文学

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最後の教育

安岡章太郎の自伝的作品に、「海辺(かいへん)の光景」という小説があります。 教育ママだった母親が認知症を患い、精神病院に入院。 主人公は母親の最期を看取るため、10日ほどその病室で精神的におかしくなった母親と過ごします。 父との不仲、母への愛憎が率直に語られ、胸を打つ作品に仕上がっています。 私が父を最期に見舞ったとき、もはや虫の息で、その翌日には亡くなってしまったわけで、あるいは父は私に対する最期の教育を怠ったのかもしれません。 苦しみ衰えていく怖ろしい姿を見せ、人は最期はこうやって苦痛にのたうちながら死んでいくのだ、という恐怖の、そして真実の教育を。 安岡章太郎の母親は恍惚の人となってしまったその姿を息子にあますところなく見せつけ、安岡章太郎は壊れいく母を見ながらどうすることも出来ない、という喪失を長く感じさせられ、人の死についての最期の授業を受けたと言えるのではないでしょうか。 それを受けて、息子はその母親の子供であるということだけですでに充分に償っているのではないだろうか?、と独語する主人公のやりきれなさには、涙を禁じえません。 ずいぶん前に読んだ小説ですが、鮮烈な印象を残して...
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啓蟄

今日は啓蟄ですね。 啓蟄らしく、20度ちかくまで気温が上がり、今日はコート要らずでした。 私が予言したとおり、涙雨は昨日でやみ、今日は亡父の魂が極楽へと往生するのを寿ぐ陽気になりました。  どこまでも強運な男です。 啓蟄といえば、 啓蟄や 日はふりそそぐ 矢の如く  高浜虚子  と、いう力強い句を思い起こします。 一方、   啓蟄の 蛇に丁々 斧こだま 中村汀女 というのも、どことなく薄気味悪い感じで良いですねぇ。 でも考えてみると、暖かさに土中の蟲どもが這いだしてくるというわけですから、もともと気味の良いものではありますまい。  まぁ、蟲のことは考えず、春の訪れを寿げば良いのでしょうね。中村汀女 俳句入門中村 汀女たちばな出版虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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辞世のことば

わが国には、死に際して、辞世の歌や句、漢詩などを残す風習がありますね。 思いつくまま並べてみると、 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂                                                      吉田松陰の辞世です。 明治維新の精神的支柱となった人だけあって勇ましいですね。 風さそう 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん       ご存知忠臣蔵の悲劇の殿様の歌です。 腹を召そうという直前、庭先で詠んだとはにわかには信じがたい、狂おしいほどに美しい辞世です。 辞世といったら、浅野の殿様の歌に止めを刺すかもしれません。 散るを厭う 世にも人にも先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐 三島由紀夫の辞世です。 ああいう死に方ですから仕方ないですが、どこかわざとらしく、人の心を打ちません。 磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む ぐっと時代がくだって有間皇子の辞世です。 これから処刑されに行くのに、また還り見むというのが哀れをさそいますねぇ。 この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに...
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雛祭り

今日は雛祭り、桃の節句ですね。 実家では、妹がいたため、七段飾りの豪勢なお雛様を飾っていました。 でもあれ、飾るのもしまうのも重労働なんですよねぇ。 しまうのが遅れるとその家の女の子が嫁き遅れるとかいいますね。 ま、何事も季節の行事はぱっと祝ってさっさとしまうのが良いということでしょう。  雛祭る 都はづれや 桃の月  与謝蕪村 この蕪村の句は雛祭りに主眼があるのではなく、桃の月、という春先の月に趣きがあるということでしょうねぇ。 それでも、雛祭る、という文言に、華やかさが添えられています。 都はずれの田舎でも、お雛様を飾って華やいだ雰囲気の中、月をめでようというわけで、二重におめでたいですねぇ。 草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家  松尾芭蕉 こちらは俳聖、芭蕉の句。 自分が住んでいた草の戸、すなわちあばら家も、旅に出て別の人が住むようになれば、お雛様を飾るような華やいだ家になるだろう、という、どことなく寂しいような、旅への執念を感じさせるような句ですね。 旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる 松尾芭蕉 という、辞世を残し、あくまで旅を棲家として俳句の道に精進した芭蕉らしい句です。 一...
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一九三四年冬ー乱歩

