文学

スポンサーリンク
文学

謎解き+心理描写

午前中は散髪に行ってさっぱりし、午後は読書などして過ごしました。 読んだのは「後悔と真実の色」という思わせぶりなタイトルのミステリーです。 都内で、若い女を狙った連続殺人事件が発生。 人差し指が切り取られ、持ち去られるという猟奇的な特徴を持っています。 犯人に迫るのが警視庁捜査一課の切れ者刑事です。 この小説がユニークなのは、犯人捜査の途中で切れ者刑事が不祥事を起こし、退職させられてしまうこと。 切れ者刑事は妻から逃げるように家出し、ホームレスにまで落ち込んでしまいます。 指蒐集家を自称する犯人や多くの刑事の心理描写が巧みに描かれます。 謎解きと心理的葛藤を両方追って、まずまず成功しています。 特に切れ者刑事が退職に追い込まれた終盤以降、物語は加速していき、息をもつかせぬ迫力です。 文庫本で650ページを超す大作ながら、一気に読ませる力技は見事です。 警視庁と所轄署の暗闘、また、捜査一課とそれ以外の部署との対立が描かれ、これが実際に近いとすると、組織の不備なのではないかと思わせるほどです。 まぁ、私の職場でもセクショナリズムに凝り固まったような愚かな人がいるくらいですから、立場の違いに...
文学

遍在

世に不思議の事象あまたありと雖も、我が身に降りかかることありとは思はざりき。 我、宵、寝ころびて書読みつつうたた寝すれば、我が身を薄き膜覆いたり。 はて、なんぞと思ゆれども、膜の中、涼しく快きゆえ、我、そを楽しみたり。 うつらうつらせしうちに、目覚めれば、膜厚くなりて、もはや防弾ガラスの如くなり。 我、そを驚かず。 むしろ望むところと、喜ばざる能はず。 陶然としてガラスの膜眺むれば、膜、僅かに振動起こしたり。 されど我が寝ころびおる畳、微動だにせず。 我、ただ酔いたる心地して、成り行きを楽しみたり。 膜の動きいよいよ激しく、つひには浮かばむとす。 我、そを見ても、動じることなし。 すべては予め定められしことと思ゆ。 ついに膜、勢い増して跳ね上がり、天井を突き破る。 天空目指し一直線に飛ぶ。 気づけば眼下に列島の形をなしたる光を見ゆ。 光、点在し、光多きは都会なりしと悟る。 我、天高く浮遊する化け物となりしか、はたまた天上界に至りて天使に化けたるか。 膜、堅固にして我を守ること万全たり。 しばし浮遊せし後、膜、再び振動す。 さらなる高みに向かひ、上昇すること宇宙ロケットの如し。 我、初め...
文学

夜想

昨夜、夜更かしして読みかけの小説を読み終わりました。 久しぶりに、物語の世界にどっぷり浸かれたひと時を持てたことは、私の喜びとするところです。 小説は貫井徳郎の「夜想」。 この作家、私とほぼ同世代で、魂の暗闘をミステリーに仮託して描く骨太な作風の人です。 ミステリーとしての読みやすさや面白さにこだわるのを止めて、自身の内奥から湧き出でる言葉を紡げば、大変な作家になると思うのですが。 交通事故で妻と幼い娘を喪った30代前半の主人公。 仕事は手につかず、ミスばかりしています。 ある時、喫茶店でアルバイトをしている女子大生と出会い、運命が変わっていきます。 女子大生は、物に触れることでその持ち主の過去や精神状態が分かってしまうという特殊能力の持ち主だったのです。 主人公が落とした定期入れを女子大生が拾い、主人公の深い心の闇を覗いて涙をこぼしたことから、二人の関係は始まります。 主人公は心から自分の悲しみを理解できる人を見つけた喜びで、夜の闇を彷徨っているような状態から抜け出せたと感じ、女子大生を崇拝し、彼女を中心に、悩み相談のような、占いのような会を立ち上げます。 やがてその会は雑誌に取り上...
文学

殺戮にいたる病

掃除や洗濯、買出しなどの家事に精を出した他は、読書をして過ごしました。 「殺戮にいたる病」という小説を詠みました。殺戮にいたる病 (講談社文庫)我孫子 武丸講談社 ネクロフィリア(死体愛)の性倒錯者の連続殺人鬼を描いた作品です。 主人公は、夜の町で美しい女性をナンパしては殺害し、死体を犯すわけですが、彼はただ一度しかできないその性交を、真実の愛と感じています。 犯行を犯してしばらくは、その思い出にひたって至高の時を過ごしますが、一ヶ月もすると記憶は薄れ、あれは真実の愛などではなかったと感じ、新たな愛を求めて彷徨うのです。 しかしこの小説の優れた点は、人物や時制を混乱させ、読者にトリックを仕掛け、ラストの数行に到って完全に読者を呆然とさせるほどの、騙りを成功させているところです。 ネタバレになってしまうので詳述はしませんが、叙述トリックと呼ばれる手法を見事に駆使しており、騙される快感に引きずり込まれることになります。 やや大仰で思わせぶりなところは鼻につきますが、それも叙述トリックの一貫と思えば、目をつぶっても良いでしょう。 なかなか楽しい読書体験でした。にほんブログ村 本・書籍 ブログ...
文学

神のふたつの貌

私は日蓮宗の寺院で生まれ育ちました。 それを知ると珍しがって生活の様子を聞かれることも珍しくありませんでした。 普段全く考えることがありませんが、日本にも少数ながら牧師の家で生まれ育った人もいるわけです。 お寺のように世襲が当たり前なのかどうか知りませんが、父親の跡を継ぐ者もいるのでしょう。 その場合、少なくとも表面的には、キリスト教の教えを信じているように振る舞わなければ、食いっぱぐれてしまいます しかし現代の日本に生まれ育った場合、神による天地創造だとか、最後の審判だとかいうSFちっくな概念を頭から信じることは難しいように思います。 わが国の空気を吸って普通に育てば、進化論が正しいと思うでしょうし、天国も地獄も存在しない、まして神様なんて存在しないと思うのが一般的でしょう。 そもそも私にはキリスト教徒の知り合いが一人もいません。 彼らがどんなふうに世界を見て、解釈しているのかなんて知る由もありません。 もしキリスト教が説くような絶対的な神様が存在するのだとしたら、ずいぶん意地悪なことをするものだと思います。 世に争いの種は尽きないし、凶悪犯罪も後を絶ちません。 飢えや貧困に苦しむ人...
スポンサーリンク