小説を読んで過ごしました。 読んだのは、平野啓一郎の「顔のない裸体たち」です。顔のない裸体たち (新潮文庫)平野 啓一郎新潮社 小説には、一人称、三人称の文体が多く、二人称もごくまれにあります。 三人称の場合、作者が全体を俯瞰する、神の目線で描かれることが多いですが、この作品は、一種のフェイク・ドキュメンタリーの形を取っており、ジャーナリストが語る、ということになっていたため、神の目線は取られていません。 それが小説に真実味を与えているかは、ちょっと判断しかねるところです。 小学校から高校までイジメにあっていた市役所職員の片原と、中学教師で平凡な思春期を送った希美子が出会い系サイトで出会い、激しい性交を重ね、ついには野外露出、さらに動画をインターネットの動画サイトに投稿するなど、性的逸脱とも言うべき行為に走り、ある小学校でこっそり野外露出の動画を撮影中に教師らにみつかり、片原は持っていたジャックナイフで教師らを刺し、怪我を負わせるまでの経過が、淡々とつづられます。 これはおそらく、性を描いた文学ではなく、世間が認知する自分と...
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「追憶のかけら」あるいは悪意

昨夜、貫井徳郎の「追憶のかけら」を読了しました。追憶のかけら (文春文庫)貫井 徳郎文藝春秋 不思議な小説です。 最愛の妻を事故で亡くした国文学者の大学講師が、ふとしことから、短編をわずか5作残しただけの、忘れられた作家の手記を手に入れます。 この作家が死を前にして、自殺にいたる経緯をつづったものです。 この作中作品、たいへん読み応えがあります。 これだけで、十分一個の作品と言ってよいでしょう。 この手記では、友人の瀕死の復員兵から、かつての愛人に会い、自分の代わりに詫びを入れてほしいと作家が頼まれます。 作家は善意で元愛人を探すのですが、その過程で様々な悪意に出会い、ついには自殺に追い込まれます。 で、その手記を手に入れた大学講師。 彼はなかなか業績が上げられず、このままでは研究者としてやっていけないと感じていますが、手記を手に入れたことで、金鉱を見つけた気分になります。 未発表の手記をもとに論文を書けば、十分な評価が得られるはずだ、と。 しかし、大学講師にも、悪意が忍び寄ります。 大学講師の研究者生命を断とうとまでする悪意。 大学講師の運命は二転三転し、というお話。 貫井徳郎の作品...
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