今日は演出家・脚本家・小説家など、マルチな才能を開花させた才人、久世光彦の忌日です。 たしか2006年だったと記憶しています。  私がこの人の作品として強い印象を残しているのは、「一九三四年冬ー乱歩」です。 彼を語るとき欠かせない、「時間ですよ」などのドラマは、ほとんど覚えていません。  「一九三四年冬ー乱歩」は、スランプを脱するために都内某ホテルに宿泊し、そこで幻想的な経験をする江戸川乱歩を描いたもので、単なる幻想譚としてだけではなく、江戸川乱歩の精神的な苦悩がよく描かれていて見事でした。 当時直木賞候補になりながら、直木賞のレベルを超えている、という奇妙な理由で受賞を逃して話題になりました。 そんな理由じゃ、文句も言えますまい。 当時私は大学生で、通学の地下鉄の中でこの小説を読んでいたのですが、不覚にも涙をこぼしそうになり、慌てて途中の駅で降り、トイレに駆け込んだことを、鮮明に思い出します。 定命は天の知るところとはいうものの、惜しい人を亡くしたものです。一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)久世 光彦新潮社時間ですよ 1971 BOX1 森光子,船越英二,松山英太郎,松原智恵子,堺正章...
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ここの港に寄りもせず

何年前になりますか、浅草から水上バスに乗って東京湾を一周する春の休日を持ったことがあります。 浅草の船着き場は当時、木材でできており、いつポキッといってもおかしくなさそうな、頼りなげな風情でした。 そういえば浅草に観光客向けの人力車があんなに増えたのはいつの頃からでしょうね。 30年前、私が子どもの頃はまったく見かけませんでした。 それと、煮込み横丁。 昼日中から酒を飲ませる店はいくらもありましたが、煮込み横丁のような、観光客でも外国人でも気楽に入れるお店なんてありませんでした。 これも時の移ろいでしょうか。 あるいは、わが国に外国人観光客が増えたのでしょうか。 春白昼 ここの港に 寄りもせず 岬を過ぎて 行く船のあり                              若山 牧水 一説には、三浦半島を詠んだ歌だと伝えられます。 旅が好きで、沼津が気に入って移住したというくらいですから、三浦半島なんて目と鼻の先だったのでしょうね。 牧水先生の歌を、うますぎる、とか、きれいすぎる、と言って嫌う向きもあるようですが、私は近代歌人の中では随一の歌よみだと思っています。 旅人と言う者、常...
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雪見

首都圏は、雪。 私の職場の窓からも、大粒の雪が降り続いているのが見えます。 今、昼休み。 400円の日替わり弁当で、雪見を楽しんでいます。 本当は熱燗でもほしいところ。 事務室内は暖房が効いていますが、一歩廊下に出れば、縮こまるような寒さです。 酒のめば いとど寝られぬ 夜の雪   松尾芭蕉 雪見の酒を独りでやっていると、人恋しくて眠れない、といったほどの意でしょうか。 俳聖も人の子だったのですねぇ。 雪の内に 春はきにけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ                           二条の后(古今和歌集) 雪の降っている中に春が来ました、ウグイスの凍っていた涙は今、とけるでしょうか、といったほどの意かと思います。 美しいイメージの歌ですねぇ。 この雪は、きっと春の到来を告げるものでしょう。 逝く冬を惜しみ、今宵は熱燗で雪見酒とでもしゃれこみましょうか。芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)雲英 末雄,佐藤 勝明角川学芸出版新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)高田 祐彦角川学芸出版にほんブログ村本・書籍 ブログランキングへ ↓の評価...
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閏日と発情期

今日は4年に1度の閏日ですね。 年齢計算ニ関スル法律では、2月28日の午後12時に一つ年齢が加算されるため、平年における3月1日生まれと同じ扱いながら、戸籍上の誕生日は2月29日となるそうです。 ただし、一般社会で2月28日を誕生日とみなすか、3月1日とみなすかは明確な定めはなく、それぞれの家族がよろしいようにみなしているとか。 だから法的には、何も4年経たなければ年を取らないというわけではなさそうです。 猫の恋 やむとき閨の 朧月  松尾芭蕉 閏と閨は何の関係もありませんが、その漢字の類似から、なんとなく、上の句を思い出しました。 猫の恋する騒々しい声がやんで、閨に朧月がさしかかっている、という何となく人肌恋しそうな句ですね。 松尾芭蕉にしては色っぽい句であるように感じます。 春は恋の季節でもあり、野良猫がさかる姿を時折目にします。 精神障害を発症するまでは、私もオスの本能に従って、早春には何となく人肌恋しいというか、平たく言えば性欲が増進しましたねぇ。 人間は一年中発情期とか言いますが、私個人の経験で言えば、明らかに早春の短い時期、性欲の高まりを自覚しました。 人間にも発情期がある...
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外科室

