精神障害

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精神障害

魔境

5月も今日で終わり。 これから梅雨に入るんですねぇ。 嫌な季節です。 仕事は今の部署が2年目に入り、多少慣れてきたといったところで、とくだん落ち込むことはありません。 それだけでも、ずいぶん楽です。 仕事は山積みで、ちょっと前だったらひどく落ちたのでしょうが、なんだかどうでも良くなったというか、図々しくなったというか、良い意味でも悪い意味でも鈍感になった感じがします。 鈍感ということがこれほど楽だとは最近まで思いませんでした。 何事も常に完璧を求め、だからこそ悩み、落ち込んだのでしょうが、最初から完璧なんて不可能で、7割方できれば上々だと知れば、精神衛生上極めて有益だということに気付きました。 そんなことは多くの医師、カウンセラーなどから何度も言われてきたことだったのですが、そんな境地になることは自分には無理だと思っていました。  持って生まれた性質というものがありますから。 それが、近頃の鈍感。 薬を増やしたわけでもなし、怪しげな民間療法に頼ったり、変な宗教に入信したわけでもありません。 まさか躁転? そうだとしたら、もっと激しい症状が出ます。 徹夜で駄文を書き散らす、深夜もしくは明...
精神障害

依存

今朝は4時半に目覚めてしまいました。 もう眠れないと思い、床から出てソファでぼんやりしていました。 ぼんやりしているつもりが、いつの間にか眠ってしまい、目覚めたら11時過ぎ。 どうなっているんでしょうね。 私の場合、不眠は躁転の始まり、過眠はうつの場合によく現れます。 今朝は両方きちゃった感じですね。 最近、義母が同居人を頼ること夥しく、病院へ予約の電話一本入れるのさえ嫌がって、同居人に電話してきます。 代わりに予約してほしい、と。 で、土日、同居人はほぼ、義母宅を訪ねている感じです。  私が一緒に行くとなると、義母、なけなしの体力に鞭打って、掃除を始めたりするというので、私は毎週お留守番。 今日も一人の土曜日。 一人のほうが気楽で良いわいと思っていましたが、毎週となると、おのずと変わってきます。 病中はもちろんそうでしたが、病癒えて10年以上が経とうとしているのに、相変わらず私は、同居人に依存しているのだな、との思いを強くします。 老いた義母にも、病人の配偶者にも依存され、同居人は重たい物を背負って生きているのですね。 義母からも私からも解放される日はいつ、どのような形で現れるんでし...
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怖い

連休あけ初日。 恐ろしく勤労意欲のわかない日でした。 やるべき仕事はたくさんあるのに、自分の机に向かった、ただ、緊張のあまり手が震えたり、何もやろうとしない自分を観察したり、ろくなものではありません。 しかし、40代までは、そこまでひどくなかったような気がします。 50を超えて、急激に何事も怖くなりました。 働くことも、車を運転することも。 運転は左目がよく見えなくなってきたので理由がはっきりしています。 問題は働くこと。 若いころは怖い者無しで、上司だろうが先輩だろうが、言いたいことをさんざん言って、それで嫌われたりもしましたが、意に介しませんでした。  今は上司が怖いのはもちろん、部下も怖い。 私のことを馬鹿にしているんじゃなかろうかと思って。 とにかく今日、明日は低空飛行でしのぐしかなさそうです。
精神障害

しんどい

今日でゴールデンウィークも終わり。 5連休なんて呆気ないものです。 連休の終わりに恐れおののいて、今日は憂鬱に沈みました。 これでお盆のお休みまで大型連休はありません。 まるで連休の終わりを嘆くように、一日、強風が吹いて曇天でした。 そのため家に籠るしかなく、気分転換もできません。 連休の終わりはいつもそうで、慣れるということがありません。  新聞を開けばコロナに台湾有事。 嫌なことばかりです。 抗不安薬を処方の2倍飲んで、どうにか心の安寧を保っています。 まこと、稼ぐということ、また、生きるということはしんどいものです。
精神障害

変わる

時代が移り、様々な社会情勢が変化しても、私という者の本質はなにも変わらない、そう思ってきました。 しかし近頃、私の本質が、加齢とともに変化してきたような気がします。 若いころは天下を取ったような気分で、自信満々でした。 ところが最近は、何をするのも億劫で、若い職員の優秀さばかりが目につきます。 私がかつて馬鹿にしていた、仕事から逃げるおじさんに、私がなってしまいました。 肉体の衰えも強く感じます。 残業に耐えられなくなって、1秒でも早く帰りたいと思い、仕事が残っていてもかえってしまいます。 もちろん、左目のことも。 さらには、父の死、職場で働いていた人の現職死亡。 それらの事どもが、私を変えさせていきます。 50代前半で、こんな気持ちになっているようでは、まだ先がある人生、私はどうなってしまうのでしょうか。 今では、何もかもが変化すると、実感せざるを得ません。 私の本質さえも。
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