文学

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邪悪

魑魅魍魎の跋扈せし現世に生を受け四十有余年、我もまた同類なりと自覚す。 我が隠したる悪、魑魅魍魎に倍すればなり。 魑魅魍魎の類、ただおのが欲を満たさむと策をめぐらすのみにて、そは真の悪に非ず。 我、堕天使ルシファーをも戦慄せしむべき邪悪を隠しいたり。 ルシファー、ただ神との戦に敗れしのみにて、神敗れたれば、堕天使正義たるべし。 而して我、天使、堕天使もろともに滅ぼし、現世の在り様を暗転せしめむと欲す。 暗転したる後、起こるべき事態知るべからず。 ヒトラー、ナポレオン、ポル・ポト、稀代の悪人なりと雖も、我が邪悪に勝らむや。 我が邪悪の元は我が誕生したるを所以とす。 今に至るも生を全うし得るは、悪の悪、闇の闇が我を守護せしめたればなり。 知らず、悪の何たるか。 ただ、人、我を邪悪と呼ぶこと多ければ、我、邪悪の存在なりと自覚したり。 しかれども我、この世の法を破りたることなし。 日々職務に精励せり。 なにゆえ我、邪悪なりしか。 そは、我が魂の運動、邪悪を志向したればなり。 そも、邪悪とは何ぞ。 魂、この世の暗転を望むの強きをもって、邪悪と呼ぶべきか。 あるいは社会を呪詛したるをもって邪悪と呼...
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少年の暴行死

13歳の少年が河原で殺害されていた事件の容疑者とおぼしき17~18歳の少年3名が捕まったそうですね。 漏れ伝え聞くところでは、被害者の少年は不良グループのパシリのような役割だったところ、ささいな理由で暴行を受けるようになり、グループから抜けたがってさらなる暴行を受け、故意か否かはともかく、殺害に至ったようです。 故意か過失か未必の故意か、そこら辺は裁判で重要な要素になるのでしょうが、素人目から見ると、そもそも遺体が全裸だったという時点で、はなから殺す気だったとしか思えません。 実話をもとに残忍な殺人犯を描いた「凶悪」では、いともたやすく人を殺す、「先生」と呼ばれる人物が登場します。凶悪 山田孝之,ピエール瀧,リリー・フランキー,池脇千鶴,白川和子Happinet(SB)(D)凶悪 山田孝之,ピエール瀧,リリー・フランキー,池脇千鶴,白川和子Happinet(SB)(D)凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)「新潮45」編集部新潮社 何が「先生」だ、という怒りが湧いてくるような映画でしたが、それも実話だと思えばこそ。 虚構だと分っていれば物語として楽しめるでしょう。 日頃残酷な物語を楽しむ...
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美の仙人

職場の庭に植えられた紅梅が、見事に咲いているのに気付きました。 満開になるまで気付かないとは、我ながら迂闊です。 平安期に桜が好まれるようになり、江戸時代以降は花見といえば桜と定まりましたが、古く、奈良時代頃には、花といえば梅を指したと伝えられるほど、梅はわが国の人々に愛好されてきました。 早春、凛列たる空気の中、可憐に咲く様が人々の心をとらえたのでしょう。 また、桜よりもはるかに長く楽しめる点もよろしかろうと思います。 桜には狂気が似合うのと対照的に、梅には落ち着いた風情があります。 桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿、という言葉があるほど、梅は剪定に強く、生命力の強さを象徴してもいるのでしょう。 桜が咲くと、私の心はざわつきますが、梅の場合そういうことはありません。 梅を詠った詩歌は数知れませんが、私は何度かこのブログで紹介した与謝蕪村の句をもって嚆矢とします。 白梅(しらうめ)に 明くる夜ばかりと なりにけり というものです。 臨終の床にあって、あの世は愛する白梅が毎朝咲く夢のような世界なのだろう、と詠んでいるわけです。 桃源郷を端的に表すのに白梅を使うあたり、その心性がよくわかります。 ...
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妖かし

春は来ぬ。 空気凛冽なれども、春の気配濃厚たり。 我、この気配に接し、心躍ることなし。 ただ、春の気配を怖れるのみ。 そは、春の魔にして、人をして狂わせ、憂愁に沈めるのみ。 春は狂気を孕み、我、その瘴気にあてられざる能わず。 古人、多く春を怖れるあり。   春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる かくのごとき和歌、生まれざるを得ざる所以のものは、ひとえに春を怖れたるなり。 わけても春の宵闇に隠れいたるは何者か。 化け物か、妖気孕む者か。 我、定かならずといえど、そを感じること甚だし。 妖気に接し、我、不思議の心地して、我が身が変貌すを感得したり。 何者に変貌したるか。 そを表す言葉を知らず。 ただ妖かしの者に近づきたるを覚えるのみ。 我、もはや人たることに耐えざるや。 いっそこの世ならぬ者に変じ、春の瘴気を生み出す元となりたるか。 我が変貌したる姿、ザムザのごとき醜い虫に非ず。 毒を隠し持つ、しかれども天女のごとき美しき魔物に他ならず。 ザムザのごとく野垂れ死にの憂き目にあうこともなし。 春来たりなば宵闇に紛れ、瘴気を吐かむと欲す。 瘴気は毒に変じ、春の宵を包みこむ...
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悪を描く

坂東三津五郎が59歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。 たしか中村勘三郎もそのくらいの年齢で亡くなったと記憶しています。 当代の人気役者だけに残念ですねぇ。 私は一時期歌舞伎に凝り、わけても尾上菊五郎が贔屓でした。 顔よし、声よし、姿よし、と謳われていましたが、わりと小柄でしたね。 しかし江戸っ子の典型的なスタイルは小柄でやせ形ですから、それもまた売りだったのだろうと思います。 菊五郎の「弁天小僧」は私が最も好む演目で、お嬢様に化けて呉服屋に入り、イチャモンをつけて金をゆすり取ろうとしたところ、男とばれて、急に大きな伸びをし、着物を脱いで見得を切る場面は歌舞伎屈指の見せ場でしょう。 歌舞伎の本質は人間だれもが持つ悪を描くことにあろうかと思います。 善人だったやつがちょっとしたきっかけで悪に落ちたり、あるいは信頼しあった義兄弟を裏切ったり。悪への招待状―幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ (集英社新書)小林 恭二集英社 それを流麗で耳心地の良い江戸弁でやるのだからたまりません。 坂東三津五郎は端正な芸風で知られ、私はもう少し崩れているほうがお好みですが、現代劇をも器用にこなす、役者以外の仕事...
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