私の中学時代の友人が、山形大学医学部附属病院で外科医をやっています。 たまたま彼が出張で東京に来るというので、明日、会う予定になっています。 私と彼は、中学時代、互いを意識しあう仲でした。 1学期に彼が学級委員をやれば、2学期は私。 3学期はどちらかの取り巻きがやるという具合。 女子生徒が男子生徒の人気投票をやれば、彼が1位で私は僅差で2位でした。 彼は学力優秀、スポーツ万能の優等生タイプで、私は斜に構えた変人タイプ。 でも二人で話をするのは、楽しいことでした。 外科医というのは体力も要るし知力も要るし、まして人の命に関わる仕事で、ずいぶん苦労も多いようです。 思い立って、何十年ぶりかで泉鏡花の「外科室」を読み返しました。 以前、坂東玉三郎監督、吉永小百合主演で映画化され、50分の短編といことから、入場料1,000円ということが話題になりました。 「外科室」は、外科手術を受けることになった伯爵夫人が、麻酔をかけるとうわ言で秘密を漏らしてしまうから麻酔は嫌だ、と拒否します。 周りはずいぶん説得しますが、外科医はおもむろにメスを取り、麻酔なしで手術を始めます。 メスが骨に達した時、伯爵夫人...
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三好作品の教材

三好達治の詩に、「郷愁」という作品があります。 蝶のやうな私の郷愁!......。 蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る......。 私は壁に海を聴く......。 私は本を閉ぢる。 私は壁に凭れる。 隣りの部屋で二時が打つ。 「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。─ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」 海という文字には確かに母が潜んでいますね。 で、フランス語では、母はmere(メール)。 そして海はmer(メール)。 二つの言語で、それぞれ海と母が単語に組み込まれています。 母なる海、とかいう言い方は、万国共通のようです。(ただし、海に面している国の言葉に限って) それにしても、「郷愁」というタイトルで海と母を登場させるとは、三好先生もお人が悪い。 そんことやられちゃ、ぐぅの音も出ません。 気持ち悪いですねぇ。 でも「郷愁」、人気あるんですよねぇ。 不思議。 それに比べて、教科書で習った「雪」は見事でしたね。  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。短い...
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積雪

朝起きたらびっくりです。 雪が積もっていました。 千葉市内は2センチの積雪。 北国の方からみたらお笑いでしょうけれど、千葉市内で2センチは大雪です。 でも土曜日で良かったです。 平日だったらすってんすってん転倒する人が続出するでしょうし、無謀にも冬タイヤもはかず、チェーンもつけずに車を出して立ち往生する輩が渋滞を引き起こすでしょう。  幸い今日は晴れ。 明日も晴れる予報なので、月曜日には車で出勤できるでしょう。 しかしこの雪景色にこの陽射しの強さ、春はすでに来ているようです。 風まぜに 雪は降りつつ しかすがに 霞たなびき 春は来にけり                                よみひとしらず 「新古今和歌集」所収の和歌です。 風にまぎれて雪はふっているけれど、そうはいっても霞がたなびいているところを見ると春がきたようだ、というほどの意かと思います。 今朝の千葉市の光景は、まさにこういうものかもしれません。 関東南部では、雪は冬というより早春の訪れを告げるもの。 昔「なごり雪」という春先の雪を歌った流行歌がありましたね。 春先の雪が街を一時的にもせよ銀世界に変え、そ...
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雪見

もう私が働く職場の庭では、梅がふくらんでいます。 それなのに今日は午後から雪になりました。 雪が降ると寒いですねぇ。 幸い積もることはなさそうです。 梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば                                                    よみひとしらず 「古今和歌集」に見られる歌です。 春の雪で、梅の花が雪にまぎれてそれと分からない、という情景を詠んだ、寒々しいような、春が待ち遠しいような感じがよく出ていますねぇ。 手だれによる和歌と思われますが、よみひとしらずなんですねぇ。 では敬愛する蕪村先生は雪見をなんと詠んでいるでしょう? いざ雪見 容(かたちづくり)す 蓑と笠    与謝蕪村 蕪村は放浪の後、京都に居を構え、二度と旅に出ることはありませんでした。 芭蕉に比べ、軟弱な都会人だったのですねぇ。 さあ、雪見だ、といって重装備をする姿が、都会的と言えば都会的、大げさといえば大げさ。 京都ごときでそんなに降らないでしょうにねぇ。 どちらにしても、そこはかとないユーモアが漂います。 風狂の人の句ではありえませんねぇ...
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荒魂

