仕事

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仕事納め

今日は令和5年の仕事納め。 すでに年末年始の休暇に入っている会社が多いのか、昨日、今日と道路はガラガラで、車ストレスを全く感じずに済みました。 今年は例年以上に時が過ぎるのが遅く感じられました。 10月1日に大規模な人事異動があったことが原因かもしれません。 なんだか10月1日で一旦リセットみたいになってしまったのです。 それでも大過なく仕事納めを済ませたことは大きな喜びとするところです。 よく年齢とともに年月が流れるのが早く感じられるようになる、と言います。 私には理解できません。 平日の一日は長いし、月曜日から金曜日の5日間はほとんど永遠のように感じます。 その永遠を土日や祝日をはさんで無限のループのように繰り返すのが我々現役世代が生きるということですから、日々が長く感じられるのは当たり前でしょう。 ところがお休みとなるとじつに短く感じられるのですから切ないことです。 逆だったら生きやすいでしょうに。 話は変わりますが、昨日、職場でシステム障害が発生しました。 午前11時頃からメールの送受信が出来なくなり、インターネットにもつながらなくなりました。 かろうじて所内専用webサイトに...
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ボーナス

昨日、国家公務員及びそれに準じる機関の職員に冬のボーナスが支給されました。 大手企業に勤める同世代のサラリーマンに比べて勤続32年目にしてはほんの涙金なのでしょうが、わが国で圧倒的多数を占める中小零細企業に比べれば多少はマシなのかもしれません。 どんな不況に陥っても、支給額が低く抑えられることはあっても、支給されないということはありませんから。 私は成績率「優秀」ということで、11.5%加算されていました。 普通は成績率「良好」で、これが100%の支給です。 このところずうっと成績率が「優秀」なのですが、長い病気休暇を取ったせいで同世代の職員に比べて基本給が低いので、配慮してくれているものと思われます。 給料やボーナスの支給日だけは、この仕事にしがみついていて良かったと思います。 私のような半病人に一人前の給料をくれる職場なんて他にありませんから。
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傍楽(はたらく)

今週も月曜日から金曜日までしっかり働きました。 金曜日の終業ほど嬉しい時間はありません。 こんなことをもう32年ちかく続けているのですね。 これに幼稚園の3年、小学校の6年、中学校の3年、高校の3年、大学の4年間を加算すると、じつに51年になります。 人生のほとんどを平日はどこかに通う生活をしていることになります。 サラリーマンならそんなことは当たり前なのでしょうけれど、他人のことはどうでもよく、ただおのれ一人のことを考えると、よくもここまで通い続けたものだと思います。 そして、これから11年以上、同じことを続けるのかと思うとうんざりします。 就職して10数年くらいは無我夢中だったような気がします。 大きな分岐点となったのは36歳での精神障害発症でしょうね。 今でこそ大量の精神病薬の服用によって普通に働けていますが、発症から数年間はまともに働くことが出来ませんでした。 よく働くということは傍を楽にすることだという言説を耳にします。 私はまわりの人間を楽にするよりも自分が楽したいのですが、断るのが苦手という損な性分のせいで、傍を楽にしてばかりのような気がします。 また、仕事は忙しい人に頼...
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警備員の死

昨日、1年前に退職した警備員が71歳で亡くなったことを知りました。 60歳で定年退職し、すぐに私の職場の警備員になった人で、70歳までは働くと公言し、昨年、70歳で退職してからわずか1年でした。 職場から徒歩数分の所に住んでいて、退職後も犬の散歩をする姿を時折見かけました。 青森出身で、東北訛りとずんぐりした体形と明るい性格が特徴で警備員の中のマスコット的存在でした。 今は職場は全面禁煙になりましたが、数年前まで喫煙室というのがあって、重要事項は喫煙室で決まると言われるほど喫煙者の多い職場でした。 そこでも、警備員は難しい話をしている幹部職員を和ませる存在でした。 私は今では煙草は止めましたが、あの頃は煙草を吸うのが楽しみでした。 最近、なんだか70代前半で亡くなる人が多いような気がします。 私もその年で亡くなるのだとしたら、もう20年を切っているのですね。  身近な人の死は私をへこませ、ひどく落ち込みます。 長生きするのが幸せなことなのかどうかは分かりませんが。健康には気を付けたいと心から思います。
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贅沢な一日

今日は休暇を取りました。 体調が悪いわけでも用事があるわけでもありません。 毎週5日間働いていれば、どうしようもなく出勤拒否したくなる日があります。 もう19年も前、私は当時小泉改革と呼ばれていた行政機関の大規模な改革(もしくは改悪)をきっかけにしてうつ病を発症しました。 その当時のことは、じつはあまりよく覚えていなくて、ただ気持ちが落ち込んで仕方が無かったという感情の記憶だけが残っています。 当時、私だけではなく、多くの国家公務員がバタバタと倒れていきました。 倒れなかった者たちも、ただでさえ減らされた人員から病人が多数出て頭数がどうしても足りなくなり、深夜に及ぶ残業や休日出勤を余儀なくされ、ヨレヨレでした。 しかも予算不足のため、すべてサービス残業、サービス休日出勤で、当時日本国政府は世界最恐のブラックな職場であったと思います。 当時、「SPA!」という週刊誌があって、30代男性サラリーマンによく読まれていましたが、しんどい仕事ワースト10という特集があり、ノンキャリアの国家公務員が2位に選ばれていました。 1位が何であったか忘れましたが、楽を求めた就職がわずか10年程度の時代の変...
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