精神障害

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精神障害

はしご

土曜日。 見事に晴れ渡っていますが、今日は病院のはしご。 朝一番で内科に行きました。 内科は三週間に一度。 いつもの高脂血症及び高血圧の薬をもらうのに加え、今日はインフルエンザの予防接種を受けました。 コロナと違い、結構痛いのですよねぇ。 私は痛いのは嫌いです。 夕方16時半から月に一度の精神科の診察があります。 双極性障害は寛解にいたってもう15年も過ぎているので、診察は世間話程度。 薬をもらいに行くだけのようなものです。 そうは言っても相手は精神科医。 私の言動を見て、躁転の予兆はないか、あるいはうつに落ち込む印はないか、判断していることでしょう。 精神障害の場合、精神科医との相性が大切です。 高圧的にしかりとばすような医者もいれば、患者が欲しがる薬を無条件に処方するような、職責を放棄したような医者もいます。 今の精神科医にかかるようになって16年くらい経ちます。 それまで、私はドクター・ショッピングみたいなことをして、多くの精神科医の診察を受けました。 どの医者もしっくりいかず、今の医者に巡り合うまで、ずいぶん嫌な思いをしました。 今の医者は、やたらと薬を処方するわけではなく、私...
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本当

昨夜、寝付けず、何をするというわけでもなく、徹夜してしまいました。 白々と夜が明けて、仕方がない、顔を洗って髭を剃るかと鏡をみたら、そこには、世にも美しい、天使と見まごうばかりの美少年が映っていました。 目を固くつぶって頭を振り、そっと目を開けると、そこには、世にも醜い怪物のような中年男が映っていました。 深く、ため息をつきました。 もちろん、後者が今の私。 前者は、40年も前の私でしょうか。 あるいはそうであってほしかった少年の私。 天使のような美少年も怪物も、いずれもこの世には存在しない、あるいは存在してはいけない魔性の化け物なのかもしれません。 私はこれまで、たとえ精神病を発症しても、社会規範から一歩もそれることなく、まっとうに生きてきたと思っています。  それなのに、私は私が怖いのです。  私はかつて、父親譲りの気高さとか誇りとかいったものを、誰よりも強く持っていると思っていました。 しかしそれは妖かしに過ぎなかったようです。 私は気高くもなければ誇り高くもなかったのです。 まっとうに生きれば生きるほど、私は私のつま先から頭まで、すべてが怖ろしい、唾棄すべき、邪悪な存在であると...
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寝逃げ

昨日と同様、いや、それ以上に落ちています。 うつ状態に陥ると不眠になる人が多いのですが、私は過眠になります。 今日も10時に起きて朝昼兼用の飯を食ったら眠くなり、また眠ってしまいました。 寝逃げ状態です。 今、13時42分。 今も眠いです。 こんなことで明日以降の仕事が務まるのかどうか。 明日のことは考えず、今日の寝逃げを楽しむ他ありません。
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落ちる

土曜日。 疲れているんでしょうか。 朝起きたのが9時。 起きだしても、頭がぼうっとしてだるい感じです。 こんな時はカフェインが効くと、珈琲を飲みました。 一杯飲んでも効いた気がしません。 もう一杯、さらにもう一杯と、立て続けに5杯も飲んで、やっとしゃっきりしました。 一時間に9杯珈琲を飲むと急性カフェイン中毒になり、40杯飲むと死ぬ、という話を聞いたことがあります。 カフェインの摂りすぎは気をつけなければなりません。 一時的に頭はしゃっきりしましたが、どうも調子が悪いようで、しばらくするとまたぼうっとしてきました。 これはおかしいと体温を測ったら、37度2分あります。 微熱程度ですが、私は熱に弱く、37度を越したらまともに起きていられません。 市販の解熱鎮痛剤を飲んでソファでうつらうつらしました。 ひどい悪夢を見ました。 コロナでかなんでか知りませんが、人類は死に絶え、私一人が生き残っているのです。 静かな町を歩けば、あちこちに蠅がたかった遺体が転がっています。 最初は気持ち悪くなりましたが、じきに死体を見るのに慣れて平気になってしまいました。 生き残っている人を探し続けましたが、誰も...
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二大精神病

今日は馬鹿に忙しい日でした。 会議の準備、調書、冊子の校正、それも期限が明日。  なぜか仕事が集中する日と、退屈するほど仕事が無い日があります。 馴らせばどうということもない仕事が、集中するから嫌なんですよねぇ。 それに加えて双極性障害による気分の上がり下がり。 気分が安定して、上がったり下がったりすることを緩和する薬を飲んでいて、わりとよく効いているとは思いますが、統合失調症と並ぶ二大精神病と言われていますから、油断はできません。 双極性障害はかつて躁鬱病と呼ばれ、統合失調症はかつて精神分裂病と呼ばれていました。 どちらも刺激的な名前です。 しかし、病気の特徴をよく表しているのは、昔の表現であるように感じます。 人に説明するときも、躁鬱病と言えば一発で分かってくれますが、双極性障害では、「それは何ですか?」、と言われてしまいます。 それは面倒です。 躁鬱病と呼ばれたからといって、当事者の一人である私は、差別だとも何だとも思いません。  むしろ堂々と、私は躁鬱病です、と名乗りたいものです。
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