石川淳の初期の長編に、「荒魂」という作品があります。 主人公佐太は、生まれた日は死んだ日だった、という紹介をされ、その破天荒な生きざまが綴られます。 化け物じみた生命力を持つ佐太は、口減らしのために生まれるとすぐにりんごの木の下に埋められてしまいますが、穴から這い出て大声で泣き叫びます。 父親はさらに頭を殴ってさらに深く埋めますが、やっぱり這い出てしまいます。 やむなく育てることにしましたが、姉二人を犯し、兄三人を召使のように使役し、父親は自分が元埋められていた場所に埋めてしまいます。 荒魂(あらみたま)は和魂(にぎみたま)と対をなす概念で、怖ろしい、荒ぶる神を表します。 佐太はこの後田舎を出て仲間を得、革命とも争乱ともつかない騒動に身を投じるのですが、果たして荒魂は佐太その人を指しているのでしょうか。 あるいは佐太の一派すべてを? この作品は石川淳お得意の現世的野心や神性に加え、現代風俗や経済問題などまで書き込み、べらぼうに面白い作品に仕上がっています。 しかし、「至福千年」や「紫苑物語」、「狂風記」に見られるような異常な緊張感とか、構成の妙に欠けるような気がします。 某文芸評論家は...
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悪魔祓い

悪魔祓いという儀式は、世界のあらゆる民族が今なお行っています。 カソリックのエクソシストはローマ教皇庁が正式に認めた神父しかなれず、悪魔祓い自体、ローマ教皇庁が悪魔憑きと認めない限り行ってはいけないことになっています。 ということは逆に言えば、ローマ教皇庁は悪魔憑きというものがごく稀にではあっても存在していると認めていることになります。 日本では狐憑きとか犬神憑きとかが有名ですね。 また、死霊や生霊に憑依されたとされてお祓いを受ける場面は、子ども向けのテレビ番組などで時折見かけます。 南太平洋の島々やアフリカなどでも、泡を吹いた人の周りで踊ったりして憑き物を落とそうとしている映像を見かけます。 精神医学では、おそらく統合失調症の重い症状と見なすのでしょうが、西洋医学の薬物でもお祓いでも、正常な状態に戻れれば方法なんかはどっちだって良いと思うでしょう。 韓国の自称牧師とその妻が、三人の子どもが風邪をこじらせて寝込んでいるのを、悪魔憑きだと判断し、悪魔祓いの儀式を始めたそうです。 自称牧師の父親は自ら断食し、幼い三人の子どもにも断食させ、ベルトで殴るなどの暴行を加えたそうです。 で、結果は...
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立春

今日は立春ですね。 よくニュース番組などで、お天気キャスターが「暦の上では今日から春です」なんて言っていますが、「暦の上では」は余計ですねぇ。 季節の移り変わりに暦も糞もありますまい。 気温が低くとも、濃厚な春の気配がすでにこの国を覆っています。 岩間とぢし 氷も今朝は とけそめて 苔のした水 道求むらむ 「新古今和歌集」に見られる西行法師の歌です。 岩の隙間を閉じ込めていた氷も解けて、苔の下の水は流れるべき道をさがしているのだろう、といったほどの意かと思います。 立春にふさわしい歌ですね。 じつは私は西行法師の和歌をあまり好みません。 奔放に過ぎて、しかもやや感傷に走るきらいがありますから。 きっと平安末期の歌壇では、熱狂的なファンがいる一方、一部からは毛嫌いされていたのではないかと想像します。 太宰治や石川啄木がそうであったように。 しかしこの歌は、瑞々しい春の訪れを思わせつつ、まだ凛とした冷たい空気をも感じさせて、好感が持てます。 私が住まいする千葉市でも、近頃は池にうっすらと氷が張ったりしていますが、それもそろそろ終わりでしょう。 筒井康隆の小説「敵」では、妻に先立たれた独り暮...
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