精神障害

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精神障害

言葉が出ない

土曜日を迎えました。 千葉市は本降りの雨が降っています。 夕方にはやむらしいですが、気分が晴れません。 今朝は朝一番で内科に行きました。 コレステロールを下げる薬をもらうためです。 夕方には精神科に行かなければなりません。 面倒くさいですが、大量の精神病薬を飲んでやっと正気を保っている身であれば、いたし方ない仕儀と言えましょう。 そして最近、違和感を感じているのが、うまく言葉が出なくなったこと。 吃音というわけではなく、すらすらと言葉が出ないのです。 私は人前で話したりするのは得意だと思っていたのですが、どこか奇妙です。 かつて久米宏がニュースステーションを降板する際、適格なタイミングで分かりやすく話すことが出来なくなったことを理由に挙げていました。 久米宏のごとき話すプロにとっては致命的だと感じたのでしょうね。 私は事務職ですから、仕事に支障があるということはありませんが、何か嫌ぁな感じがします。 若年性認知症だと困ります。 少し様子を見ますか。
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不安

大型連休に入っていますが、私はカレンダーどおりなので、月曜日は出勤です。 出勤、そして仕事というのは、誰にとっても大きなストレスだと思います。 私は若いころ、サラリーマン生活も年を取ればどこかで頓悟し、気持ちが楽になるのだろうと思っていました。 しかし30年を過ぎても、頓悟するどころか、ますます不安は増し、プレッシャーに押し潰されそうになることがよくあります。 そんな時、過去の成功体験は何の役にも立ちません。 経験による知恵も、無駄です。 いつも明日のこと、明後日のことが不安でなりません。 私はうつを抑える薬や、逆に躁を抑える薬など、多くの精神病薬を飲んで、やっと平静を保っている状態です。 その中で、即効性があるのは、抗不安薬という種類の薬です。 昔は精神安定剤と呼ばれていたと聞きました。 これを飲むと、ゆるーく効いて、まったりとした気分になります。 しかし不安の種を摘み取る薬ではありませんし、そもそもそんな薬は存在しません。 目の前にある不安の種=困難な仕事をなし遂げなければ、平穏は訪れません。 ただし、目の前にある不安の種を解決したところで、間を置かずに次の不安が押し寄せます。 ま...
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散漫

昨日は疲れていたせいか、15時過ぎまで眠ってしまいまいました。 こんなに眠れることはありません。 起きて、時計を二度見してしまいました。 それでもなお眠かったのですが、夕方、月に一度の精神科診察日だったので、やむなく起き上がりました。 なんだか土曜日を失ってしまったような、損した気分です。 理由は分かっています。 来週の一週間、猛烈に忙しいからです。 私はうつっぽくなると、過眠になります。 不眠になる人が多いと聞きますが、過眠になる人も一定数いるそうです。 精神科に出かけて、来週への予期不安というか予期恐怖というか、そういうものに襲われていると相談しました。 精神科医、パソコンを検索して、ちょうど一年前のデータを見、去年も同じような不安を抱えながら切り抜けたじゃないですか、予想するのは仕方ないですが、予想しすぎないことです、と慰めてくれましたが、不安や恐怖がそれで去るわけではありません。 帰って、いつもより一杯多く、焼酎のお湯割りをやってしまいました。 で、今日。 土曜日よりも憂鬱になるはずの日曜日、不思議なほど落ちていません。 抗不安薬を処方の倍飲んだせいでしょうか。 いつもよりは朝...
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精神科病院×新型コロナ

昨夜、NHKで、「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」という番組を観ました。 当たり前ですが、精神病院に入院している患者も、コロナに罹患します。 精神病の治療を受けつつ、コロナの治療も行わなければならない、現場は悲惨なことになっていました。 わが国の精神病治療には決定的な問題があります。 一度入院すると、30年も40年も退院できない、という。 しかしこれ、医療の問題ではありません。 一般社会における精神病差別の問題です。 家族は精神病患者を看病する気はさらさらなく、むしろ家族の恥として、精神病院に隔離しておくことを望んだりします。 社会資源も、例え治っていても、受け皿を作ろうとしません。 退院しても行き場の無い患者は、結局、入院し続けるしかありません。 幸いにして、私は精神病患者ですが、入院にまで至ったことはありません。 しかし自助グループには何人も入院経験者がいて、拘束されたことがある人もいました。 口をそろえて、入院だけはしたくない、と言っていました。 もともと劣悪な環境に、コロナが襲い掛かりました。 ある精神病院では、コロナ患者たちを一つの和室に閉じ込めて鍵をかけ、感染の拡大を...
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迷妄の森

今日は休暇を取りました。 役所に障害者自立支援の手帳更新に行くためです。 この手帳が交付されると、精神科の診察代と薬の処方費が1割負担になるのです。 通常、3割負担ですから、長く通うと馬鹿になりません。  私はうつが酷かった頃、希死念慮に悩まされていました。 平たく言えば、死にたくて仕方ないのです。 うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから、私もまた、死と生の堺を、塀の上を歩くようにして彷徨っていたわけです。 この塀の、生の側に落ちたから、今こうしてブログを更新できているのです。 死の側に落ちれば私は安楽にあの世でまどろんでいたでしょう。 生の側に落ちるのと、死の側に足を踏み外すことと、どちらが楽なんでしょうね。 生きている私は、いっそ死の側に落ちれば良かったのに、と思うことがあります。 生きるということはしんどいですから。  「男はつらいよ」で、満男に、「人間何のために生きているんだろう」と問われた寅さんが、「あぁ、生きてて良かったと思うことがたまにあるだろう、そのために生きているんじゃないのか」と応える場面があり、鮮明に覚えています。  生きてて良かったと思うことは、今の私にはありま...
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